見出し画像

私を懐かしんでもらうために

僕の妻は、僕とは別にこのnoteに文章を書き込んでいます。その妻の昨日の記事を読んでいて、ぐっとくる言葉に出会いました。

「(私がnoteを始めた理由として)密かに、もし私に万が一のことがあった時に、家族が私を懐かしむ場になればとの思いもあったのですが、まさかこんなにすぐにクローズアップされることになるとは思いませんでした。」

この文章が登場する文脈は、「検診で50歳を超えてから子宮筋腫を指摘されたので、もしかしたら悪性かもしれないという不安な状態に置かれたのだけれど、結局なにもなくてホッとした」というものだったのですが、「私を懐かしむ」という言葉が、僕の心に響いたのでした。

「人間最後の言葉」という本があるのをご存じでしょうか?(クロード・アヴリーヌ 著 筑摩叢書)。アマゾンで今検索しても中古しか出てこないので、おそらく絶版になっているのだと思います。この中には、古今東西の歴史上の人物が最後に残した言葉が収められています。その中には、あまりにも有名なベートーヴェンの「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」もありますし、マーラーの「モーツァルト!モーツァルト!」もあるのですけれど、その中で僕が忘れることのできない言葉が

「私、自分を懐かしんでいるの」

なのです。

これが一体だれが発した言葉なのか、それはすっかり忘れてしまっているのですが、この短い言葉が有する万感の想いに、18歳の僕は驚嘆したのでした。以後、40年の間ずっと忘れられずに来ているのです。

そして、はからずも自分の妻の文章のなかに「私を懐かしむ」という言葉を見た瞬間、この言葉の中にある、「時空を超える人の想いの愛おしさ」に心を動かされたのでした。

僕は、このnoteには大阪の思い出話だけを書こうと思っていました。それを偶然見つけた人に楽しんでもらえさえすればいいと。

でも、考えを変えることにします。

僕が僕を懐かしむために、そして子供たちが僕を懐かしむために

文章を書いていこう、と思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?