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上高地との出逢い      ~5歩芽~

あと1年でアメリカで働くことができるワークビザがおりると
弁護士さんから連絡が入った。

待ちに待った連絡だった。
私たちは日本での残り1年をどう生きていこうか考えることにした。
夫の中ではすでに決まっていたようで、
雑誌「山と渓谷」を広げながら私に上高地の説明をしてくれた。
アメリカで暮らすより、心躍った。
私たちは、上高地で暮らすことを決めた。

夫婦で働けるホテルに履歴書を送り内定をもらうと
アパートを退去し、車を処分し、職場や、友達とお別れし
私たちは、北海道を後にした。

初めて行った長野県。
松本市からさらに車で2時間はいった山奥に位置する上高地。
マイカー規制がされていて、国立公園としても、すばらしいところだった。

北海道では見たことのない山々。
北海道の最高峰は2290mの旭岳だが、
ここは3000m級の山々がそびえ、
登山者としても心躍る魅力的な山ばかりだった。
私は時間があると散歩をし、梓川の河原で読書し、休日のたびに山を登った。

そんな幸せな日々のなか、
犯罪経歴証明書をアメリカに提出するよう求められた。
いよいよアメリカが近づいてきた。
長野の警察署で書類を作成してもらい・・・準備は整ったかに思えたが
翌月、2008年9月リーマンショックによりアメリカは海外からの労働者を受け入れられない状況となった。

弁護士さんから、短い英語のメールが届いた。
ビザは、何年かかるかわからないと・・・。

振り出しに戻った。
いや、スタートラインが遠のいた気がした。
札幌の部屋も処分した私たちは、これからどう生きていけばいいのだろう。
上高地は、冬になるとクローズする。
ゲートは閉じられ、ホテルはすべてクローズし、春まで車は入ってこられない。

私たちの勤務は11月中旬までだった。

私は、札幌の病院に凍結し保存しておいてもらっている「受精卵」のことを考えた。
もう一度頑張ってみなさい。って神さまが言っているんだ。
と、都合のいいように考えた。

そして、私たちは別々に暮らすことを決めた。

夫は、長野のスキー場で働き
私は北海道の実家に暮らし、病院に通うことを再開することにした。

夫と離れてでも、子どもがほしいからといって病院通いを選ぶ私は、
本当にいいのだろうか。と、自分なりに考えてみた。

夫婦ってなんだろう?
子どもって、なんだろう?

答えは出なかったけど、
私は高校を卒業してから、
一緒に住むことなんてないだろうと思っていた実家にお世話になることにした。

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