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番外編:徳田秋聲記念館×金沢建築館 学芸員と登る卯辰山・徳田秋聲文学碑イベント

2024年4月20日(土)。
谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館さん主催のイベントに参加してきました。

秋聲文学碑の建立についてのいきさつ自体には清次郎は関係ありませんが明治学院退学後しばらくの間、どうやら卯辰山の麓に母親と住んでいた事がある描写があること、また秋聲の『解嘲』で清次郎にあたる人物が卯辰山の別名「向山」と名付けられていることもあり今回は聖地ガイドカテゴリとしての備忘録です。
とはいえ、秋聲一派の端くれとしても一回はちゃんと来たかったんですけどね、以前ネットで調べたら結構金沢市のレンタサイクルで行ったブログやツイートを見かけたので数年前の夏、秋聲記念館の展示解説前にいってみるか!と館の脇のサイクルスポットからスタートしたものの、最初の急坂があまりにもきつくて、
「あ、無理無理これは絶対展示解説までに戻ってこれない」
と5分で引き返して以来リベンジの機会を伺い続けての今回のイベント開催!秋聲記念館と建築館からは2人の計3人の学芸員さんによる手厚いガイド付!こんなの参加するっきゃない!!という事でさっそく申し込んだ行程はこちら。

13:00~16:00予定
徳田秋聲記念館(見学)→卯辰山ハイキング→caféひよこまめ(コーヒーブレイク)→徳田秋聲文学碑→見晴らし台→徳田秋聲記念館(解散)

秋聲記念館で受付をすませ、秋聲記念館の学芸員さんから秋聲と卯辰山についての関係と文学碑が出来るまでの経緯の説明を30分程度うけました。
秋聲記念館に来た事がある参加者は8割位だったかな?建築館は全員来館経験ありだった記憶。
ちなみにこの日にあわせて文学碑の左側の陶板の原文の原稿が貼られた屏風(書いたのは室生犀星)を出してくれていました。
建築館さんの企画展で秋聲文学碑も取り上げられている「谷口吉郎とみんながつくった建築」期間中まで展示予定とのことです。

説明が終わっていざ出発!企画展のレコオドと私展も館内に音楽がかかっていて関連作品原稿や当時のダンスチケットが展示されてますのでぜひご見学を!

秋聲記念館さんはハイキングパートは不参加で車で先回りで頂上へ。
建築館さんのガイドでハイキング開始です。

今回はなるべく秋聲が若かりし頃歩いたであろうルートに沿って進みます。
記念館の前の「梅の橋」を渡って「天神橋」を渡ります。

写真を撮っていなかったのでこちらのリンク先を参照。浅野川の洪水で橋が流され橋脚があっては二の舞になるとのことで今の形になったそうな。
川には当時の橋脚がまだ残っています。

