オキナワンロックドリフターvol.97

会食が終わり、久住さんから送っていただき、ミュージックタウン前にて降ろしていただけた。
再び、ミュージックタウン前のオキナワンロックミュージシャンたちの写真展をしげしげと眺める。
すると、男性から声をかけられた。中央パークアベニューにあるライブハウス“Web Space”のマスター、ナガイさんだ。
「どこかで見た後ろ姿だと思ったら!やっぱりコサイさんだね」
私はナガイさんと立ち話をしながら、展示された写真をもう一度じっくり見た。
オキナワンロックの始祖と言われるウィスパーズから8-ballまで。
さながら写真で見るオキナワン、いや、コザロックの歴史といった展示だった。
ナガイさんは、通りすぎる老年の男性に一礼し、私に耳打ちした。
「あの人がきてるよ」
あの人とは、オキナワンロックの父と呼ばれている方だった。
私はちらりとその方を一瞥しただけなのだが、一瞬で逆毛が立った。初めて見ただけなのに、ここまで生理的に合わない人間がいるとはと寒気がした。
警戒心で目を鋭くさせている私の状態を察知したナガイさんは、“オキナワンロックの父”が私に気づかないようにと色々話しかけてくださったのが救いだった。
“オキナワンロックの父”が去ると、ナガイさんは「もういないよ。コサイさん、凄く怖い顔してるよ。何かあったんだね」と慰めてくださった。
私はナガイさんに申し訳ない気持ちになりながら、ナガイさんの機転に感謝した。
一旦、コザクラ荘に戻り、携帯の充電が終わるまで昼寝することにした。
しかし、ひとり宿にいるとやはり不安だけしかなく、結局起きて、携帯の充電が終わるまでデイゴホテルでまた500円を払い、お風呂を借りて寛くことにした。
充電が終わり、そろそろ那覇へ。と、その前に。
軽く腹ごしらえしようとミュージックタウン内にポレポレタコスうりうりひゃあというタコスの店があり、そこでタコスを1ピースつまむことにした。沖縄のタコスには珍しく、皮を揚げておらず、皮を軽く焼いたタイプのタコスだった。
「うちのは素材にこだわっているからね!」と焼きながらタコスについて語ったマスターのこだわりのタコス。
さて、いかがなものかと受け取り、タコスをがじゅまるの木の下にて食べた……ものの、心意気は伝わった。しかし、温かいピタサンドみたいな味わいのヘルシーなタコスは、逆に沖縄ならではのジャンクな味わいのタコスが恋しくなる味だった。
そろそろ時間だ。私は急いでサンエー中の町店近くにある中の町バス停へと向かった。
「今からコザを出ます。那覇バスターミナルに着いたら連絡します」と、ライブ前に会う新垣さんに連絡し、那覇行きのバスに乗り込んだ。
途中、車窓から“Our wish”のあるビルが視界に映り、吐き気が込み上げた。
私はふつふつと湧いてきた怒りを抑えようと目に映るビルと、“Our wish”の窓に飾られたアンティーク人形と風船に中指を立てた。
陰湿だなと思いながらも少しだけ溜飲が下がった。
私はコザが遠ざかり、ほっとしたのか少しだけ眠りについた。
目が覚めたのは終点の那覇バスターミナルが近づいた頃だった。今日はライブが終わってもコザに帰るのはよそうと思った。
私はバスターミナル近くのローソンで下着を買い、新垣さんが来るまでまだ時間がかかるということで国際通りのお土産屋さんで投げ売りされている土産物のTシャツとバミューダパンツをホテルで洗濯する時の部屋着として買った。
そして、楽天トラベルを検索して安い宿をと思ったら、春休みシーズンと重なり、大半の那覇のビジネスホテルのレートは高く、安い場所は門限があった。
仕方なく、美栄橋近くの古いビジネスホテルを予約した。そこが利便性、値段が比較的良かったからだ。クオリティは二の次である。
新垣さんが来たのは、私が那覇バスターミナルに着いてから40分後だった。
「待たせたね。ごめん」
頭を下げる新垣さんに私は首を横に振り、新垣さんの車に乗り込んだ。
「まず、美栄橋に行ってもらえませんか?今日はホテル泊まりなのでチェックインしたくて」
私の懇願に新垣さんは目を丸くした。
「コザに滞在してるはずじゃなかったの?」
私はその問いに「色々ありまして……」と返すしかなかった。
「また色々やらかしたわけだ。よし、わかった。ホテルはどこ?」と問われたので泊まる予定のホテルの名を告げた。
