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三春ふたたび

はじめに

サマコンお疲れ様でした。

私の中で初めての幕前アンサンブルとなった三春。6月前半から少しずつ書き溜めていた記録と感想を晒してみようの会です。

それほど私の中で思い出深すぎる一曲なんです。

伴奏を受けたきっかけ

きっかけは、3日間で本番が2つあったみんな大好きバストロ吹きと喋ってたときのこと。
「トロンボーンデュオするねん」
「いいやん」
「ピアノ伴奏があるねんやんか」
「いいよ」
「返事はや」

詳細は忘れ去り散らかしたけど、大体こんな感じの会話しました。返事がはやかったらしい。

今の私が活躍できるのはピアノかぼよよん隊だし。この伴奏、絶対にやりたかったです。

頼まれたからには「ぐみじゃない人に頼んだら良かった…」って思われたくないし、むしろ「ぐみに頼んで良かった」って思われたい。

私にとって初めての幕前アンサンブル、初めてのピアノ伴奏が、大教吹部最強のトロンボーンデュオ。荷。

三春の音、伴奏の音

少しだけ弾けるようになってきた頃、自分の音を録音してみました。

なんということでしょう。音源で聞いていた綺麗な音とはかけ離れているではありませんか。

三春の音は優しくて、繊細な音。でも、ただ弱い音じゃなくて、芯のある音。例えるなら、枝にとどまって咲き続けることをやめるという選択をした桜の花びらが、そよ風と一緒に春のあったかい土を自由になぞっていくあの感じ。

そして私の音は、伴奏の音じゃない。
なんやろう。強い。雑。今までやってたピアノが独奏か連弾の上やったから、そりゃそうといえばそりゃそう。

私が三春の伴奏をするうえで、「三春の音」「伴奏の音」この2つを会得する必要がありました。

三春の音に必要なものは「圧倒的余裕」だと考えました。譜面の音符以外にも心を配れる余裕なくしては、三春の音に近づく土俵にすら立てないと思いました。

そして、伴奏の音を会得するためにぐみ選手、とんでもな目標を立てます。

「褒められないように弾く」

じゃん。

翻訳すると、トロンボーンを立てる音を弾きたかったんです。もちろん「ピアノうまかったよ!」て言ってもらえるのも嬉しすぎるけど、トロンボーンが褒められてる所を遠くから見守る方が伴奏者として本望なのではないか。

というのは綺麗事で。もちろんそれも本心で大部分だけど、「ピアノが褒められなかったときの保険」という一面もちょっぴり否めない。笑

トロンボーンのお二人が、ハンカチ片手にお聴きください系の演奏をすることは確定だけど(日本語)、伴奏次第でそのハンカチをバスタオルにすることも、涙腺をサハラ砂漠にすることもできる(Japanese)。伴奏って意外と責任重大。


こんなことを考えていました。

練習に励みます。


まあなんやかんやありまして、

弾けない焦りから陥った浅いやみぐみぐみと、六大のピアノが下手すぎた結果切腹したいくらいの自責の念のずんどこに突き落とされた深いやみぐみぐみを乗り越え、やみぐみぐみは脱ぐみぐみになりました。

やみぐみぐみの詳細は割愛🫶

脱やみぐみぐみ

月日はだいぶ流れ、ガチピアノで合わせをする日になりました。

楽しみと不安がすごかったです。

いつものピアノとどれくらい変われるんだろう(楽しみ)。事故ったらどうしよう(不安)。トロンボーンを特等席で聴ける(楽しみ)。トロンボーンと息を合わせられるかな(不安)。あの素晴らしいトロンボーンに見合う演奏できるかな(不安)。伴奏がぐみで良かったって思ってもらえるかな(不安)。明日提出のレポートまだ終わってない(やれ)。

そんな気持ちとともに合わせました。


結論「舞台から聞いたときのことを考えられていなかった」→つまり余裕がない

もっとメリハリのある演奏をしよう。もっともっとトロンボーンを聴こう。トロンボーンが盛り上がっているときに、ピアノが盛り上がりきれなかったことが反省点。

良かった点あるかなぁ…。

事故らなかったこと。

(こらこら、伴奏者として当たり前のことを良かった点に仕立て上げてはいけませんよ。)

