自由の新しい形

大げさなタイトルをつけましたが、先日の「サポートゲーム」の所感です。

ゲームを催したぼくにとっては、実りのあるものでした。

巻き込んでしまった方の中には、「ご迷惑をおかけしました」とお詫び申し上げるべきなのかもしれません。全員にその必要はないでしょうけれど、多少なりとも「困惑」をもたらしたのは事実だと思います。


「困惑」があるだろうことは、事前に予想できたことでした。
予想しながら始めたことについてはお詫びを申し上げます。

が、ちょっと微妙なんですが、「困惑」そのものについてはお詫びを申し上げるべきではないとも思っています。

以下、この微妙な点を述べることについて、所感としたいと思います。



「困惑」は「自由」とセットになっています。

サポート券について“不思議な感じ”と評した方がおられましたが、この感想が。それまで接したことがない「自由」とそこから生まれる「困惑」のちょうど中間的なところではないでしょうか。


お金はぼくたちにとって日常的に接する「ありふれたもの」です。お金はぼくたちに、ある種の「自由」をもたらしてくれます。そして、その「自由」を格闘するために、ぼくたちは「不自由」を受忍することになる。

つまり、通常のお金というやつには「自由」と「不自由」とがセットになっている。このセットが通常のぼくたちのお金についての感覚を形作っていますが、といって、通常、その感覚は意識されることがありません。感覚というものが、そもそも意識されないものです。


サポート券はお金ではないけれど、「お金のようなもの」です。実際に、今回はぼくが負担したわけですが、支払いが発生している。ある種の「トークン」と言っていいでしょう。

サポート券を受け取った者は、そのことを知っています。同時に、お金のセット感覚も識っていますから、自分は「支払い」をしていないのに(「不自由」を受忍していないのに)サポートをする権利を譲り受けてしまうと、セット感覚が機能不全に陥って、「不思議な感覚」もしくは「困惑」が生まれます。

このことは見方を変えれば、自由と不自由の「セット感覚」に縛られているということでもあります。

サポート券は、受け取ってしまうと、嫌がうえでも通常は意識することがない「セット感覚」が浮かび上がってくるという迷惑なシロモノです(笑)。


けれど、そのかわりに新しい自由が生まれます。


ただ、申し訳ないことなのですが、その新しい自由はぼくからはよく見えるけれど、受け取った方1人ひとりからは見えにくいものかもしれません。

縛られた感覚から解き放たれたとき、そこには多様性が出現します。個人においては、自分の反応がすべてですから多様には感じないでしょうけれど、個々人がそれぞれに違った反応をするということを視点を広げて観察すれば、そこには「新しい自由」があることが確認できる。

多様性は、自由の証です。

ぼくのポジションからは、それがよく見えます。


サポート券を受け取って、ただラッキーと思ったり。
困惑を迷惑だと受け取ったり。
別の人へ譲渡する義務感を覚えてしまったり。

どれが正しくてどれが間違いということはない。すべて正しい。ついでに言わせてもらうなら、ぼくがサポート券を発行したということもまた、「正しいこと」です。それは、ぼくが不自由を受忍することで行使した正当な権利。ただし、この「正当さ」の文脈は従来の文脈のものですが。


唯一、正しくないと思うのは、迷惑だから止めるべきだという意見です。ある方が心配してくれていましたが、ツイッターあたりでこうした企てをやると、わらわらと湧き出てくることが予想されます。

これは、自身が縛られていることを「正しいこと」として、「だからオマエも縛られているべきだ」というもの。「正しいこと」が「不自由」とセットであるという考え方。いわゆる自己責任論を導く出す感じ方。

幸いなことに、今回、そうした意見を目にすることはありませんでした。ここはクリエイティビティを謳う note ですから。さすがです ♬


「新しい自由」と敢えて大げさに言いますが、その特徴は、多様な正しさを生み出すというところにあります。多様な正しさを生み出しつつ、しかも秩序は維持されている。

これまでは、正しさは一点に集約していかなければ秩序が維持されなかった。けれどこの制約は、技術的な制約に過ぎません。

ネットのように大量の情報が迅速に伝達することができる技術を使えば、多様な正しさを生み出しつつも秩序を維持するという、従来は不可能だった芸当ができる。

縛られているのは、ぼくたち自身です。「自由」と「不自由」のセット感覚がぼくたちを縛っている。この縛りが技術的な可能性を見えなくしている。技術の新しい使い方を見逃している。

技術の発展で、それまで技術で実現していたのとは別方面での新しい可能性が生まれる。これこそ、正しい意味でのイノベーションです。


非常に拙いものではあるけれど、サポート券は、そうしたイノベーションだと自負していたりします。

サポート券を洗練させるのは、現在の技術では容易だということは見当がつきます。これはnoteのようなプラットフォームがなければ実現できないことでした。が、note自身もそのような使い方を想定してませんから、運用するとなると面倒くさいことになります。けれど、もし仮にサポート券をnoteが実装すれば、もっと便利なものになるだろうことは、容易に想像がつく。

そして、そうしたことが起きたときに、ぼくたちを縛っている「セット感覚」がどうっていくのか――これはなかなか予想が付きません。ただ、多様であることだけは間違いないでしょう。


...と、いうわけで、革新的な企みに参加したということで、困惑を覚えられた方々もご納得頂ければ幸いです (笑)

(ぶっちゃけ言えば、このテキストを書きたいがためにサポートゲームを企てたのでした...^^;)


感じるままに。