たしかに

今日読んでいた記事の中に、「東京の人間は地方からのヘイトに無頓着」「東京に住んでる人間はナチュラルに地方を見下していてる」というコメントがあった。

コロナ禍のインターネットで露になった東京の人の特徴として、地方から向けられるヘイトに対して驚くほど無頓着というのがありますね
東京都市圏に長年住んでいる方ってなんというかもう日本人じゃなくて東京人とでも呼ぶべき人種になっている気がします。
ナチュラルに地方を見下していて、それに自覚もないというか…

私は東京生まれ東京育ち、今現在も東京暮らしであるが、「確かにそうかもね」という感じである。

地方からのヘイト、というのは言われるまで気付いていなかった。私はそもそも自分の性格が他人の悪意やヘイトに無頓着な性質をしているのだと思っていたけど、実は因果関係が逆で、都会で暮らしているからそういう性格になったんだと言われたとしても特に反論を思いつかない。

東京人は地方をナチュラルに見下している、という点については、こっちとしてはそんなつもりはまるでない。見下してはいないつもりだが、率直に言うと関心が無い。私は自分が住んでいる東京という土地にもあまり関心がないが、住んでもいない土地のことにはなおさら関心が無い。そこで交わされる人々の面倒なあれこれには、なおさら関心がない。もしその無関心さが見下しているということになるのなら、すまんなと謝るしかないが。

昔、青森から上京してきた女と付き合った事がある。彼女の最愛の母親が死んだと知らされた時のエピソードがエモかったので付き合った女だ。「あ、実家に帰らなきゃ」「新幹線に乗らないと」「明日の仕事どうしようかな」「いろいろなことが瞬間的に浮かんできて、気がついたら新宿でスロット打ってたんだよね」そんなことを、灰皿に灰を落としながら穏やかな顔で語る良い女だった。

彼女は母親を愛していて、父親を憎んでいて、故郷の、実家の柵から逃れようとしていたけれど、何故かそこから本当に逃げ出そうとしていなかった。

自分の名前で父親が勝手に借金作ったり、妹の学費をなんとかしなければと思い悩んだり、その様子は私からすると理解不能であった。

彼女から、貴方は幸せな人間だね、というような意味のことを言われたのを今でもよく覚えている。それが本心でもあり、皮肉でもあることは私にもよく分かる。わかるけど、そんなことを俺に言ったってしょうがねえだろう。

そんな事を言い合わなきゃならないんだったら、俺たちは一緒に居ない方がいい。

そうして別れたんだけど、これは未だにいい経験だったと思っている。背景も育ちも全然違う人間同士には理解できない部分もあるし、それでも一緒に住んで、知る事や得る物はある。

でも、顔も見たことのないだれかとの間で、そういうやりとりをするのは無理なんだよ。

要するに、私たちはインターネットをはやくやめた方が良いということです。本当なら、一生会うことのなかった誰かからのヘイトなんて、気が付かない方が良いに決まってるんだからさ。

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