月に行く男になりたい? スーパーボランティアになりたい?

タイムラインに出てきた記事に惹かれて、

「見逃し動画」を観てみました。

で、感想を書こうと思って、思い浮かんだのが上のタイトル。(こんなだから腹黒いんだよ...w)


渋谷。さんがすごいと仰ってるけど、ぼくもすごく同感。現代のお地蔵さんだと思いました。

Wikipediaより。

地蔵菩薩に関する伝承
古代インド王の転生
『地蔵菩薩本願経』によると、昔、インドに大変慈悲深い2人の王がいた。一人は自らが仏となってから人を救おうと考え、一切智成就如来という仏になった。だが、もう一人の王は先に人を悟りの境地に渡してから自らも悟ろうと考えた。それが地蔵菩薩である。地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。


「月に行く男」も人を救おうと考えいる、らしい。

こちらは、いうなれば一切智成就如来でしょう。

かたや現代のお地蔵さんは、きっとそんな大それたことを考えてはいないと思う。けれど、考える考えないは問題じゃない、きっと。


動画の10分過ぎ。ボランティアでの昼休みのシーン。
尾畠さんにお好み焼きの差し入れをもってくる男性が登場します。男性の母が作ったという手作りのお好み焼き。お昼に、まだ暖かいうちに食べられるようにと、時間を見計らって作って持参するという心遣い。経緯は紹介されていないけれど、尾畠さんがボランティアに訪れたお宅の人なんでしょう。

受け取った尾畠さんは、あろうことか、泣き出してしまいます。

感涙の涙だということは、見ればわかる。でも正直、呆気にとられてしまいました。「ここ、泣くとこ?」

満面の笑みならわかります。というか、自分の身体の中にそのように反応する回路があることを(かろうじて)確認することができる。けれど、泣くほどの回路はちょっと見当たらなりません。

「なんなんだ、この負債感は?」


お好み焼きを持って来た男性は、きっと、「せめてもの気持ち」だったのでしょう。尾畠さんから受けた好意に報いるための。人間としてごくごく当たり前の振る舞いです。その、「ごくごく当たり前」という線でいくならば、「満面の笑み」ならわかる。でも、「感涙の涙」までいくと、どう考えても「ごくごく当たり前」の反応とは思えない。

涙が出るということは、抑圧があるということでしょう。抑圧から解放されたとき、人は涙を流す。あれだけ他人に奉仕をして、まだ抑圧が解けていない。それが心遣いの差し入れで弛んで涙になったのでしょう。

なのに尾畠さんの風情からは、ちっとも抑圧感は感じられない。

不思議です。
不思議だから、不思議な方面のことに連想が走った。
この負債感は、前世から持ち越して転生したものではなかろうか?(ここは笑うところですw)


あさってへ逝ってしまった連想はさておき、動画に映り込んだ現象です。尾畠さんの感涙に差し入れ男性の方ももらい泣きをしています。

これは、もはや救済だな、と。

“救済”なんて書くと大げさなようですが、要は「生きていてよかった」と感じられるということです。災害に見舞われて、生きていくことがつらくなっているだろうところへ、「生きていてよかった」と感じられたなら、救われたということ。

「生きていてよかった」は、人間として「ごくごく当たり前」のことが出来たときに感じられるものです。災害やその他の理由で「ごくごく当たり前」ができなくなって、生きるのが辛くなる。それが他者からの手助けで「ごくごく当たり前」へと復帰して、復帰したことが承認される。そうなることで「ごくごく当たり前」が感じられて「救済」になる。

お好み焼き差し入れのシーンはまさにその「承認」のシーンなんですが、「承認」のサインは、「笑み」であるのが「ごくごく当たり前」。「涙」は逸脱していると思う。

けれど、「涙」の承認効果は「笑み」をはるかに勝る。当の男性ばかりではなく、動画の視聴者として見ている者にも、「承認」による「救済」の効力は及ぶほど。


前澤さんが月面に降り立っても、そうした「救済」効果は望めそうにありません。ご当人はどうか知りませんが。




子供の守護・救済
菩薩は如来に次ぐ高い見地だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、その地位を退し、六道を自らの足で行脚し、救われない衆生、親より先に死去した幼い子供の霊を救い、旅を続けている。