うーん。本当に余裕がなかったな。
ピアノとトロンボーンでもっと一体感がほしいと思った。これは持って帰って練習しよう。
キーワードは、メリハリと余裕。

先輩に褒めてもらえて飛び上がるほど嬉しかった(多分飛び上がってた)けど、まっっだまだいけます。

あのあと録画を見ました。
ピアノとトロンボーンのテンポ感が違うのかなぁと思っていたけれど、そもそもピアノの右手と左手でテンポ感が違っていました。だめだめやん。

ここまでが、練習の記録です。

本番が終わったので深夜2時に感想を連ねていくコーナー

うん、大事故。笑えない。

普通の事故は笑えないけど、ある程度を超えた大事故ってもはや笑えるじゃないですか。それをもう1段階超えた「笑えない」。

大事故に次ぐ大事故というよりは、単発の大事故を何回も、って感じ。

良かったよ!と言ってくださって嬉しかったよ。でももっと私がちゃんと弾けていたら「良かったよ!」ではなく、言葉を失うくらいの感動になったのに。

トロンボーンデュオでトロンボーンが事故るのはいいとして、伴奏はミスっちゃダメだよ。あとさ、何回事故るの。史上初だよ、曲始まって3拍目でミスる人。

トロンボーンのための曲なのに、お客さんに一瞬でも悪い意味で「あっピアノ」と思わせたらダメなんですよ。気にさせたらダメなんですよ。合唱コンクールでピアノが事故ったら歌じゃなくてピアノ気になるでしょ。あんな感じ。

誰がなんと褒めてくれようと、私は悔いと怒りと申し訳なさの残るアンサンブルとなりました。

あとさ、これ、ただのアンサンブルじゃなくて瀬戸シンじゃん。もうさ、期待値すごいやん。
私のピアノで彼らの音が少しでも堪能できない箇所が存在したならば、私は消えた方が良かった。

↑ベッドでここまで書いて寝落ちました。

翌朝に再び語るコーナー

人生で初めてペダルを踏む右足が震えました。

「できる」という絶対的な自信を持つことができませんでした。緊張の理由はこれ。もし「絶対いけるし、万が一失敗してもどうとでもなる」くらいの自信があったら緊張してないと思うんです。もしくは緊張を味方につけられたと思います。

よかったよ!って言ってもらえるのは、瀬戸シンなら想定内だと思うんです。プレッシャーかもしれないけど、瀬戸シンなら、良いに決まってる。「よかったよ!」を超える感想を生み出してみせたかった。

伴奏者なんだから、トロンボーン奏者に「安心して吹いてください」「任せてください」と言わないといけない立場なのに。

ピアノをミスって「申し訳ない」という感情をこんなに抱いたのも初めてです。
だって、ピアノの発表会でミスっても自分しか被害受けないから。誰に謝ることもなくミスった自分に悔しく腹立たしくなっとけばいいから。

「これも経験」かもしれないけど、三春は大失敗から経験する系の場じゃないよ。これは決めなきゃ。もっと違うところがあるって。ダサいなぁ。

お客さんを目の前に緊張したわけでも、本番の空気に呑まれたわけでもなく、ただただ練習不足なピアノを数百人の前に晒しただけでした。

誰がなんと褒めてくれようと、私は悔いと怒りと申し訳なさしか残りませんでした。

ということで次

弊部最強のピアノ弾きになりたいと思いました。

一応ぐみぐみ、ピアノ担当みたいな雰囲気になってますが、それに見合うだけの力をつけようと決心できた瞬間でもあります。

でも今は絶対にそれは無理。
不安と緊張で音はミスるわ飛ばしまくるわトロンボーンは聞けないわ…そんなやつがピアノ担当獲得したら弊部は終わり。

三春が自分の納得いくもので終えられたら、noteの最後の方に「これからのアンサンブルで、伴奏者誰もいないなぁってなったら参加させてください」なあんて書いて終わろうと思っていたのですが、あの演奏聴いてぐみに頼もうとする人なんていないのでね。

ピアノがぐみなら安心って思ってもらえるように、そして自分も「なんかあったら対応できますよ」と言えるだけの自信と力を持ちたいです。

がんばります。

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