憑依

専門学生時代に、「執筆や漫画といった物語を構築する類の創作とは、一種の憑依行為ではないだろうか!」とクラスメイトから熱弁されたことがあります。

魂を込めて絵を描くみたいな、所謂仕事モードみたいなもんかねって返したら、
「ちょっと違くて、レベルEとかブレイブストーリーとかで感じたことなんだけどね!
主役級の小学生が作者色に染まった言い回しや行動をすることによって、こんな超人小学生を小学生って設定は無理あんだろ!って印象を抱かせるようなアレ!アレって要はキャラに作者の意見が憑依して生まれるもんだと思うのよね!!!」
みたいな、思いのほかヒネた意見の全容が見えてきました。 

「キャラクターが作者色に染まるってのは読者側からも求められている部分でもあるし、どっちかというと憑依というより作者自身が動かせるように、自分という名の息吹を吹き込んで世界中に蔓延させているようなイメージっぽくない?作風っていう言葉もあるぐらいだし。」
という返答をしたら、
「言いたいことは分かるけど、感染みたいで凄いイメージ悪くない?バイオかな?」と返されました。

いや、”憑依”も大概やろ!!!!…と思ってしまったのですが、
「創作とは感染行為だ!」って置き換えてみると確かに生理的嫌悪感が生まれます。そんな視点で作品を見てるんじゃねーよ!って気持ちにもなってきますしね。
憑依系演技派俳優という使われ方もよく聞くし、憑依という表現の方がポピュラーだし一発で分かりやすいのかもしれないと思い直し、ひとまずその場は「憑依」という考え方でいいかもという決着を付けました。

ただ、憑依ってなるとキャラクターの人数分に作者が分裂して憑依しているようなイメージが浮かび上がって、見えないスタンドが居るみたいな想像をついしてしまうんですよね。
あるいは、大いなる作者像の魂が世界を包んでいて、人々の魂を分け与えているとか、人形劇を繰り広げているとか。それこそそんな視点で作品見てんじゃねーよって感じですね。


未だに明確な答えは出ていませんが、辿り着いてはいけない部分でもあるような気はうっすらしております。
物語は純粋に楽しむことが一番です。