幼い子供が親より先に死ぬと、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいない事から、三途の川を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら、石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、賽の河原に率先して足を運んでは、鬼から子供達を守り、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく逸話は有名である。

このように、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩であることから、古来より絶大な信仰の対象となっていた。

固い解説文ですが、要は、お地蔵さんは子どもたちの仏様、いや、子どもたちのために仏様にならない仏様だということなのだということでしょう。

だから、子どもたちに慕われる。

動画の最後、もう番組のエンドロールがでてくるあたりですが、子どもに慕われるシーンも出てきます。そういえば、冒頭では猫に慕われてもいましたね。

子どもや動物は、慕うべき相手をよく識っています。彼らは言葉を使えない、あるいはまだよく使えないがために、【言葉がもたらすの嘘】の影響を受けない。素直なんですね。


そういえば、動画の後半の中ほど。お役所の人たちが一躍「時の人」となった尾畠さんにお願いに上がるシーンがあります。この人達の振る舞いは【嘘】の振る舞いなのが見て取れます。

尾畠さんに用事があるのではなくて、「時の人」に用事があるのがよく観て取れる。

子どもや動物は「時の人」とか、関係ないから。


この手の【嘘】に関係がないから、庶民には絶大な支持を受ける。一方で、であるがゆえに、権威からはあまり相手にされないという特徴もある。

Wikipediaには、「地蔵菩薩を祀る寺院の例」が出ています。32寺院。もちろん、これだけではないでしょうけれど。

おなじWikipediaで観音菩薩を見てみると、こちらは「観音菩薩を祀る主な寺院」とある。その数は48。

かたや「例」で32。かたや「主な」で48。それも48は、国宝・重文が綺羅星のように並んでいます。


この違いは、おそらく、当テキストのタイトルにも同調するでしょう。

あなたがもし、どちらかになれるとしたら?
 「月に行く男」がいいか?
 スーパーボランティアがいいか?

問いを入れ替えてみましょう。

どちらが世界平和に貢献できるとあなたは考えますか?
 「月に行く男」か?
 スーパーボランティアか?
言葉を弄せずに、素直に考えてみてほしいところです。


おそらくですが、両者の問いで、多数を得る方は異なるでしょう。そして、ここに差が生まれることこそが、世界が平和にならない理由。


「月に行く男」には、誰もがなれません。
でも、多くの人がなりたいと願う。
願っても、半分もなれない。1割もなれない。

スーパーボランティアにだって、誰もがなれない。
けれど、願いさえすれば、半分か、3分の1くらいはなれるでしょう。

でも、ならない。
【言葉がもたらすの嘘】の所為で。

1割か2割の人が、「スーパーボランティア」の3分の1くらいになれば、世界平和だって。


その点、「月に行く男」は、さすがに鋭い。
お金がなくなれば世界は平和になると直観をしています。

お金こそが、【嘘】をもたらす最強の【言葉】だから。

ええ、お金は言葉です。
歴史的にずっと、商品だと思い込まれてきたけれど、本質は言葉。



ぼくがいいと思うのは...、まあ、書きぶりで察せられると思うので、書きません。ただ、この動画視聴は、ぼく自身の今後の生き方の指針に大きなサジェスチョンを与えてくれたとは、書いておきましょう。


尾畠さんも、こういうのをもらっていました。

自慢の一品です。

子どもって、こういう悦びの表し方をするんですね。時間が経つと忘れてしまうけれど。「今、ここに生きる」彼らには、これだってすごく思いがこもっている(と思いたい)。


(最後はいつものように、お金の話と自慢...^^;)

感じるままに。