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[gururi note] I'm thinking of you

学生の頃から英語が好きだった。

高校の選択コースも、その後の進路も、就職も、英語に携わりたいと思って決めたくらいに、ずっと英語が好きだった。

「どうして英語が好きなの?」と聞かれる時、自分でも不思議に思う。

小さな頃から英語に触れていたわけでもなく、自分の得意な教科は国語。昔から絵本や本が好きで学校の図書室にも地元の図書館にもよく通っていたし、小さい頃に母が寝る前に読み聞かせをしてくれていたこともあってか、音としての日本語も、言葉としての日本語も、どちらも同じくら大好きだった。(もちろん今も)

カランコロンと下駄で歩くような日本語の音。柔らかで細やかな表現を綴れる日本語の言葉。

大人になった今でも、本を読むたびに出会う言葉にはっとさせられる。日本語の魅力は計り知れない。

そんな日本語と、英語は全く正反対だ。当たり前だけれど、全く違う。そんな英語を自分はどうして好きなのか。

感情を言葉で表す、というのは時に難しい。素直になることも難しいけれど、心が苦しくなるような状況であれば尚、その難しさは増してゆく。

このところのニュースで目に耳に入る言葉は、自分が好きな、あのカランコロンという可愛らしい音も、心をまるくしてくれるような柔らかで細やかな表現も、ない。正しくは、“出来ない”。そんな状況下で、何を言えばいいのか、正直わからない。

そしてわたしは、とても不器用だ。

目を覆いたくなるようなことが日々起こっているのに、多くの人を助けられるような大きな動きを取る力もないし、情報を入れれば入れるほど感情が引っ張られて自分の生活がままならなくなってしまう。そんな自分に嫌気がさしてしまう。悪循環。だから、いつからかテレビやニュースを見るのを辞めた。今も、自分からニュースは見ていない。

それでも日々思う。

何か小さくでも、出来ることはないのだろうか。

沢山考えた。何が出来るのか。何をしなきゃいけないのか。

考えた末、思った。

当たり前だったはずの日常が、いとも簡単に当たり前じゃなくなってしまうことが起こる世の中で、結局、不器用な自分にできるのは、大それたことではなく、目の前のことを、自分の周りにいる大切な人たちのことを大事にすること。一生懸命考えること。そして、大切だということを、伝えること。

現状の手助けをするために何か行動を起こすこと、それもとても大切だと思う。ただ、それと同じくらい、自分が大事にしたい人を大事にすることも、大切だ。思いを伝えるって、大切だ。

何をするにしても、自分も、gururiでも、そこを忘れず大切にしていきたい。そう思った。


I’m thinking of you.


大切な家族や恋人、友人に「いつもあなたのことを思っているよ」と伝える英語の表現。

gururiとして、寄付ができるポストカードをつくろう。現状を助けるだけじゃなく、こんな時だからこそ大切な人に思いを伝えられるものをつくろう。

そう考えた時、カードに載せる言葉として、真っ先にこの表現を選んだ。日本語ではなく、英語のこの一言。

I'm thinking of you.

「大好きだよ」「いつも思っているよ」そう真っ直ぐに日本語で伝えるのは、気恥ずかしかったり、なかなか言葉にできなかったりもする。けれどこの真っ直ぐな英語になら、カードに何も書かなくても、意味も、思いも、感情も、全部そこに乗せることができる気がしたのだ。

英語は、とても真っ直ぐだ。

真っ直ぐ、すとんと心に届く表現がたくさんある。感情を言葉に表すのは難しいけれど、こんなときだからこそ、その真っ直ぐさに力を借りよう。

カードを、送ってみませんか。大切な人に。

何も書かなくてもいいけれど、一言だけ、大袈裟じゃなくていい、「元気?」の一言だけでもいい。少しだけ書いて、送る。手で綴った言葉には、それ以上の意味や温度があると思う。

このカードが、思いを伝えるきっかけになったら嬉しい。

カードの代金は全て、現状を助けるための寄付として然るべきところへ託す予定です。

どうかそれぞれの思いが届きますように。

もし「どうして英語が好きなの?」と聞かれたら、今度はこう答えよう。

その真っ直ぐさに、助けられ、魅了されたんです。

だから、わたしは英語がとても好きです。

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