オキナワンロックドリフターvol.1

トクサツガガガ観賞レビューという名のぼやきを書いてから、わっ!と書き散らしたくなり、音楽にのっかった自分語りの続きを書いてしまった。
サイトやブログでも以前に書いたものの、改めて自分への備忘録として、沖縄ロックを知ったきっかけや沖縄ロックと関わって得たものや考えたことをここに綴ろうかと思う。

今思うと、幼い頃からうっすらと沖縄ロックの刷り込みは始まっていたかもしれない。
1990年、パルコに買い物をした時の出来事。 当時、パルコにはイベントやコンサートの情報が掲示されているインフォメーションセンターがあり、その中に喜屋武マリーwith Medusaというバンドのポスターがあり、当時の私は喜屋武という珍しい名字とメデューサというギリシャ神話の禍々しい怪物の名前のついたバンド名から、「なんだか怖い」と怯えてしまってその名前だけは記憶していた。

そして数年後、中学時代の私は貪るように本を読んでいた。その中に故・栗本薫さんの小説があり、グインサーガや伊集院大介シリーズを夢中で読んでいたのだが、栗本さんの後書きやエッセイにちらほらと「紫」というバンドの話が出ており、うっすらと記憶していた。栗本さんはジョージ紫さんがお気に入りで、グインサーガの主力キャラのアルド・ナリスのモデルの一人としてあげており、ジョージさんがハモンドオルガンを弾く姿を読んでいるこちらが引くくらいに絶賛していた。そして、城間兄弟の名前も挙げており、栗本さんは城間兄弟を「小柄で綺麗な顔立ちをしている」と評していて、紫というバンドを一ミリも知らなかった当時の私は城間兄弟の顔を想像するしかなく、「クィーンのブライアンやロジャーみたいな感じかな?」と当時一番好きなバンド、クィーンを基準にしてまだ見ぬ紫のメンバーを夢想していた。
後は、90年代初頭~後半まで、地元のパチンコチェーン店や今はもうなき宮崎シーガイアがディアマンテスをCMに起用しており、テレビをつけるとむせかえるような夏の香りがするアルベルト城間さんの歌声が毎日のように流れていたし、夜中に目が覚めた時、なんとなく見た「イカすバンド天国」でBEGINを知り、後にほろにがというビールのコマーシャルソングを歌っているのを見て、「あ!あの沖縄のバンド」だと驚いた想い出がある。
と、思い返すと、紫やコンディショングリーンを知る前から沖縄ロックは私の中に刷り込まれていたのだなあと苦笑いしてしまう。ある意味運命の輪は回っていたのだ。大袈裟なのかもしれないけれど。

文責・コサイミキ

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