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驚きが少ないのはなぜか

参加しているサークル「じぶん綴り方」の、毎月のお題に関する記事の投稿。毎月、来月こそは、早めにやるぞ、と思いながら。
なお、サークル「じぶん綴り方」については、リンクを御確認ください。


このお題(「最近、私が驚いたこと」)が発表されて、考えました。

最近、私が驚いた

うーん。最近、驚いた記憶がないな…。
喜怒哀楽のない、平々凡々な過ごし方をしているからなのか?

感情には、“ライン”があるのでは?

驚きも、感情の一つだとすると、この“ライン”を超えたら、喜びを感じるとか、悲しみを感じるとか。なにか“ライン”のようなものはある気がします。
そして、この“ライン”が、わたしはすごく高く、平均的な人(という想定が妥当か疑問ではあるのですが)なっているのかもしれない。

そんなことを思いました。

“ライン”が平均より高いから、人が驚くできごとがあっても、それを驚きとして感じていないだけではないか? と。

そう考えてみたら、喜怒哀楽も、すべて私は“ライン”が高めかも、ということに気づきました。

「受けいれる」という取り組みと“ライン”

数年前から、わたしはいろいろなものを受けいれるようにしよう。理由はわかりませんが、そう考える癖がついています。
そうすると、人が驚くようなこと、人が怒るようなこと。それらがおきても、「受けいれる」ことで、“ライン”を高くして、驚きや怒りを感じなくなっているのでは? 
喜びや悲しみも、楽しみも、もしかしたら、“ライン”が高くなって、感じなくなっているのでは?

もし、そうだとしたら反省です。修正をするように務めないと。

受けいれるのは、そういう感情も受けいれることだったのでは? と思うからです。

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい

正しい記憶ではありませんが、小学生のころに聞いた、聖書のことばです。 (ローマの人への手紙12章の中の一文)。

自分の喜びの“ライン”が高かったら、人が喜んでいるときに、いっしょに喜ぶことができなくなります。
自分の悲しみの“ライン”が高かったら、人が悲しんでいるときに、いっしょに悲しむことができなくなります。

これは、人との関係性、人とのつながりを絶っていることにもなってしまいます。
他者とつながれない自分なんて、どんなに掘り下げても…。

まず、気付くこと。敏感になり、それをかさねていく

そんな風に思ったから、これは改善していきたいと思っています。
低迷している状態からの脱出方法として、小さな目標達成をくりかえして、自信をつける。感覚を呼び起こす。いわば、“勝ち癖”をつけるというものがあります。
もし、このテクニックを利用するならば、小さなことにまずは気付く。そして、小さなことにも驚いてみる。喜んでみる、悲しんでみる、怒ってみる、楽しんでみる。勝ち癖ではなく、驚き癖、喜び癖、悲しみ癖、怒り癖、楽しみ癖をつけてみる、という感じでしょうか。

このテーマを考えることをきっかけに、こんなことを現在は思っています。

というわけで、最近、私が驚いたことは。

自分があまりにも驚いていないこと

という、小さな気づきを驚きと考えて驚き癖をつける第一歩にしたいと思います。


トップの画像は、みんなのフォトギャラリーで「喜怒哀楽」(驚きがきっかけの記事ですが、喜怒哀楽全部に通じることだと思うので)検索して出てきた中で、お気に入りを選ばせていただきました。提供してくださった方に感謝申し上げます。

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