四月馬鹿

嘘っていうものは用途に分けれるよう、いろんな種類が存在しています。

誤魔化すため、騙すため、安心させるため、笑わせるため。どれも良し悪しの面が極端なものですね。

例えば人と会話をする際、その人なりの考えが付随しているテーマで話をしていると察したならば、よっぽど納得できないことでもない限りその考えを傷付けないよう立ち回ろうとするのが人としての性だと思います。
さり気ない嘘も織り交ぜてでも立ち回る、ある程度嘘をつかなければいけないという状況になることも多々あります。

誤魔化すよりは謝りっぷりの良い人間でありたいという認識を持ちつつも、必要な嘘も存在するという認識も同時に存在しているためにこういう局面に陥ると自分の首を絞めがちです。単純に嘘が下手くそなだけかもしれませんが、この誤魔化しは善なのか悪なのかわからなくなる。

人を傷つけるような嘘をつくなとはよく言うけれども、自分に傷つけるような意図がなくても、結果的に相手にダメージを与えてしまいがちなものでもあると思っています。
故に、嘘をついてもつかなくても人を傷付けるなら、少しでもマシな方を取って場を凌ごうとしちゃうんでしょう。
それで跳ね返るリスクがあったとしても、総合ダメージはこの方が少ないはずだから…といった具合に納得しようとしちゃいます。


こんなややこしさの種みたいなもんを推奨し、それに倣い跳ね返るリスクを最低限に抑えた上で企業が揃ってエンタメを提供しようとするエイプリルフールという行事の存在、考えれば考えるほど興味深いです。(批判とかではない)