〈社会〉をつくる

『〈しあわせ〉の哲学』のその4。


人間には社会を作る能力があるのは言うまでもないことです。当たり前なんだけど、この社会というやつがなかなかの難物です。人間は社会がないと生きていけない存在。個人は、社会のあり方、社会との関わり方によって、幸不幸がたやすく翻弄されてしまう小さな存在。

誰もが幸福に、しあわせに生きたい。でも、誰もが幸福な社会は簡単に実現しそうにありません。なので、その現実を踏まえて、たとえばJ・ベンサムのような人は「最大多数の最大幸福」なんてことを言い出したりしました。功利主義というやつですね。

功利主義云々とはじめると哲学っぽくなりますが、ここでしたいのはそういうのではありません。「たいそうな話」はいい。


ネタにしたいコンテンツは『「みんなの学校」が教えてくれたこと』という本です。

人間には社会を作る能力がある。では、その能力は、幾つくらいの頃から発揮されるようになるのか?

ぼくたち「大人」の常識的な感覚からすれば、それは「社会人になってから」というものではないでしょうか。社会人が社会を作る。

よりよい社会をつくることができる社会人になるために。
よりよい社会づくりの主導的なポジションを獲得するために。
主導的なポジションからの役得を確保するために。
・・・・。

動機はいろいろとあるでしょうけれど、いずれにしたって、子どもはよりよい社会人になるために学校で「勉強」をする。しなければならない。

「勉強」をして初めて、よりよい社会をつくることができる。
これがすでに社会人になっている「大人」の常識的観念だといっていいと思います。


この本に記されていることは、そうした「大人」の「常識的観念」をひっくり返すものです。「勉強」を始めたばかりの小学生たちが、「大人」がつくる社会よりも、よほど「よりよい社会」をつくっているという実例。

こちらから、第一章の途中まで「試し読み」ができます。

是非目を通していただいて、小学生がつくる社会のイメージを捉えてみて欲しいと思います。

もっとも、本の文章は著者である元校長先生からの目線で書かれています。著者の目線に焦点を合わせて読むと、もとよりぼくたちが抱えている常識的観念と合わさって「子どもが社会をつくる」というイメージは捉えにくいかもしれません。けれど、校長先生の目線の先を想像するならば、そこには小学生たちが生き生きと自分たちの力で社会を作り上げていく姿がある。


『みんなの学校』は、ドキュメンタリーとして映像の方が先に制作されたもののようです。
(ぼくはまだ映画の方は観ることが出来ていないのですが)



社会とはなにか。
社会をつくるというのはどういうことか。

社会をつくるために必要な要件は、大きく2つです。

 1.仲間をつくる
 2.社会に役立つ能力を身につける

「秩序をつくる」ということも必要ですが、それは二の次。

では、1.と2.ではどちらが先か。

答えはいうまでもなく、1.です。1.が先で、そして最も大切なこと。そうであるがゆえに、ぼくたち「大人」は1.を当たり前のこととして見過ごしてしまっている。

「大人」の目線でいけば、新小学校一年生が入学してきてクラス編成がされて、「クラス」という集団ができれば、その集団を「ひとまとまり」として捉えます。そうした把握から出発すると、できあがっていくのは「学級王国」です。

(「学級王国」というのは『みんなの学校』に出てくる言葉です)

そして、その「学級王国」で為されるのは2.のためのトレーニング。1.はクラス編成の時点で終わっていると考えてしまうのが「大人」です。これは子どもたちからすれば「大人の都合」でしかないのだけれど、「大人の都合」に合わせることもまた2.に含まれるものとして学校ではトレーニングされることになります。

学校とは「大人の都合」に適合する能力を発揮できる子どもを育成する場所。

でも、本書の舞台となっている大空小学校は、そのような「学校」とは違います。「大人の都合」を引っ込めると、子どもたちは仲間を作っていきます。

中には仲間になりづらい子もいます。でも大人がうまく仲介すれば、つまりは、仲間への障壁を「取り除く」のではなくて、障壁に注意を促してやりさえすれば、あとは子どもたちが自分たちの能力を発揮して仲間になっていく。

