オキナワンロックドリフターvol.78

いろんな意味でもやもや感が残る土曜の夜を過ごしたせいか、ゲストハウスに戻ってもなかなか寝付けなかった。おまけに少し寒気がした。
帰り際にコンビニで買っておいたさんぴん茶を沸かして飲み、体を温めつつ朝ごはん用にとっておいたキャサリンのチャーハンを食べた。お!確かに冷めても美味しい。醤油のみのシンプルな味付けながらポン菓子みたいな食感になった玄米の表面と中のむっちり感、細かく刻まれた野菜のしゃっきり感がおいしいチャーハンだった。
食べたら少しだけ元気になった。時計を見ると朝9時半。10時になったらスタッフの野口さんが清掃に来るので邪魔にならないようにゲストハウスを出た。
しばらく散歩するかと思い、中の町やグランド通りをしばらく歩いた。
グランド通りを抜け、園田付近を歩くと一昨年気になっていた店は皆閉店しており、空き店舗や別の店になって落胆した。
年々空き店舗が増えていくコザの街。空き店舗が増えるたびに街はだんだん閉塞感を増していく。次、来る時はどうなっているのだろう。
骨身にしみるような冷たい海風を感じながらコザの街の今後を余計なお世話ながら憂いた。
かなり散歩したからなのか体が温まってきた。お腹もすいたし、どこかで食べよう。と、その前に……。
私はオーシャンに寄ろうと思い、ゲート通りまで足を早めた。
お久しぶりですと挨拶するとヤッシーさんは露骨に顔をしかめた。
「お前またここに来たのかー」
相変わらずの塩対応に肩をすくめながら店内を見回すと……あれ?
タコスの値段が書かれたポップが貼られていた。しかもやや高いぞ。かなりの強気設定だ。
「え。タコス始めたのですか?しかも高いよ」
高いという言葉にむっとしたのか少し眉をしかめつつもヤッシーさんはどや顔だ。
「文句は食ってから言え」
相当な自信だ。とりあえずタコスを2ピースオーダーした。
ヤッシーさんが厨房に引っ込んでいる間、タコスとビールを楽しんでいる顔見知りの常連客の方が二人いたので話しかけてみた。
呆れたような顔で「また来たねー」と言われてしまったものの、隣の席に座ってと促された。
常連客の方と世間話をしていたら、なんと、JETのマネージャーだったハブさんは東京にいるという。
なんでまた?と困惑していると、「沖縄では食べて行けなかったからね、仕方ないよー」と返された。
飄々としていて、何の仕事をやっているかわからなかったハブさん。色々大変だったのだろう。ハブさんがビール飲みつつ問わず語りする街の話やオキナワンロックの話が好きだったのでハブさんの不在は残念でならなかった。
ハブさんは相変わらずAサインのワッペンのついたGジャン姿なんだろうか。ハブさんがいつもの格好で東京の街にいる姿を夢想していたら、無造作にタコスののった皿が置かれた。
作りながら常連客の方々と私の話を聞いていたのだろう、ヤッシーさんは「ハブは俺たちが東京に戻した」と仏頂面だ。
ハブさんの胸中を考えたら複雑だが、コザに居続けて疲弊するよりはそっちのほうがいいかもしれないなと思いながら皿の上のタコスを見た。
他の店のタコスより大振りなそれは、薄く、ぱりっとした皮にタコミート、レタス、刻みトマト、オレンジ色したチェダーチーズが詰まっていた。
