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徳田秋聲旧宅&本郷エリア

行きやすさ  ★★★★★
マニアック度 ★★★★
営業時間   非公開のためなし
定休日    非公開のためなし

島清の聖地スポットは石川だけじゃないぞ!
という訳で東京エリアの最初の場所はもはやこのnoteではおなじみ徳田秋聲の終の棲家。
東京メトロ丸の内線「本郷三丁目」駅を出て東大を右手に見ながら大通りを歩いて郵便局の角を左折した路地を進んだ先にあります。

2022年11月撮影

都の史跡に指定されていますが今も徳田家が暮らしており内部は一般に公開されていません。

道中に案内板もなく細い路地の中にあるので初めて見学に行った時は見つけられずウロウロ…竹が繁っている奥の建物が旧宅
門の脇にある石碑。文字の主は川端康成

コロナが流行する前は秋に開催される都民文化財ウイーク期間限定で一部公開されていたそうですが2023年も公開はありませんでした。
血縁の方もご高齢で見学者の対応も大変でしょうし、今後も非公開かもしれません。こればっかりはしょうがない…もう少し早く文アル知ってれば見れたのになあ…
ネットや古い本を頑張って探すと玄関や記念館で再現されている書斎のオリジナルの写真を見ることができます。

不審人物にならない程度に家の周りをぐるぐる。
増築部分の窓がお洒落。
裏手には秋聲がオーナーだった「フジハウス」も健在。居住されてる人がいるので看板だけ。
周りの道や庭の植木など当時と変わっている箇所もありますが震災や戦火を潜り抜けた貴重な建物。
島清ファン視点で見てみると火災や取り壊し等で縁故ある遺構がほぼ残っていない島清にとって彼が出入りしていた確証があり当時とほぼ変わらぬ姿、場所に現存するとても貴重なスポット

水森亀之助の『わが文壇紀行』に、亀之助がある日の晩秋聲宅を訪れると先客で清次郎がおり、3人でしばらく話していたところ泥棒が庭に入り込んだのではないか!?と騒ぎになり亀之助と奥さんはわたわたオロオロ…
普段あんなにイキってる清次郎は勇んでとっ捕まえにいくだろうと思っていたら意外にも困惑して動かず、まさかの秋聲が庭へ降りて犯人の隠れている方へ向かって「早く出ていってくれ。見逃してやるから」と平静な調子で言い放ち収束するエピソードが書かれています。

と、徳田先生…!こ、これぞ一家の大黒柱…!頼りになるお父さん…!!
と私が秋聲を贔屓するきっかけになったお話でもあります。
実は用心深い所があり突発的な出来事には揺らぎやすい島清とヒョロ~ッとした見かけと裏腹にどっしりとした芯の強さを発揮する秋聲…これがギャップ萌えってやつかあ⋯
父親を早く亡くして確固たる父親的存在が無いまま生きてきた清次郎が、家族や時には自分に対しても父性的愛情を注ぐ秋聲をどう思っていたか本人の言葉で記されたものは無いので分かりませんが、清次郎は強制入院される直前まで秋聲を頼り、秋聲も周囲の大半の人が清次郎と距離を置く中でも事あるごとに面倒を見続けました。
そういった関係性が凝縮されているのが清次郎の裁判沙汰を題材にした秋聲の作品「解嘲」なのです。

「解嘲」に出てくる清次郎の家は外遊から戻った1923年に渋谷富ヶ谷に建てた家。
それ以前はどこに住んでいたのかと言うと、杉森久英の「天才と狂人の間」によると清次郎は勤めていた新聞社の社長に当面の生活費の援助を受けて「地上」の原稿を携えて上京し、本郷追分の下宿先を拠点にして様々な作家や評論家に原稿を読んで欲しいと訪ねてまわった結果、デビューの後押しをした生田長江と出会うことになったとあります。

その時拠点にした下宿先の名前は『天龍閣』、ここは「家族的な下宿」だったと入院中に清次郎が執筆していた自伝的作品「母と子」の中にも登場します。
そこはすぐに引き払ったようで「地上」発刊直後の収入が無い時期に住んでいたのは『蓬莱館』という、同じ本郷でも「扉の立て付けも悪く障子も破れっぱなしで隙間風が入ってくる安普請な下宿だった」と当時インフルエンザに罹って助けを求めてきた清次郎の看病をした同級生が記録に残しています。
収入が安定した頃には『本郷館』に移ったと「天才と狂人の間」に綴られており、その後は白山の旅館や品川大森の鉱泉宿「大金」に逗留したりもしながら千駄木の『開盛館』を最後に1921年に清次郎は神奈川県の鵠沼に引っ越しました。
清次郎は住居は転々としつつも約2年間を本郷界隈で過ごしたことになり、短い作家生活の中で最も長く過ごした土地になります。

清次郎が住んだ下宿先の詳細な場所や規模等は不明ですが唯一、『本郷館』だけは2011年までほぼ当時の姿のまま現存していました。
部屋数も多く女中付きの高等下宿で、清次郎が住んでいた当時から既に数ある本郷の下宿や旅館の中でも代表的な下宿だったよう。
保存活動もかなり頑張ったようですが無念な結果だったようで、こちらのブログには貴重な内部写真が掲載されています。

建て替えられてしまったものの本郷館は同じ場所、名前のまま今も存在しているので秋聲旧宅から向かってみようとマッピング。

あ!?めちゃくちゃ近い!?
まっすぐ歩いて約3分。「ちょっとお醤油貸してくれる?」の距離!
今から行くね~!と連絡してからカップ麺を作り始めればちょうどいいカンジに出来上がる位の距離!
最初に住んだ天龍閣も本郷追分とあるので一里塚跡のある今の東大駅近辺までが推定エリアといったところ…
故郷である石川加賀藩のお屋敷が本郷にあった地縁や、文人が多く住み仕事がしやすい等の理由もあったとのでしょう。
上京してしばらくは秋聲と生活圏も同じだった様です。

秋聲旧宅と本郷館の間にある「求道会館」は1915年建設の浄土真宗の施設。内部も素敵なんですが撮影した日は休館日でした。
求道館のすぐ脇の曲がり角の右側が最近だと『文豪缶詰プラン』などで利用されている鳳明館(1898年築)の森川別館(1956年建築)、左の段々のベージュの建物が本郷館になります。
入口
写真だと伝わりにくいけど想像よりずっと規模が大きい…当時の木造建物が同規模と考えると明治村への保存案が出たのも納得。林芙美子もここに住んでいた時期があるのだとか。
本郷エリアに住んだ文人マップ。案内板があるものもありますが説明されないと素通りしてしまうスポットも多いです。

今回は本郷エリアに絞りましたが白山や千駄木までいれればもはや文京区の半分が島清聖地スポット。
文京区は他の文人スポットも多いので併せて散策するのも楽しいですよ!

森鷗外に支配されし菊坂通り。ぶれぶれですが左側に写る男性は「文豪どうかしてる逸話集」の筆者の進士素丸さん(2022年7月)
街灯ひとつひとつにゆかりの作家の紹介板がついています(島清は無いよ!)
先に貼ったパンフレットや図書館郷土コーナーを見る限り割と露骨に1推し森鴎外、2推し夏目漱石&樋口一葉な文京区…秋聲ももっと推してくれていいのよ!!

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