ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド

正直、ザ・スミスは一応聴いてはみたものの合わないなあと思ったバンドである。

90年代、ブリットポップ隆盛期。ブリットポップバンドであるエコーベリーのボーカリスト、ソニア・オーロラ・マダンが雑誌媒体で、インド系イギリス人ということで受けた差別や裕福であるものの自由が制限された家庭への息苦しさをザ・スミスを聴いて救われたことを打ち明け、さらに当時飼っていた愛猫の名がモリッシーだと語る程ザ・スミスを敬愛しているエピソードが掲載されたことや、スコットランドはグラスゴー出身のバンドbis(同名アイドルグループにあらず。おかっぱ頭のふくふくした女の子とイケメン2人というブルゾンちえみwithBみたいな構成の3ピースバンド)が『ザ・スミス・イズ・デッド』なるトリビュートアルバムで『心に茨を持つ少年』をカバーしていたので、やはり基礎知識として聴くべきかなとベスト盤を聴いてみた。

ダメだった。ジョニー・マーの奏でるギターの音色は美しくて魅せられたものの、バンドの力関係を如実に現しているような遠慮がちな音のリズム隊、そして何よりもファンの方には申し訳ないがモリッシーの声質が合わず、ベスト盤は3回聴いて中古CDショップに売った。

それから20数年。この映画を観るべきか躊躇したものの、題材は面白そうだなと思いきって観ることに。

95分のこの映画を見終わり、よぎった感想は「隠キャ寄りアメリカングラフィティ」。

しかし、嫌いではなく、見終わって家に着くまで登場人物5人に想いを馳せてしまった。

ストーリーは1987年、デンバー。

スーパーで働くクレオはテレビで知ったザ・スミス解散のニュースに阿鼻叫喚!彼女に無関心でアル中の母親との関係や就きたくない仕事に追われて無為の日々を過ごす彼女にとってザ・スミスの曲が心の支えだったのに!

ザ・スミスが解散しても世界は変わらずだらだら続く。激昂したクレオはちょくちょく冷やかしてはカセットテープを万引きしに行くレコードショップに寄り、友人でそのレコードショップで働くディーンに「この街の連中にザ・スミス解散がいかに大変なことかわからせたい」と嘆く。宥めながらもディーンは憎からず思うクレオをデートに誘うものの、その日は就職が決まらず、親の勧めで軍隊に入ることになった友人ビリーの送別会をするからとクレオに断られる。

ディーンはクレオが去ると勝手に店番の仕事を放り出し、早じまいすると、街のコミュニティFMであるヘビーメタル専門局に押し入り、DJに「ザ・スミスの曲をかけろ!」と恫喝して籠城する。

一方、クレオ、ビリー、彼女達の共通の友人であるシーラとパトリックの4人は送別会と称して知人が開催する親の居ぬ間のパーティーに参加してバカ騒ぎしたり、背伸びして街にたった一軒のゲイクラブに入り、踊りまくるも将来を憂い……といった内容。

あー。若さはバカさ。

けれど、四十路になっても不惑どころか悩みだらけな自分自身にもクレオ、ビリー、シーラ、パトリック、そしてディーンの悩みはグサグサとささり、生乾きの傷に粗塩を塗り込まれた気持ちになりましたわ。

それでいて、ディーンの青臭い憤りに苛立ち、彼がヘビーメタル専門局で屈強そうなDJのフルメタルミッキーに自分の要求をのませるために彼が大事にしているKISSのジーン・シモンズのマグカップを銃で破壊した時には「何しやがるてめえ!」と内心キレかけた。(ザ・スミスファンには申し訳ないけど、KISSとザ・スミスどちらが好きと言われたらKISSと即答する音楽嗜好なので)

尾崎豊に感化されて盗んだバイクで走りだし、夜の校舎の窓ガラスを壊して回るDQNよりたち悪いディーンよりも、最初はモリッシーの書く内省的な歌詞をくさしながらも、ジョニー・マーのギターセンスに一目置いたり、“Meat is Murder”という曲でモリッシーがベジタリアンだということを知ると、「ブラックサバスのギーザー・バトラーがベジタリアンだと知ってから俺も12歳の頃からベジタリアンだ」と共通の話題をチョイスするフルメタルミッキー兄貴の大人な対応に感動したぐらいだ。(ディーンよ。ミッキー兄貴がいい人で良かったね。ジーン・シモンズのマグカップを破壊した時点で、もしDJが粗野でおらついた人ならば「ワンハリ」でクリフ・ブースがパトリシア・クレンウィンケルをなぶり殺しにしたのと同じ目にあってたぞお前)

籠城し、最初は、それぞれの愛する音楽のベクトル指数のあわなさからぎすぎすしていたディーンとミッキー兄貴が互いのバックグラウンドを語り合うくだりはおかしくも切ない。ディーンもまたクレオ同様親に愛されずよるべない心を持ち、ミッキー兄貴は兄貴でメタルに夢中になり、奥さんに愛想つかされて離婚された身の上だからだ。

一方、ビリーの送別会で刹那的に踊り、呑み、ドラッグを嗜むも将来や自分自身の悩みは晴れず悶々とするクレオ、ビリー、シーラ、パトリックの姿は痛くてのたうち回るほど。

不満だらけのクレオに呆れて「君だって他の負け犬と同じで何処にも行けやしない」とビリーに指摘され、ビリーを殴り泣き出すクレオ。

兵役に就くのが決まって翌日にはデンバーを発つものの不安だらけなビリー。

パトリックに淡い感情を抱くもキスだけで最後までいきつかない。そんなフラストレーションからパーティー主宰のサンディの兄に弾みで抱かれてしまうシーラ。

自身のアイデンティティに気づき、たがが外れたように踊り、行きずりの男性とキスを交わし、その行為で無自覚にシーラを傷つけるパトリック。

痛いなあとバタバタしたくなるものの、だんだん彼らが他人に思えなくなり、むしろデンバーという文化系隠キャが暮らすにはしんどい街(折しも1987年はデンバーが誇るフットボールチームデンバーブロンコスがカンファレンスチャンピオンになり、さらにジョン・エルウェイというスター選手の全盛期だからなおさら)でよく頑張って生きてきたねと愛おしさすら感じる程。

片や籠城、片や送別会と狂乱の一夜が終わり、祭りの後の朝のような終盤と、クレオがやはり窃盗という選択肢をとったとはいえ、ディーンにした行動は少しは彼女が現状を打破して前に進めるフラグなのかなあという予感があるラストシーンは多少のモヤモヤはあるけど悪くないシーンだった。

彼らは今どうしているのだろう?

架空の人物にも関わらず彼女らのその後を案じてしまう。

ビリーが挫折という形で除隊したり戦死せず、ある程度兵役を勤めあげて大学進学したりとか少しはましな人生を送れていますように。

デンバーを捨ててNYなりロンドンなりへ出たかもしれないディーンとクレオが少しはなりたい自分に近づいていますように。

イギリスへ旅立ったパトリックが捨て鉢にならずに自分の本来の志向を見つめながらも愛せる人を見つけて添い遂げられますように。

シーラが過去の自分の行動を思い出して恥ずかしさにうずくまりながらもパトリック以外に愛せる人を見つけて穏やかに暮らせていますように。

彼らにそんなささやかな祈りを捧げたくなり、同時に相変わらずモリッシーの歌声はあまり好きでないけれど、ザ・スミスを再履修しようかなと思ったそんな映画だった。

(文責・コサイミキ)



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