さて、がぶりと一口。う、うまい!
タコミートはやや濃いめの味付け、しかし、新鮮な野菜とマッチしていた。
何よりの決め手は手作りの皮。薄く、ぱりっとした皮は噛むと口の中でほろりと溶け、とうもろこしの微かな甘味がした。
「何これ、ヤッシーさん、おいしい!美味しすぎる」と絶賛するとヤッシーさんは当然といった顔だ。
しかし、ヤッシーさんのどや顔にも納得できるくらいのクオリティだ。特に皮の歯触りはオーシャンのタコス唯一無二のものといっても過言ではない。
こうして私は、コザリピーターが大絶賛するオーシャンのタコスを苦節4年にして味わうことができた。
念願のタコスを堪能し、腹ごなしの散歩として夕方近くになった。急いでゲストハウスに戻ってシャワーを浴びて着替え、Mr.スティービーさんのライブのある那覇へ。
と、その前に。歩いたからか空腹になったので再びオーシャンへ。
「おまえ、また来たのか!」
呆れ果てるヤッシーさんを無視し、次にオーダーしたのは焼き飯。
タコスを感無量で堪能していたら、「焼き飯もお勧めだよ」と常連客の方々に耳打ちされたからだ。
茶褐色のてんこもりな焼き飯は、タコミートを使っているからか少々ぴり辛。刻み玉ねぎの甘さとレタスの苦味がタコミートと隠し味の醤油のこげた風味がマッチした焼き飯だった。
一心不乱に平らげる私をヤッシーさんは「おまえ、本当に夢中で食べるよな」と呆れながら見ていたが、美味しいのだから仕方ない。
がっつりした焼き飯で腹がくちくなったら、いざ、胡屋バス停へ。
バスとモノレールを乗り継いでやっとこさ牧志に到着。
冬の夜の那覇はすっかり冷え込んでいた。
オレンジ色のフリースジャケットをすっぽりかぶって"AS TIME"を探すも見つからず、仕方なく交番にて道を尋ねる。
地図をもらってどうにかこうにか到着。
"AS TIME"はこじんまりとしたバーだった。
スクリーンにはモノクロームの古い映画が映し出されている。
スティービーさん、グッシーさんは食事タイム。
おいしそうなチキンカツをぱくついていて、焼き飯食べずにこのチキンカツ頼めば良かったかなと思うくらいだった。
スティービーさんとグッシーさんに手土産を渡しつつ、一礼。スティービーさんは目を丸くしつつ歓待してくれた。
ライブまでの間、お二方と話をする。
ちょうどその時、店内ではジョン・レノンの「マザー」が流れていた。
店内をジョンの泣き叫ぶように母を乞い、恨み、愛す歌声が覆う。
その弾みでお二方とビートルズ談義へ。
ビートルズについてのバックグラウンドは、幼い頃、母親に誕生日に買ってもらった正津勉氏著の「ビートルズ 世界をゆるがした少年(ガキ)たち」で勉強はしたものの、所詮は付け焼刃でしかない。
知ったかぶってたいへん恥ずかしい結果になる。
しかし、スティービーさんはフォローしてくださり、グッシーさんはにこにこと聞いてくださった。うれしい。
グッシーさんとはユーミン談義で盛り上がった。
お風邪を召されていて長くお話は出来なかったが、グッシーさんは実家の布団店にて紅芋アップルパイを販売しているという(現在は残念ながら閉業)、スティービーさんが大絶賛するグッシーさんの紅芋アップルパイは是非とも食さねばと誓った(また食い物かよ)