それは、最も基礎的な意味で「社会をつくる」のだと言っていいと思います。


「みんなでつくる みんなの学校」だなんて、「大人」が口にすればスローガンになってしまうのが「ふつう」でしょう。そうした言葉の使い方ができるようになることが「大人」になるということでもある。けれど、本書によれば、まだそうした能力が身につけていないであろう子どもが、その言葉を発します。

掛け値なしに言葉どおり、ということでしょう。



脱線しますが、『みんなの学校』を読んで連想したものがあります。

これとか。

あるいは、これとか。


「仲間をつくる」ことは「社会をつくる」ことだという目線で見るならば、こうしたアニメ作品もまた「社会をつくる」ことを描いたものだと観ることが出来ます。学校が社会ではない。社会を作るための場でしかない。

(ほかにいろいろ作品はあるのでしょうが、オッサンにはこの程度しか思い浮かびませんww)

『涼宮』では、宇宙人と未来人と異世界人とふつうの人間とが、社会を作ってしまいます。面白さは萌え要素とかいろいろありますが、観ていてもっとも心地よく感じるのは、キャラクターたちの「社会づくり」だという気がします。恋愛ももちろん、社会づくりの一要素です。

『けいおん』はふつうのJKたちの「社会づくり」です。これも観ておもうのは、2.よりも1.が先、だということです。仲間づくりがうまく行って、その次にバンドとしての成果が生まれてくる。大切なのは1.だということがよくわかる。

こうした作品が強く支持されるのは、

 仲間作り > 能力育成

という骨格がしっかりしているからではないかと気がします。他に超有名なところでは、『ワンピース』もそうでしょう。


これは時代の要請なのだろうと思います。というのも、ぼくなどがよく観た作品、たとえば『ガンダム』の初期の頃のものなどは、必ずしも

 仲間づくり >能力育成

という骨格ではなかった。『ガンダム』に登場するニュータイプという能力者が示唆するところは、「仲間作りにも能力が必要」というところでしょう。つまり

 仲間作り <= 能力育成

が骨格だった。そして、その骨格は破綻していく。
そういう時代だったのでしょう。


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愚慫

〈しあわせ〉の哲学

コメント3件

こんにちは、冬穂です。「みんなの学校…」ご紹介いただき、早速映画観て来ました。画面に広がった大空小学校は、子どもの学校だけど、私たち大人に社会(仲間)作りを教えてくれる学びの先生みたいな学校でした。会場に、木村元校長先生と梶谷さんという東大の先生が来ていましたが、一度も壇上にあがることなく観衆と一緒の席で一緒に観て話して、帰っていかれました。そう言う会の雰囲気もとても良かったです。愚慫さんが書かれてらっしゃるように、社会(仲間)は作るものだったんです。私はいつも社会に入れるか、排除されるかなんてことばかり考えていましたから目から鱗です。
続きです。エピソードの中で、1/2成人式のシーン、子どもたちがひとりひとり、自分の事を語るのですが、将来の夢とか今努力している事とか、その時に感極まって泣きそうになるんです。なんてピュアなんだろう、あれだったら自分の進みたい方向が分からないって悩む大人にはけしてならないだろうな、みんなそういう風に育っていってほしいなって思いました。そんでもって、私もいままであまりやったことなかった「仲間づくり」、考えています、良いお手本があるから出来るかなって。長くなってしまいましたが、響く本のご紹介、ありがとうございました。
冬穂さん、コメントありがとうございます。
映画の方もご覧になったのですね。こちらは先を越されました♬

そうです、社会は「作るもの」です。そのことは、かくいうぼくも気がついたのは最近のこと。ぼくもずっと会はその中にいかに上手く入り込むかという視線で捉えていました。

社会は「作るもの」であり、ぼくたちにはその能力が生まれながらに備わっているのだと考え、自身の過去を思い返してみれば、多少なりとも「社会を作る」ことはしているのだと改めて気がつきます。毒多さんとやり取りはその一つ。冬穂さんとだって社会を作ることができるはずです。

もちろん「社会に入る」ことはそれ以上にたくさんしてきた。ぼくたちは生まれ落ちたときからすでに何らかの社会(家族・地域・国家)の中にいるわけですから「社会に入る」ことは嫌でもやめられない。けれど、「社会を作る」こともできるのだと思えば、すでにして存在する社会の中でも上手く生きて行く方法が見つかるのではないかと思います。自分に正直に、素直になれば。
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