「いくらした?」
新垣さんに尋ねられたのでありていに答えると、「春休み価格だねー」と肩をすくめられた。そうなのだけれど仕方ない。 新垣さんがホテル前に車を停めてくださったので私は急いでチェックインを済ませ、代金を支払った。これで今夜の宿は確保できた。
スティービーさんのライブ開演まで後1時間半あるので新垣さんから「埠頭をドライブしようか」と提案があり、それに従った。
カーラジオからは、リスナーのリクエストだろうか、タイムリーに松任谷由実の『埠頭を渡る風』が流れていた。夜の帳が降りはじめる、茜色と薄紫と藍色のグラデーションの空を見ながら私は新垣さんにやんわりと誘導尋問され、14日から15日の悲しい出来事を洗いざらい話した。
「すげえ、城間俊雄に張り手かましたわけか」
茶化す新垣さんを軽くはたくと、新垣さんは「やっといつものまいきーらしい表情になった」と返された。と、その後に、「まいきーが受けた仕打ちを通して、城間兄弟がいかにコザの人たちから恨まれているのが身をもってわかったでしょ?」と辛辣な返しをされた。
そして、新垣さんは深いため息をつかれた。
「まいきーはロコのこと嫌いだよね?」
突然、新垣さんにそう尋ねられ、私に煙草を吹きつけた不遜な態度のロコさんの顔が脳裏を過り、思わず顔をしかめた。
ばれていたかと黙っていると、新垣さんは苦笑いされた。
「わかるよ。まいきー、かなり嫌そうな顔してたからね。でも、これは言っておく。まいきーと友達なのと同じようにロコは俺にとって大事な友達だし、長い付き合いだから」
新垣さんは咳払いすると話を続けられた。
「知っていると思うけれど、ロコはアイランドのスタッフだったんだ。近くにいることでロコやコザのミュージシャンは城間兄弟の卑怯な部分や汚い部分をさんざ見てきた。そして、アイランドが潰れて、あの兄弟が路頭に迷った時、兄弟はロコたちに無茶な要求したり、それが受け入れられないと嫌がらせしたりと迷惑かけてきたんだ。俺やムオリはロコにさんざそんな話聞かされたし、ムオリはコザに住んでいるから特に嫌な話を聞かされている。そこは念頭に置いて」
「はい……」
だからって、私に八つ当たりするようなロコさんの態度はやはり気にくわなかったものの、新垣さんからそこまで言われるのだから仕方ないかなと思い、一応は頷いた。
「ありがとう。まいきーのいいところは物事に真摯に取り組むことだけれど、同時に多面的に物を見るのが凄く苦手で自分が嫌ということは徹底的に嫌うからね。もう少し違う側面を見られたらいいなと思って話をしたんだ」
図星をつかれて私は黙るしかなかった。
納得がいかないという私の気持ちが私の顔からひしひし伝わったのだろう。車内に気まずい空気が流れた。
それを破ったのは新垣さんから手渡された油染みが点在した紙袋だった。しかも、紙袋はやけに温かい。
「夕飯まだだよね?港に車停めて天ぷら食べようね?まだあちこーこーだから冷めないうちに食べよう」と新垣さんの機転で、さっきの張り詰めた雰囲気は解かれた。
紙袋の中にはたくさんの天ぷらが入っていた。
油を吸ってやや衣はぼわぼわになっていたものの、微かに香るごま油の風味が食欲をそそった。
私たちはカーラジオを聞き、身近な話をしながら天ぷらを貪った。
魚、イカ、いんげん、かぼちゃ、ピーマン、芋、人参とバラエティーに富んだ天ぷらをふたりで食べた。
鞄にしのばせたウェットティッシュで新垣さんと私が口と手を拭いた時には、紙袋にぱんぱんに詰められた天ぷらの殆どは消えていた。
残りは「明日の朝ごはんにして」と新垣さんに手渡されたので、私はバッグが油染みしないよう、エコバッグ代わりにバッグに入れていたコンビニの袋に紙袋を入れた。
新垣さんはふたたびエンジンをふかし、車を走らせ、私をスティービーさんの読み聞かせライブの会場であるバンターハウスまで送ってくださった。
「じゃ、まいきー。大変だっただろうけれど、旅を楽しんで!」
私は新垣さんに何度もお辞儀をし、新垣さんの車が見えなくなるまでずっと手を振った。

(オキナワンロックドリフターvol.98へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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