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gururiの日常

こんばんは。しー(ツマ)です。

お休みの日の夜、しばらく振りにnoteに向かっています。ほんとにしばらく振り。

instagramをカズさん(オット)がこまめに更新してくれてるので(カズさんは筆マメ)、それに甘えてずっと書いておらず…書こう書こうと思って書きかけた文章がいくつか眠っているのですが…(しかも半年以上も眠っている…)一旦それは置いておいて。

とても書きたい、と思ったことがあったので、この気持ちのまま文章をしたためたい気持ちになって、久しぶりにnoteに綴っています。

「店」 -20時のおつかれさま-

好きでよく聴いているラジオがあります。『北欧、暮らしの道具店』さんのエッセイラジオ、「20時のおつかれさま」という番組。

元々、『北欧、暮らしの道具店』さんのウェブサイトで掲載されていたエッセイを、スタッフの方々が毎週代わる代わる読んでくださる、とても心地の良いラジオ。

「ラジオ」なので、家事をしながらでも、仕込みや片付けをしながらでも、ゆるゆると聴くことができるので、いつもよく聴いています。

その中で、とても自分の心に響いたのが「店」というエッセイ。

写真家の馬場わかなさんが、自分から見た「店」をテーマに書いたエッセイです。


日常の中の非日常を過ごす場所

エッセイの中で、馬場さんは出産後に抱っこ紐で子どもを抱っこしながら、家の近くのお店で子育ての合間の束の間のゆったり時間を過ごしていた、ということをお話しされていたのですが、その話を聞いて、思い浮かんだgururiの光景があります。

馬場さんと同じように、抱っこ紐やベビーカーで小さなお子さんを連れて、ひとり、ママさんが「ちょうど寝たので今なら行ける!と思って」とランチやお茶をしに来てくれる光景。

仕事後のひと息にと、近くで働いていらっしゃる方が珈琲を飲みに来て時間を過ごしてくれる光景。

お休みの日に、ゆっくりと本を読む時間を過ごしてくれる光景。

エッセイの書き手の馬場さんは、その光景にいる人たちは「それぞれが日常の中で、非日常を過ごしている」のだと、そして、

客に擦り寄らなくていい、
ただその店らしく、
いつも通りにしていてくれればいい。
そしてそこに座ることを
受け入れてくれたら嬉しいのだ。

ついでに少し
話し相手になってくれたりしたら
ますます嬉しくなっちゃうのだった。

と。

わたしは、それが、なんだかとても嬉しくて。

もちろん、馬場さんがgururiに来て時間を過ごしたことを書いていたわけではないのだけれど、エッセイを聴いた時に浮かんだその光景にいるひとりひとりが、もしかすると馬場さんのように思ってくれているんじゃないかと、勝手にふつふつと喜びが込み上げてしまったんです。

体の底の方からぷつぷつぷつとあたたかい泡が浮き上がってくるような、そんな感覚。

1年半と少しお店を続けていて、ずっと変わらないのは「慌ただしい毎日に、ほっとするひとときを」という想い。来てくれる方々が、日常の中の小さな非日常をgururiで過ごしてひと息ついていってほしいな、という気持ちです。

ただ、自分たちがそういう気持ちでいることと、実際に来てくれる方がどういう思いで過ごしているか、そこが同じかどうかということは見えないものだから、「どうなのかなあ」と不安に思うことも多々ありました。

けれど、エッセイを聴いたときにそれぞれの光景がぱっと浮かんだ、ということは、そうやって過ごしてくれる人が実際にいる、ということなのだと気づいて、

そうか、そうなのか!
自分たちの思いもちゃんと伝わってるし、そういう場所にしていけているのか!

と、改めて自分の中で形になって現れて、自分に教えてくれたような感覚でした。


そのままでもいい、ということ。

お店を続けていく中で、不安になることも心配になることも、そりゃあ沢山沢山あります。失敗もしかり。反省なんて、常日頃です。

元々心配性で自信のないわたしなので、このままでいいのか、どうしていったらいいのかな、あーもうどうしよう、なんて思うことも日常茶飯事で、その度にカズさんに「まあまあ落ち着きなさいな」と諭されます。(そういうカズさんもなかなかの心配性なんですが)

でも、このエッセイを聴いて、そして浮かんだ光景を改めて感じて、

「ああ、そうか、わたしたちはわたしたち(gururi)らしく、そのままで、いつも通りにしていれば、それだけで柔らかい気持ちになってくれる人がいるのかもしれない。」

と、少し(ほんとに少しだけど)、今のままでいることに、このままでいいということに、自信が持てた気がしています。

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gururiのカウンターのブラインド越しに見える日常。

ここから見える景色が好きです。

いつも過ごしている日常が、少しだけ違うように、なんだか少しだけ特別に見えてくる景色。

日常はとても素敵なものなのだけれど、いつも沢山頑張っていると、その素敵さが見えづらくなったりすることもあると思います。わたしも、そうです。

でも、ほっと一息つきながらブラインド越しに日常を見て「ああ素敵な日常をまた頑張ろう」と思えたら、そんな小さな非日常をgururiで過ごしてもらえたら、とても、とても嬉しい。

わたしたちにとっては、お店が、gururiが日常です。

悩むことも不安になることもあるけれど、小さな非日常を、ほっとするひとときを、来てくれた人にそっと差し出せるようなgururiの日常を、このままゆっくりと作っていきたいなと、エッセイを聴いて、あたたかい気持ちになって、そう改めて感じました。


よし。

明日も、日常を頑張ろう。


小さな非日常を準備して、いつでも、待ってます。

ではでは、おやすみなさい。


しー(ツマ)でした。

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