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一番つらかった部活の罰

私は高校、大学と野球をやっていました。高校はまあまあ強い公立高校の野球部で、大学は医学部の野球部だったので、イメージとしては厳しめのサークルという感じでした。ちなみに中学は野球部がなくて、野球はできませんでした。

1.部活であった罰

部活で罰を経験した人は多いのではないでしょうか。罰というと体罰とか、罰金とかを思い浮かべるかもしれませんが、ここでは罰ランなどのトレーニング系の罰です。
高校の時に、罰ランの経験があります。練習試合で、一試合10個以上、エラーしてしまい、連帯責任でポールアンドポール走(球場の端から端を走る)をエラーした数、走らされました。
他にもエラーにつきノックを受ける、罰ノックもありました。イップスで投げられない友人が練習試合で送球ミスを繰り返し、長時間の罰ノックを一人で受けることになり、熱中症で倒れるという、アホな結末を迎えたこともありました。

2.一番、辛かった罰は何か

一番、辛かった罰は何でしょうか。
私個人の感想ですが、走らされることでも、ノックでも、腕立て伏せとかでもありません。ずばり「チームから出ろ」という罰です。
私はこれが一番、嫌でした。最初に経験したのは走塁練習の時でした。一塁ランナーがスタートを切り、二塁から三塁にまわるという練習をしていました。ランナーは一塁からスタートを切った後にバッター方向を見て、確認する必要があります。キャッチーがエラーするかもしれないし、バッターが空振りするかもしれない、それらを確認する必要があるからです。私は、その確認を忘れ、先輩から注意されました。が、直後に、またその確認を忘れてしまったのです。スポーツあるあるなのですが、一つのことに集中すると、前に言われたことをすぐに忘れてしまてしまうことが、よくあります。すかさず先輩に怒られます。
「お前もういい、出てろ」
もう一度、やらせてほしいとお願いしましたが許されません。仕方なく、その場から出ます。うまく言えないですが、一人、練習から出されると精神的にこたえます。正直、一番、辛かったです。

2.強豪校では当たり前のこと?

大学は、体育専門ではないので野球部に指導者はいません。その時の上級生が練習内容や方針を決めます。したがってその時の上級生の高校時代の方針を反映することが多くなります。
大学の先輩に野球強豪校出身の先輩がいました。進学校なのですが、野球部は部員が100人くらいおり、甲子園もたまに出ていました。この先輩がチーム運営をしていた時、この「出す」という罰をよく課していました。
基本的なエラーをしたりすると、容赦なく出されます。やはり競争の激しい強豪校ではよくあることのようです。が、出されるとやはり精神的に辛かったものです。そもそも、そのスポーツがやりたくて来ているのに、それをやらせないという意味がわからないです。出されたら、練習もできないので、うまくなれないと思うのですが。

3.「出す」ことをうまく利用する

少し前にこんな話を聞きました。
智弁和歌山高校の前監督だった高嶋監督は「出す」ことをうまく使ったようです。
気のないプレーをした選手がいると、仮にレギュラーでも練習から容赦なく出します。そこから一切、練習には入れず、しばらく手伝いしかさせないそうです。さらに練習試合はユニホームも着せず「出す」どころか、完全に「干す」そうです。
しかし決して見捨てず、練習試合の土壇場、例えば3点差で負けている9回の攻撃、ツーアウト満塁のような極限の場面で、その干されていた選手を突然、代打に使うそうです。この場面のために影で練習していた、その選手はこの究極の場面で溜まっていた力を爆発させ、本当にホームラン打ったり活躍するそうです。さらに、その後、その選手はレギュラーを勝ち取るというのです。

4.「出す」ことは良いことなのか?

ではこの「出す」行為は選手のプラスになる罰なのでしょうか。私はそうは思いません。これに付随して思い出されるのが、少し前に話題になった日大アメフト部タックル問題です。
タックルをしてしまった選手も非常に優秀な選手だったのですが「闘志がない」といった理由で、練習から出されていた状態だったというのです。しかも、その時期は数ヶ月に及んでいたと聞きます。首脳人からしてみれば、先の智弁和歌山高校野球部のように、これをきっかけに変わってほしいという思いがあったのでしょう。しかし結果、この「出す」行為は彼を精神的に追い詰め、最終的に他校の選手に怪我を負わせるという最悪な結末を迎えることになります。
この日大アメフト部事件の顛末を聞いた時、レベルは違いますが、自分が練習から出されたことを思い出し、本当に不愉快な気持ちになりました。

5.智弁和歌山と日大の違いは?

では、この二校の違いはどこなのか。
まず当時の智弁和歌山高校野球の特殊性にあります。部員を各学年10人しかとらず、選りすぐりのエリートが集まっています。したがって少し干されたくらいの逆境には耐えられるだけの精神力が備わっています。また部員数が少ないので、干して完全に捨てるということができません。これは高嶋監督の方針もあるようで、自分が目の届く限界がこれくらいという考えがあったようです。
一方、日大の場合、大量に部員がいます。タックルの彼が潰れれば、他を使えばいいだけです。そのプレッシャーはものすごかったでしょう。
大半のスポーツ強豪校は日大と同じ状態だと思うので、この「出す」という行為は第二のタックル問題を生んでしまうのではないかと思うのです。

6.最近の流れ

最近の部活動で、体罰は禁止されています。しかし手を出さなければいいという考え方もあり、大声で威嚇したり、罰や無視などの制裁はぎりぎり問題なしとされているようです。
一方、桑田真澄さんがよく主張されているのは、罰や無視なども、体罰と同等に扱うべきで全てやってはいけないという意見です。そういった方法で無理矢理、練習させるのではなく、なぜ練習するのかをしっかり理解したうえで運動に取り組む必要があるという考えです。
そして必ずこれには反対意見が出ます。桑田さんと同年代から少し下の方(40-50代)の元プロスポーツ選手が私たちの頃は殴られて、無理矢理、練習させられて、うまくなった。そういう教育でここまでこれたのだから、これからもそうするべきだという意見です。これは経験論であまり根拠がありません。ただ人間は、自分の成功体験や過去を否定したくないものなので、体罰を受けてきた世代からこういう意見が出るのは当然です。
ダルビッシュさんと林修さんの対談で、筋トレはすべきかという話から、野球選手が筋トレをするとたいてい古い人たちから批判されるという話題になりました。ダルビッシュさんは、「筋トレを経験していない世代の意見だし、うさぎ跳びとか走り込みだけでやってきた人たちが自分の過去を否定したくないが故の批判だろう。だから完全に無視する」と言っていました。こういう考えが今後は主流になると思いますし、そのため経験論を根拠にした罰擁護は否定されていくと考えます。

7.まとめ

部活の嫌な思い出から、部活における罰に話を広げました。繰り返しになりますが、私はなにより「出す」とか「干す」といった行為が嫌いです。部活に限らず、社会人になってからもこういう言葉を聞くと、ゾッとします。先の話とは矛盾しますが、まだ殴られる方がマシだとも思っています。相手はされているわけですから。
さて体罰禁止など、少しずつ部活も良い流れになっているとは思いますが、今回、取り上げた罰以外にも、いじめや上下関係など、問題はいろいろあります。これからは全てのスポーツにおいて、テニススクールのような形で専属コーチをつけ、個人の技術を伸ばすことで、プロ選手を目指す人が増えていくと思います。そうすると、「団体競技はどうするのか?」「甲子園とか花園のような伝統ある舞台には、部活に入らないと立てない」といった意見もでてくるでしょうが、このあたりは機会があれば書きたいと思います。
今回も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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