オキナワンロックドリフターvol.74

清正さんの計らいで『伝説から未来へ……オキナワン・ロック・ヒストリー』を観賞することになった。
来店されたお客さんもスクリーンをじっと見ており、図らずしもオキナワンロックお宝映像上映会となった。
冒頭、嘉手納基地から離陸する戦闘機や60年代70年代沖縄の風景とともに紫が演奏するHighway Starが流れた瞬間から血が騒ぎ、顔がにやけた。さっちゃんはそんな私を相変わらずだなと呆れながらも微笑みながら見ていて、清正さんは「あんたなら絶対観たがる映像だなって思ったけれどやっぱりね。嬉しそうな顔してるよ」と肩をすくめながらも笑っていた。
冒頭の、演奏を終え、つかの間の観光を楽しんでいるのだろうか渋谷の街の雑踏の中にいるオキナワンロッカーたちの姿に被さるナレーションは申し訳ないけれどハードボイルド小説かとツッコミたくなるようなナレーションで笑いがこみ上げてきた。
さっちゃんは心持ち前のめりになりながらスクリーンを見つめている。
オープニングが終わり、CMが明けると、“オキナワンロックの父”と呼ばれる某重鎮のインタビューのくだりになると、少し空気が澱んだ。清正さんがぽつりと、「あー、沖縄ロックの父だよ」と呟いた際に間髪入れずに「バッハかハイドン気取りかよ」と私がぼやいた途端、さっちゃんが噴き出し、清正さんはたしなめながらも笑っていた。
しかし、下地さんと元マリーwithMedusaの天願賢盛さんのインタビューは貴重だった。40年代生まれのオキナワンロッカーは多かれ少なかれベンチャーズの影響が強いのだなと勉強になった。
他にも琉球大学教授高良倉吉氏によるオキナワンロックについての歴史とルーツの分析等はなかなか興味深く、なおかつ他の地域ではこういう特番は組まれないよなと沖縄と音楽の親和性の強さを少し羨ましく思った。
高良教授のインタビューが終わると、JETによるGolden Earringの“Rader Love”の演奏が流れる。90年代後半のジミーさんはまだ髪が黒々していて恰幅が良かった。“Rader Love”を聴くと、JETで踊った04年の春を思い出す。ターキー、ジミー、コーチャンの無敵の3ピースは、70年代のコザの匂いを与えてくれた。
食い入るように見るうちにいつのまにか涙が滲んだ。
JETの演奏が終わり、基地の門前町としてのコザ、基地の街の落とし子であるハーフの子どもたちが成長し、オキナワンロックを牽引していく様が解説され、そのあとに……。
「ほら、あんたのお待ちかね」
清正さんは私の肩をつつき、スクリーンを指差された。首を傾げつつ観ると、なんと、城間兄弟がJETとジョージさんの演奏で“Stay with me”を唄っているではないか。既にIslandは解散したのでこのラインナップでの演奏なんだなと納得はしたものの……。
しばらくあんぐりと口を開けたくなったのは俊雄さんの出で立ちである。シフォン生地だろうか?黒のシャツは体のラインがもろに透けていた。大神源太かよ!とツッコミいれたくなる服装もさることながら、2番を唄う俊雄さんの妙なふわふわ感は、数時間前に会った俊雄さんの危うさを思い出させて気を滅入らせた。しかし、俊雄さんの歌声は喋る時と違い、やや金属的なハイトーンボイスでそれが知れたのは収穫だった。
しかし、さっちゃんもかなり辛辣である。「透けてるし!まいきーは嬉しいかもしれないけどこれきつい!しかも俊雄さんパツパツだよ!」と正直にツッコミを入れ、「そりゃないよ!一応ファンだけれど、それでもこの服装はないと思うわ」と返す私を見て清正さんはくっくっと笑われた。
場面は変わり、沖縄ジャズ協会の演奏やかっちゃんのインタビューになった。
以前、教えてもらったが、さっちゃんは“Jack Nastys”で短い間だけとはいえバイトしたことがある。さっちゃんは、かっちゃんのインタビューを見ながらミュージシャンとしてのかっちゃんへの敬意と経営者としてのかっちゃんへの落胆を語った。私たちは、色々あったことを思い出したのか微かながらも怒気を含めた声色のさっちゃんにこう答えた。
「た、大変だったね。さっちゃん。でも、かっちゃんの下で働くって凄い経験だよ」
「そうさ、まいきーの言うとおり。あの店でバイトするだけでも君は強い子だよ」
そう慰める私たちを交互に見ながらさっちゃんは照れ笑いをした。さっちゃんはやはり笑顔が美しい。同性だけれどやはり綺麗だなあと思う。「どうしたの?」とこちらを見るさっちゃんに正直にそう話したらさっちゃんは嬉しそうに微笑み返しをした。
「あんたは良くも悪くも思うことをポンポンいうよねー。俺にもそうだけれど」と、清正さんに呆れられた。
ジョージ紫プロジェクトの元ボーカル兼ベースのウィリーさんが唄う映像が入り、音源ではいくつか聴いたことはあるものの初めて動くウィリーさんの姿が見れた。
清正さんはまた喫煙を再開されたのか、煙草を吸い、コウスケさんとユウジさんを呼び寄せて耳打ちされた。なんだろう?