さて、1月28日のライブでのスティービーさんのライブのセットリストを。

(1st STAGE)

1.Billy Joel"The Stranger"

2.Billy Joel "New York State of Mind"

3.Billy Joel "Just the way you are"

4.John Lennon "Woman"

5.John Lennon "Starting Over"

6.the Beatles "Let it be"

休憩を二十分ほど挟んで2nd stageへ

今度は日本のポップスも入れておりました。

  1. Crystal Gayle "Don't It Make My Brown Eyes Blue "

2.Christopher Cross "ニューヨーク・シティ・セレナーデ Arthur's Theme (Best That You Can Do) "

3.森山直太郎 「さくら」

4.Island "Stay with me"(!!)

5.杏里「オリビアを聴きながら」(ただしうろ覚え)

6.尾崎紀世彦「また会う日まで」

観客動員はいまひとつだったものの、とても充実したライブで、スティービーさんが知る人ぞ知るエンターテイナーなのが沖縄リピーターとして非常に歯がゆくなるくらいだった。

個人的にもう一度聴きたいのが"The Strenger"である。
スティービーさんはスタッカートの使い方に個性がある。
唄い方はビリー・ジョエルのそれをコピーしているが持ち前の爽やかな声質と歯切れよきスタッカートが独自の工夫がされていて心地よいのである。
ジョン・レノンの「スターティングオーバー」もオリジナルよりも温かみがあり、オフ・ブロードウェイのミュージカルナンバーのように切々と、なおかつ暖かみある唄いかただった。
そして森山直太郎氏の「さくら」。
森山さんのファンの皆様には大変申し訳ないのだが、オリジナルは過剰なビブラートと森山さんの声質が苦手で受け付けない曲だった。
なのにスティービーさんが唄うとするりと受け入れられ、歌詞の一句一句も堪能したくなる。
なんというのか。例えるならば。大嫌いなにんじんなのにブイヨンでことこと煮られ、新鮮なバターソースをかけたおいしいにんじんのグラッセを食べたらにんじんが好きになったような感じというのか。
さらになんと。アイランドの"Stay with me"もカバー。
キーは下げてあるし、スティービーさん独特のスタッカートが好き嫌いわかれる“Stay with me”だったが感極まって泣いてしまった。
スティービーさんからは「まだ早い。まだまいきーは正男さんのを生で聴いてないでしょ?オリジナルを聴かないと」と、苦笑いされてしまった。とはいうものの、だいぶ癒されたのは事実であった。
そして宴は終焉。
時刻は夜の0時近かった。ああ、どうしよう。もうバスはない。タクシー!?もう割増料金必至の時間だ。いくらかかるんだろう!
思わずスティービーさんに「何かを訴えかける眼差し」をしてしまった。
スティービーさんは困ったような顔をしつつ、「わかった。まいきー、送るよ」と駐車場まで手を引かれた。
帰りはスティービーさんの車に乗せていただくことになった。スティービーさんの車は、古いながらもよく磨かれた車体が印象的な赤い車で、スティービーさんがいかにこの車を大事にしているかがよくわかった。
車に乗り込み、スティービーさんと長い話をした。
城間兄弟のこと、コザの音楽事情、これからのコザのこと。
やはり地元の人視点でのコザの現状は私たち旅人の視点よりシビアだ。コザの街のパイは小さくなる一方。しかし、スティービーさんは前向きだ。考えつつ行動に移し、何ができるか模索している。サングラス越しのまっすぐな瞳が記憶に焼きついたほどだ。
つい、そんなスティービーさんに声をかけた。
「スティービーさん、スティービーさんをあにさんと呼んでもいいですか?」
スティービーさんは呆気にとられたのか、あんぐりと口を開け、「僕は落語はやらないよー」と苦笑いしながらも快諾された。
それ以来、スティービーさんは頼もしい『あにさん』になった。
噺家じゃあるまいし、あにさんはないだろと思うが、師匠にしてはフレンドリー、先輩というのもちと違う。だから、親しみと敬意をこめてスティービーさんをあにさんと呼び、今も逢うとあにさんと声をかける。
スティービーさんの赤い車はネオンに飾られた那覇の街、浦添の眠り支度を始めた静かな住宅地、オレンジ色のライト点る宜野湾の道路を滑らかな運転で進んでいき、コザへと近づいていった。
日曜の夜のコザは眠りと活気が同居していた。
パルミラ通りには車を停める場所がないので、スティービーさんにデイゴホテルで降ろしていただいた。
スティービーさんと握手を交わして別れを告げ、宿へと戻る。
夜風は冷たさを増し、すっかり体は冷えきってしまった。寒さに震え、軽くくしゃみして私はコザクラ荘への階段を上った。

(オキナワンロックドリフターvol.79へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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