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文在寅は岳飛を夢見るのか?

あるいは、鄭成功ですか?


朝鮮文明は中国文明の影響を強く受けています。
自らを小中華と自認するほどに。

岳飛とは、中華文明の歴史の中で、人気という点では関羽と並んで筆頭にあげられる人物。

岳飛が活躍した時代は、現代の中国の祖先にあたる国家が弱った南宋の時代です。北半分を北狄(女真族)に奪われたが、劣勢を挽回すべく奮戦した。が、国力の衰退は如何ともしがたく、国内でも講和派の勢力が強く、最期は講和派の宰相だった秦檜に忙殺されてしまいます。

それゆえにこそ中華文明では人気がある。信念を貫き通した人物。ナショナリズムを際立たせる存在として。


鄭成功はというと『国性爺合戦』です。近松門左衛門。そのモデルとなった実在の人物。明が滅びたときに台湾に渡って抗清活動を続けた。これまた信念の人。


では、小中華たる朝鮮文明で、岳飛や鄭成功に比肩する人物は存在するのか?


朝鮮文明は中華文明とは争わないことを基本方針としていた文明です。モンゴルを筆頭に、満州、チベット、ベトナムは抗中をアイデンティティ(ナショナリズム)とし、どの民族も一度ならず反抗をしているし、反抗どころか征中をした民族もいくつかあります。

ナショナリズムとは「抗」であり、日本とても「抗中」だからこそ「日本」なんですね。


抗中を否とした朝鮮文明が「抗」の歴史を持つ相手は、日本だけです。地勢的にそうならざるをえない。だから彼の国は、どうしても「抗日」がナショナリズムの軸となる。

では、抗日の英雄はというと、その名が聞こえてくるのは李舜臣と安重根です。韓国では、ですが。

視野を朝鮮文明へと広げると、

金日成。朝鮮民主主義人民共和国の始祖。

もっとも、金日成の実績については疑義が呈されていますが。


中国で岳飛への支持がどれほど高いかということは、岳王廟なる建物が各地に建設されている事実から窺い知れます。関帝廟・孔子廟に次ぐ勢いがあったとか。

では、韓国は? 岳王廟に相当するのは、

大韓民国国民のナショナル・アイデンティティを表象している構造物という点で。岳王廟と同様の役割を果たしているにしては、機能の仕方がずいぶん違うという印象を持ちます。


あくまで私見です。

文在寅大統領は、ハルモニ像が表象するようなナショナル・アイデンティティに不満を感じる人物ではないのか? 

だとするなら、その点においては好感が持てます。
岳飛が抱いたような朝鮮民族への「尽忠報国」の志を抱いているのでは、と考えられなくもない。

日本からの眺める文在寅像は、「いかに視点を変えずにいられるか」という人生ゲームを敗北必至の状況に陥りつつも、信念を曲げずに遂行するKO(キモいオッサン、金はあるだろう)に見えます。甚だ迷惑な人物。

けれど、迷惑というならば、秦檜から見た岳飛がそうだったろう。信念を曲げることができずに、国を勝ち目のない戦火へと巻き込もうとする度しがたい存在。

その秦檜は、中華文明が勢いを盛り返すと岳王廟の前に跪かされ、大衆から唾を吐きかけられる存在となったりします。

なんのことはない。
勢いがあるかどうかで、信念の評価が一八〇度変わるわけです。身も蓋もあったもんじゃない。


文在寅氏の、そして朝鮮民族の不運は、民族が南北に分断されていること。そして南側には岳飛がいないことでしょう。北側にしかいない。李舜臣と安重根では岳飛には及ばない。


けれど、それこそ視点を変えるならば、朝鮮民族は「抗」を持たずにやってきた民族だという言うことができます。その結果が「恨」であるとも言えるのだけれど、ヒトはそんなようなマイナスの情念だけで生きながらえていくことができるようにはなってはいない。

現に、現代では映画を筆頭に韓国の創作には、表向きの「恨」を支えている裏面の「哀」を描いた優れた作品が多いように感じています。

「哀」も一見、マイナスのようだけど、決してそうではありません。

ここnoteで取り上げた韓国映画といえば

ラストシーンの、ひとりで男を待つ女の静かで確信に満ちた佇まいは、「哀」というものの端的な形であるように思うのです。

感じるままに。