橋を渡ったら「帰厚坂」から登山開始。マップ上はドライブルートの奥が坂の始めになっていますがそもそもは天神橋を渡ってすぐの場所が坂のスタート。

開拓山人 著『卯辰山開拓録』この本の画像と現在の風景と比べながら進みました。
手前の橋が天神橋で斜めのラインが帰厚坂
ここが本当の帰厚坂のスタート
階段を上がって公園線を横断
現在の帰厚坂スタート地点とされている場所。
坂の名前の由来は藩政末期に病院や作業所など民衆のための施設設立事業がたちあがったことから「藩主の厚い徳に帰する」橋としてここから開発が始まったからだとか。
歩きながら学芸員さんのお話を聴きます。
大正から昭和の初めにかけて卯辰山に住み着いていたというハッタロウという人物の住居跡?と言われている洞穴。
ハッタロウは黒マントに穴あき長靴の変わった風体ですが頭が良く愛嬌もあり芸妓さんや子供たちにも人気だったんだとか。時期的に秋聲や清次郎も噂くらいは聞いたことがあったのかも…?
中腹にある昭和57年につくられた花菖蒲園。開拓当時ここは池でお茶屋さんもあり当時から行楽の場だったそう。
愛宕神社の参道を通って日暮ヶ丘へ向かいます。
正月の地震で鳥居がずれてしまってくぐるのは禁止ですが横からならOKとのことで進みます!
黄砂のせいで遠景はイマイチ…!!
奥の木々が繁っている箇所が金沢城です。
丘から卯辰山三社への参道
図と同じ細工なので当時からの石橋だとわかります。
水は涸れてしまったけどそれ以外はそのまま残ってるの面白い~!
卯辰山天満宮。両サイドに愛宕神社と豊国神社の社があります。
地震で狛犬が…
石灯籠も落下して破損したままになっているものもありました。
逆立ちしてるポーズの狛犬だそうで金沢に多いんだとか。
桜の時期決行も考えたけど記念館間のスケジュールが合わなくて今回の日取りになったらしいです。でも歩いた感じ桜より紅葉の木が多かったから秋ハイキングかなりいいのではないかな!
秋声の文字がついに現れたところで休憩!
「ひよこまめ」さんでドリンク休憩。ここで秋聲記念館さんとも合流です。
2階に通されたんですが卯辰山見晴らし台がイメージイラストで使用されている「ラブライブ蓮乃空シリーズ」のポスターや今は亡き「金沢ヘルスセンター」マップが額装されてました。
ひよこまめかわいい。
ドリンクを飲みながら秋聲文学碑について改めて建築側と秋聲側のそれぞれの側面からのいきさつを説明。ちょいちょい笑いや質問が交じって和やか空間でした。
カフェを出てほどなく文学碑の案内碑が。中央スーツ男性は建築館の学芸員さん。主に碑の素材やコンセプトについて説明していただきました。
文学碑の目の前で各々が準備された文学碑の写真を見せながら説明する建築館&秋聲記念館学芸員さん
そして!ついに!!会いたかったよ秋聲文学碑!
碑とは言いますが後ろの壁や本郷の秋聲の家の庭の風景とも重なるように植えられた笹、木漏れ日などひとつの風景として見るよう設計されています。素敵ですね…
記念館で限定展示中の屏風の完成版がこちら。不適切ということはないけれどお祝い事には向かないかな…という文言が省かれています。
右側にはめられている陶板。盗難やいたずらによる破損などで現在おそらく5代目らしいです。破損されたものは現在建築館で見ることができます。
円形石部分はお花を供える意匠に則って記念館さんがお花を持ってきてくれました!秋聲の好きな薔薇の花!5輪の花言葉は「あなたに出会えた事を心から喜びます」素敵!最高!素敵!!
傍らの薄紫の花は?「名前忘れました」(記念館さん談)
壁の裏手側に周ると文学碑のおぼえ書きが…ちょっとした崖のような状態になっているので直接読むのは難しいため、記念館さんが写真をプリントして配布してくれました。
資金繰りについてや除幕式に広津和郎、林芙美子などが参加したこと、川端康成の「西鶴から秋聲に~」の文言などが記されています。
見晴らし台は白山や医王山、金沢駅方面まで天気がいい日は見渡せます。
昔あった金沢ヘルスセンターや水族館跡の説明や卯辰山土産の可能性もあるかもしれない秋聲文学碑ペナントの説明を終えたところで記念館さんは車でお先に失礼。
脱落者もなくみんなで下山です!でも時間の都合上ショートカットすることに。
ラブライバーと思しき男性がレンタサイクルで来ていました。漕いだのか…あの坂を…
帰り道建築館さんが教えてくれた秋聲の生家付近と言っていたのが四角枠あたり(であっているはず…)
民家脇にある養生所跡。藩政末期に始められた卯辰山開発は明治維新であっという間に頓挫してしまいしばらく寂れます。
秋聲が山に登っていた時期頃から植林や公園として整備が始まり、清次郎がまだ金沢にいた1916年には道路が開通し、山頂に運動場が作られました。
令和元年に付近の町名「観音町」を復活させた元の観音院。前田家の安産祈願やお宮参りのお寺だったので梅鉢紋があしらわれています。
家内安全としてトウモロコシを軒先に吊るす風習があり、ひがし茶屋街周辺の家をよく見ると飾っている所が何件も…全然知らなかった~


途中道を間違えつつも16:15頃に秋聲記念館に到着して無事ゴール!
お疲れ様でした!

文学碑についての詳しい説明は建築館の展示や徳田秋聲記念館文庫の『秋聲の家―徳田一穂作品集』、秋聲にとっての卯辰山に関するものは『解嘲』の後ふたたび「向山」の名前を今度は自分がモデルである主人公の名前に使用した自伝『光を追うて』や上京前のエピソードを『郷里金沢』で触れることができます。


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