特番は中盤を終えた。CMに入ると、まだほっそりとしていた頃のレオナルド・ディカプリオが出ている携帯のCMが流れた。
「なつかしー!」私とさっちゃんは同時に呟いてしまい、それがおかしくて笑ってしまった。
今でこそプリンの塊みたいな体つきになったディカプリオだが90年代後半のディカプリオは本当に世界を魅了した美少年だったなあと、さっちゃんと好きなディカプリオ主演作品を語りながら目を細めているとまた本編に切り替わった。番組内で上京し、働かれているチビさんの娘さんとチビさんが再会されるくだりがあり、スクリーンに映るかなりの美人なチビさんの娘さんを見ていると、接客が一段落されたリナママさんがやってきてチビさんに関するトリビアを披露された。それにより、チビさんが思いの外ロマンチストなのがわかった。さらに、清正さんがチビさんの若い頃はかなりモテていたことを教えてくださった。
確かに、オリジナル紫時代のチビさんは黒髪のレイフ・ギャレットと例えたくなるくらいアイドルっぽいルックスだったもんなと脳内再生された紫再結成ドキュメントでの映像と、スクリーン内の、若い頃のチビさんの面影があるチビさんの娘さんの容姿を交互に見比べながら思った。
特番は終盤へと向かっていき、ジョージさんのインタビューや、まだ7th Heaven Kozaを営む前のレイさんとレオンさんのインタビューが流れた。インタビューのでのレイさんのまだ幼さの残る顔立ちに、人に歴史ありだなと目を細めた。
チビさんのボーカルでのDeep Purpleの“Knocking on your back door”が流れ、清正さんと少しだけ再結成Deep purpleの話になった。
「曲はいいけど歌詞はひどいですよねー」と私が言ったばかりに、すこしほろ酔い気味の清正さんがからかい混じりに曲にちなんだ下ネタ話をしそうになり、戸惑った私がそんな清正さんを全力で止め、さっちゃんとリナママさんが大笑いしていた。
貴重な90分映像を見せてくださった清正さんにお礼を言うと、同時にコウスケさんが野菜がふんだんに盛られたサラダピザを運ばれ、ユウジさんがグラスの縁にスライスレモンを刺したコーラを運ばれた。え?頼んでないんですが。
「ココナッツムーン通信のお礼。さあ、食べて」
もともとココナッツムーン通信は、いいサーバーが見つかるまで、公式サイト代わりとしての情報配信の場を探していた清正さんに押し掛け志願し、文章の研鑽と清正さんからオキナワンロックの情報を得たいという私の下心から始めたものである、ギャラどころか情報料を払うのは私の方なのに……。
トマト、ルッコラ、スライス玉ねぎ、レタス、シュレッドチーズで彩られたサラダピザは野菜の瑞々しさとチーズの濃厚さとドゥのカリカリ感がベストマッチしていて美味しかった。コーラも、04年にまじきなさんとココナッツムーンに来店した時に、好きな映画の話になり、その好きな映画の中で、美しいグルーピーが、キース・リチャーズがスライスレモンと氷が入ったコカ・コーラをくれたと語るシーンがあったのをなんとなく話した記憶がある。まさか、覚えていたなんて。
以来、野菜ピザを食べると、清正さんからのこの嬉しいサプライズを思い出す。
城間兄弟に続いて、清正さんからもこんなに嬉しいもてなしを受けるなんて。やっぱり旅行が終わったら私は死ぬかそれと同じくらいの不幸が訪れるのでは?と不安になるくらいの幸せだった。
美味しい!と私とさっちゃんはサラダピザを堪能し、清正さんはそんな私たちを交互に見て目を細められた。
時計を見るともう午後11時だった。
さっちゃんに「コザで遊ばないの?」と促され、おいとますることにした。リナママさんと清正さんに深く会釈してお礼を言い、コウスケさんとユウジさんに握手をしてさっちゃんの車に乗り込み、ココナッツムーンを去った。
車を運転しながらさっちゃんは、「清正さん、かっこいいねー」と弾んだ声で私に話しかけた。
私は清正さんの親族でもないくせに、まるで自慢のハンサムな叔父を女友達に誉められたような気になり、「でしょー!」と誇らしげな気分で返した。
微かに開けた車窓から沖縄の海独特の淡水っぽい匂いがし、鼻腔をくすぐった。
ラジオからはThe Whoの“Who are you?”が流れ、私たちは一緒にサビの部分を唄った。
車は恩納村、石川を通り、パークアベニューへ。車窓からコリンザがぽつんと見えた。
ゲート通り近くに手頃な駐車場を見つけると、さっちゃんは停車し、私たちは夜遊びの第2部を開始した。

(オキナワンロックドリフターvol.75へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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