オキナワンロックドリフターvol.98

スティービーさんの読み聞かせライブは正直な話、客はまばらだった。
スティービーさんとサポートメンバーでキーボードのグッシーさんがお客さんと談笑されていたので挨拶した。
「まいきー!どうしたのー!元気ないね!」
私はよほど顔色が悪いのだろう、様子が違うのを直ぐに察知された。
「本当に。この前会った時と違うよー」
グッシーさんにも悟られた。
そうこうしているうちに開演時間になったので、私は席に座ることにした。
スティービーさんの読み聞かせライブは、グッシーさんのキーボードをBGMにスティービーさんが絵本を朗読するもの。
読む絵本は4冊。
葉祥明さんの絵本「イルカの声」が一番印象的だった。グッシーさんのキーボードの柔らかな音が葉さんの絵の世界とマッチしており、さらにスティービーさんの優しい朗読が暖かな世界を醸し出していたからだ。
次が、かつて名作とうたわれたものの、著者の醜聞のほうが今は勝ってしまった「一杯のかけそば」
切々としたスティービーさんの語りはたいへん魅力的で物語の世界に入り込めた。
他も悪くはなかったものの、セレクトした本がメッセージ性や思想の啓蒙がやや強めな本だったのが残念だった。
しかし、全体的にはなかなか面白い読み聞かせで、グッシーさんのキーボードはスティービーさんの語り口に合わせて音色が白玉のようにころころと音が柔らかい軌跡を描いて転がっていき、疲れた心を和らげてくださった。
日本のJ-popのカバー曲をいくつか唄われた後にアンコール。
スティービーさんはあの曲を唄ってくださった。ISLANDの"Stay with me"だ。
キーは下げてあるけれど、前回聞いたのよりもいささかパンチが効いているけれど。スティービーさんの優しさが染み渡る"Stay with me"だった。
少し泣きたくなった。スティービーさんの思いやりに。そして、本家のstay with meはいつ聴けるのかという大きな寂しさで。
けれども、スティービーさんの温かい優しさがうれしい。そんなStay with me だった。

ライブが終わり、スティービーさんたちとすこしゆんたくして宿へ戻った。
その際に「コザまで送らなくていいの?」とスティービーさんに尋ねられた。
私は首を振った。
「今日は那覇に泊まるんです」
そう私が返したところ、スティービーさんは驚かれた。
「え!珍しい!何があったね!」
スティービーさんにぼやかしながらではあるものの、私がコザに戻らずに那覇に滞在する理由を告げた。
スティービーさんは大きくため息をつかれた。
「今のコザで嫌な思いをしたわけだね。まいきーは」
私はこくりと頷いた。しかし、スティービーさんはそんな私にやんわりとアドバイスをくださり、帰り際、グッシーさんと一緒にずっと手を振ってくださった。
朝ごはんにと、新垣さんは天ぷらの残りをくださったものの、鞄の中の天ぷらはすっかり冷めてしまい、チェックインした限り、ホテルには電子レンジがなかったので、帰り道のローソンでカップのインスタント味噌汁とカップうどんを買うことにした。熱い汁につけて食べようという寸法だ。

宿の中で、急いで温いシャワーを浴び、狭く固いベッドに横たわりながらスティービーさんの言葉を思い出した。
スティービーさんの視点は俯瞰の視点だ。
嘆く私にこうアドバイスをくださった。
「何もかも終わりになったわけじゃないんだから」
静かに、しかし、はっきりと心に焼き付くような微笑みをくださった。
スティービーさんの言葉に安心したからなのか、どろりとした眠気が訪れた。
大丈夫。心配ない。会食にはまだ時間がある。
俊雄さんとは気まずくなるけれど、殴ったことはきちんと謝ろう。
そう気持ちを切り替えられると、14日の悲劇と15日の朝の災難も忘れられそうだと思い、やたら固いシングルベットで思い切り眠りを貪った。
翌朝、15日よりは深い眠りにつけたものの、ベッドの固さのせいか体の節々が痛かった。
私は思い切り伸びをしたり、ゴロゴロして体の痛みを和らげた。
そして、備え付けのポットに水を入れ、お湯を沸かすと、インスタント味噌汁とカップうどんに注ぎ、3分経つとすっかり冷えきった天ぷらの残りをぶちこみ、思い切りかっ込んだ。
木枯し紋次郎も顔をしかめそうな朝食だが仕方がない。天ぷらを無駄にしたくなかったからだ。
天ぷらうどんと天ぷら汁で腹がくちくなるとホテルをチェックアウト。
今日はちゃんとコザに戻ろうと決意した。
しかし、その前に那覇を観光することにした。
モノレールの1日乗車券を買い、風任せに気になる駅に降りた。
那覇空港でせめてビタミン補給しようと生ジュースの店でパイナップルジュースを飲んだり、奥武山公園で水辺で遊んでみたり、国際通りの土産物屋で家族に頼まれたお土産を買ったり、首里城を再び訪れてみたり、まだ再開発の最中のおもろまちをうろついて見たりして時間を潰した。

那覇にいることだし、せっかくだからと私は元六人組で10行のボーカルであるカリミさんに会えないかと電話してみた。しかし、カリミさんの体調不良により、今日は無理だと返事がきたので会うのは20日に延期になった。
仕方なく、モノレールに乗り、安里へ。カリミさんの店である薬局のある栄町市場のねーねーたちにカリミさんへの伝言とお土産を託した。
帰りになはサンライズ通りを歩いたら、タコライスの屋台があり、そこで遅い昼食をとった。赤トンボというその店は人気の店で学生さんや地元のおじい・おばあで賑わっていた。
美味しいタコライスで胃袋を満たし、再び那覇の街をうろついた。
夕方までそうやって過ごし、やがて観念してコザに戻ることにした。
バスを乗り継いで、一旦普天間宮へ下りた。
賽銭箱に500円奮発してひたすら祈った。
明後日、3月18日の会食が無事平穏に済みますように。
正男さんがまたステージで唄ってくれますように。
そして、俊雄さんの壊れた心が時間がかかってもいいから修復されますように。
ひたすら私は祈った。
すると、どこからともなく声が聞こえた。
もしかしたら、あの時、私の心は病んでいたのかもしれない。けれど確かに声は聞こえたのだ。

叶えてやる。その代わり、お前は必ず大切なものを失ってつらい目にあう。

そんな不吉な声に首を傾げながら、私は普天間宮を後にし、コザへ向かうバスに乗った。

プラザハウス、園田の山根ビル、サンエー中の町店、そしてミュージックタウンが近づいていく。
私はゴヤバス停で下り、早足でパルミラ通りのコザクラ荘へ向かい、倒れるように布団を敷いて眠った。
そして、夜に目が覚めたので吉元弁当でがっつりとしたハイカロリーなお弁当を買い込み、コザクラ荘でモシャモシャ食べた。
あの時の私の食べ方はまるで機関車の投炭作業さながらのせわしない食べ方だった。
味はわからない。けれど、なにかを口にしないと心がバラバラになりそうなそんな食事をした。

そして、2日後の3月18日。会食の日は訪れた。

(オキナワンロックドリフターvol.99へ続く……)

(文責・コサイミキ)

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