理不尽の核心

あ~あ、見てしまった。

今日はいったん「直」から離れて別の話を書くつもりだったのですけどね。

上掲の記事を読んで、気分が変わりました。

「彼」はなぜ、育ての親を襲わなかったのか?
この問いは「彼」がなぜ子どもを襲ったのかという問いと裏表。

この【裏表】こそが、人間の世界に起きる理不尽な現象の核心と言うべき箇所です。


「直」とは、人間がどうしても抱えてしまう表裏をなくする〈勇気〉のことだと言えます。そして、そう言い換えると、

(https://twitter.com/akubiharubiyori/status/1128033565881462784?s=21)

とが同じ心の機制であることがわかります。


「彼」が育ての親を襲わず子どもたちを襲ったのは、「彼」が〈勇気〉を持つことができなかったからだということができる。

つまり、「直」とは、復讐だとも言える。やられた相手にやり返す。しっぺ返しをする。その勇気を持つことが「直」。

ところが人間はこの〈勇気〉を持つことがなかなか難しい。動物なら、いとも簡単に「直」をやってのける(と人間は想像する)。

事実は必ずしもそうではないのだけれど。


誰からも顧みられることがなかった「彼」。

それは皮肉にも岩崎容疑者の「顔写真」に象徴されている。

報道で繰り返し映し出されるのは制服姿のままの中学生の岩崎容疑者である。以来、10代後半、20代、30代……50代の今に至るまでの写真がない。

中学卒業後から30数年間、友人たちとの集合写真も一枚もなく、たぶん家族写真すらも撮ることがなかっただろう人生とは一体どんなものだったのだろうか。

そんな境遇の人間が〈勇気〉を持つことなどできるか?
「彼」を批判する人間ならできるか?

できるわけがないと断言できます。
彼らの言動が、その証拠。
その言動は「打落水狗」に過ぎない。
弱い存在、反撃することができない存在だから、安心して打つことができる。そんなのが〈勇気〉であるわけがないし、〈勇気〉ある人間ならそんな行動をするわけがない。

〈勇気〉のない人間が、不運にも〈勇気〉が必要な状況に陥って、でも持てずにいる人間に対して「勇気を出せよww」と批判する。あるいは嗤う。

ダブルスタンダードでハラスメントで、理不尽で、卑怯です。



「彼」はなぜ、育ての親を襲わなかったのか?
〈勇気〉を持つことができなかったからでしょう。
〈勇気〉を持つことができなかったということは、アドラー流の言い方でいえば、それが「ライフスタイル」だったということです。

「彼」はその「ライフスタイル」を育ての親から引き継いだ。報道されているところでは、「彼」の伯父夫妻は、まだ子どもで反撃することができない「彼」を(合法的に)攻撃していたらしい。

反撃できない攻撃に曝されつづけると、心は折れます。ここはもはや、周知の事実でしょう。

心が折れて、そのまま素直に(?)死んでしまえるなら、あるいはまだ救われるかもしれません。でも、そうはいかない。心が折れても、まだ〈生〉は存続しつづける。

折れた心と〈生〉の衝動との「逆接」が生み出すのが【慍】、すなわち「セルフネグレクト」です。

【慍】となった衝動は、反撃することができない対象へと向かいます。

「彼」が小学生を襲ったように。
「彼」の育ての親が「彼」を襲ったように。
発言力の大きな人間が「ひとりで死ねよ!」と批判するように。
欠陥品だと切り捨てるように。

どれもこれも、すべて【裏表】です。


川崎登戸の事件で言えば岩崎容疑者自身も、行政に相談しながらもアドバイス以上の支援を断った伯父夫妻も「自分にダメージを与える」といった意味では広義の「セルフネグレクト」状態だったと言えよう。

子どもの頃は、岩崎容疑者が遠慮しながら生活していただろう伯父夫妻との関係も、時が経つにつれいつしか立場が逆転し、まるで小さな帝国の中で岩崎容疑者が君臨、支配する形に変容していただろう。

伯父夫妻は問題が起きぬよう、言われた通りに食事を用意し、お金を渡していた状況が容易に想像できる。この関係には愛や信頼関係がベースにあるわけではない。あるのは恐怖と諦めだ。でもそこから抜け出せない。破綻することは見えていても、だ。

こうした現象が「小さな帝国」のなかでしか起きないと考えるなら、それは矮小化だと言わざるをえません。

「小さな帝国」で起きたことは、「大きな社会」で起きていることの端的な表れに過ぎない。波立つ水面に、ときに巨大な三角波が出現することがあるのと同様の現象です。



幸いと言っていいのか、不幸と言うべきなのか、ぼくたちが棲息する「大きな社会」は、まだ諦めには至っていません。恐怖は「未来への希望」に置き換えられることで、隠蔽されているから。経済成長という神話に。

とはいえ、そこから抜け出せないのは同じです。破綻することは見えていても、〈勇気〉が持てない限りは抜け出せない。

けれど、その逆も成立するんです。
〈勇気〉を持つことさえできれば、抜けだす道は見えてくる。

これは人間の原理です。
範囲が大小を問わず、等しく作動する――と、ぼくは信じています。




感じるままに。