オキナワンロックドリフターvol.30

目を覚ましたのは午前10時だった。思い切り伸びをし、遅い朝の散歩と思い、嘉間良からグランド通りまで歩くことにした。
ゲート通りや中の町、諸見百軒通りとはまた違う雰囲気で、歩きながら見つけた24時間喫茶やスナック、街の電気屋さんといった小さな家電店に目を細めた。
コザ滞在最後の昼食はコザ食堂で。栄子マーマーに先日の取り乱しのお詫びをすると大笑いされ、「気にしなくていいさー。いつか。正男さんに会えるといいね。その時は正男さんをしっかり怒りなさいよ!」と励ましてくださった。
オーダーしたのはゴーヤーチャンプルー。ゴーヤーがこれでもかと入ったチャンプルーは、ランチョンミートの塩気、ゴーヤーの苦味、島豆腐のぽってりとした食感と微かな甘味がご飯にぴったりだった。
「またきます!」
帰り際、栄子マーマーに挨拶すると、マーマーから握手を求められた。少しひんやりした柔らかな手だった。
さて、最後の日だからコザをゆっくり巡回しようと思った。
パークアベニュー、パルミラ通り、一番街、ゲート通り、中の町、園田、諸見百軒通り、島袋三叉路をてくてく歩き、いつかまたコザに帰れますようにと願った。
かなり歩いて汗をかき、デイゴホテルで500円払えばお風呂に入れるとクチコミサイトで知り、パークアベニューの古着屋で着替え代わりのパーカーを買って、コリンザ内の100均でタオルと袋と下着を買い、お風呂に入ることにした。
元来の冷え性だからシャワーだとすぐ体が冷える体質。初日以来の湯船は冷えた体を温めてくれたので私は思い切りハイビスカスの香りのする大浴場で長湯を楽しみ、コインランドリーで汗で汚れた服を洗った。
一旦嘉間良に戻り、コインランドリーで洗濯し乾燥した服をバッグに詰めるといざ、夜遊び開始だ。
時計の針は午後19時をさしている。最後の夜を満喫しようと私はゲート通りまで早歩きした。
まずはオーシャンから。
ヤッシーさんは私を見ると相変わらずの塩対応になった。ここまでいくと清々しい。
おずおずとダメ元でタコスはないかと尋ねてみた。
ヤッシーさんはきっぱりと、「ない!」
ああ、結局タコスにありつけなかったかと落胆していると……。
「けれど、今日はクラブハウスサンドならあるぞ」とにやりと笑いどや顔だ。
即決でクラブハウスサンドをオーダーした。
ゆんたくしていた常連客の方々数名が、「良かったねー」、「おめでとう!」と拍手をされたのがなんだか可笑しくもこそばゆかった。
ヤッシーさんは厨房へ消えた。
待つこと30分だろうか、沖縄のローカルニュースを常連客のみなさんとツッコミいれつつ見ながらクラブハウスサンドを待ち焦がれた。
ヤッシーさんが無造作に置いたクラブハウスサンドは、ヤッシーさんの態度に反比例して丁寧に作られていて、カリカリにトーストされたパンにレタス、ベーコン、薄焼き卵、トマトが挟まれていた。
「食ったらとっとと出ていけ!」というヤッシーさんの言葉に間髪いれずにがぶり。
美味しい!トーストの香ばしさにカリカリ気味に焼かれたベーコンの塩気と脂、トマトの酸味、薄焼き卵の優しさ、レタスのしゃっきりした歯触りと瑞々しさが絶妙のバランスだった。それでいて、カントリークラブや大きくはないけれど昔からあるアットホームなホテルで出されるサンドイッチさながらのカジュアルな中にもほんのりとした品のよい味わいなのだから驚くほかない。
釣られてか、常連客の方々もクラブハウスサンドをオーダーし始めた。
クラブハウスサンドを堪能して腹がくちくなったので、さんぴん茶を一息で飲んでお暇することに。
「明日、熊本に帰ります。ヤッシーさんお元気で!」
私の言葉にヤッシーさんは。
「お前なんかしらん!内地にさっさと帰れ!」と通常運転の塩対応である。
また来てやる!と思いながら私は一礼した。
さて、最後の夜をどう過ごそうと思いながら私はゲート通りをうろついた。
歩道橋に上り、そこから街の灯りをしばらく見ていた。
ネオンとテールライトの光の珠がコザの夜に散りばめられていく。
今度はいつ来られるのだろうか?歩道橋からゲート通りを眺めながら、寂しさに少し切なくなった。
時間は限られている。最後の夜を悔いのないよう楽しもう。 私はまずジェイソンに会うべく、セブンスヘブンコザに行くことにした。
ウチナータイムが適用されたかのようになかなかライブが始まらないセブンスには珍しく、この日は早い時間にライブが行われた。
ジェイソンの姿を見つけると手を振り、ジェイソンも私に手を振り返した。
「何にする?」
「モスコミュール」
「わかった。あまりはしゃぎすぎるなよ!」
ジェイソンの作るモスコミュールはジンジャーエールの甘辛さとウォッカの味わいがいいバランスだった。
しみじみとモスコミュールを味わっているとライブが始まった。アメリカ兵の野太い歓声とモッシュが始まる。ぶつかって怪我をしたくないので後ろの席で遠巻きに8-ballを眺めた。
レイさんのボーカルはやや線が細いものの、アメリカ兵のモチベーションを歌とパフォーマンスで上げている。クリスさんのベースは相変わらず音数が多かったが、激しい曲を支える柱となり、レオンさんのドラムは軽妙かつ曲の土台を作り上げ、圭一さんのギターも歌心が芽吹いていた。
ライブの1ステージ目が終わると、私は8-ballの皆さんに黙礼し、ジェイソンに手を振り、セブンスヘブンを後にした。
フィリピン人ホステスのガールズトーク、アメリカ兵と彼らの好みに合わせた服装とメイクでしなだれかかる女性のはしゃぎ声、中の町で遊んできたであろう泥酔した地元のおとーたちの調子っぱずれな歌声、炭火の煙といい匂いをさせながら焼ける肉の音、三線を出鱈目に爪弾きながら小銭をせびるおじいの怒声。コザならではの音に囲まれながら私はJETへ足を早めた。
黒い扉の向こうはしんと静まり返っていた。1ステージを終えて休憩時間に入ったのだろう。
私は、そっと扉を開け、薄暗い階段を上った。
その夜のJETは地元客6:外国人4という割合だった。
私は、地元客と談笑しているターキーさん、ジミーさん、コーチャンに一礼した。
すると、Aサインのワッペンが縫い込まれたGジャンを着た、栄養失調気味のばんばひろふみ氏といった風貌の男性が近づいていく。ハブさんだ。
「よう、久しぶり!」とハブさんに声をかけられたので私も会釈した。
「いつから来たの?」とハブさんに問われたので私は2月28日から来て明日帰るのだと答えた。
ハブさんは「結構長くいたねー」と呟くと、私の肩をポンと叩き、「ゆっくり楽しんで」と手を振られた。JETのメンバーに会釈すると、ターキーさんは軽く手を振り、コーチャンはビールを手にした右手を上げ、ジミーさんは軽く会釈して微笑まれた。
さて、ライブが始まる。お三方はステージに上がり、演奏を始めた。
一曲目はジミーさん作曲の“Cool Cats”である。
酒焼けしたブルースマンの歌声と評されたジミーさんのギターの音が店内を包んでいく。
また、私の心は70年代のコザにタイムスリップしていった。

(オキナワンロックドリフターvol.31へ続く……)

文責・コサイミキ

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