オキナワンロックドリフターvol.32

ジミーさんの姿を認めると、私は挨拶をしようと駆け寄った。
ジミーさんは私に気づくとおっとりした笑顔を見せた。
普段はラフな格好のジミーさんだが、ファーつきのコートがお洒落で、ロックミュージシャンなんだなあと改めて思った。
「お、まだ起きてたの?」
ジミーさんがやんわりと話しかけられた。
「はい、今日帰るんですけれど寝付けなくて最後の夜遊びを満喫してました」
私がそう答えるとジミーさんは苦笑いをされた。
その苦笑いを見て、また胸がちりりと痛んだ。
帰りたくない。ああ、いっそアキちゃんたちのように移住できたらどんなにいいか。
私はもどかしさとジミーさんがいなくなってしまうような不安からついつい甘えた声でぼやいてしまった。
「ジミーさん、このままずっとここにいたい。帰りたくないな」と。
そう口走ったのは、ジミーさんなら冗談混じりで「住めばいいさー」と言ってくれる。そんな依頼心があったからだ。
しかし、ジミーさんはぴしゃりとこう答えた。
「帰ったほうがいいよ」
飄々としたキャラクターのジミーさんとは思えない程ひんやりとした厳しい声だった。
私はショックで黙るしかなかった。
お喋りな私が黙ってしまったので動揺と悲しみを察知したのだろう、ジミーさんはこう付け加えられた。
「帰る場所があるのはいいことだよ。だから、ちゃんと帰りなさい」と。
さっきよりは柔和な口調だったが、それでも有無を言わせぬものがあった。
私は無言でこくりと頷いた。
ジミーさんは私の頭にそっと手を置かれた。その手は温かかったものの、かすかにかさついていた。
どうしよう。今声を出したら泣いてしまいそうだ。
私はどうにか振り絞るように声を出し、まるで日本語を覚えたばかりの外国人のようなたどたどしさで、「ジミーさんお元気で。お酒飲みすぎちゃダメですよ」と言うしかなかった。
私の不安を知ってか知らぬか、ジミーさんは笑ってスルーされた。
ああ、結局、誰がなんと言おうとジミーさんはお酒を手放せないのだ。
私は諦めてジミーさんに会釈した。
目の前の信号機が青になった。眠りにつき始めたゲート通りに信号機の、青を告げるポロロロ、ポロロロという音が鳴き声のように響いた。
ジミーさんは手を振り、踵を返すと信号の向こうの中の町方面へ向かわれた。
その時のジミーさんの姿を私は一生忘れないだろう。
ネオンと街灯に照らされたジミーさんの横顔はどこかぴんと張り詰めた弦のようで、凛々しさの中にもどこか、泣いてしまいそうな危うさがあった。
そして、ファーつきのロングコートと結わえられた銀髪が風に靡き、さながら銀狐が人の姿をしているかのようだった。
私は去り行くジミーさんの背中に祈るしかなかった。
どうか、ジミーさんを少しでも長生きさせてください。そしてまたジミーさんのギターを聴かせてくださいと。強く強く祈った。
ジミーさんの言葉が尾を引き、結局眠気が覚めてしまい、私はゴヤマートで鮭おにぎりとお茶を買い、歩道橋で早い朝ごはんにした。
先週そうしたように、私は夜と朝の境目のゲート通りを歩道橋から眺めていた。
空が明るみ出したのを見届けると、私は足取り重く、嘉間良のゲストハウスに戻った。
午前7時30分。結局、軽く横にはなったものの、一睡もせずに荷物をまとめ、寝静まるドミトリーの宿泊客を起こさないようにゲストハウスを後にした。
朝靄が包むコザの街にゆっくりお別れするかのように嘉間良からプラザハウスまでの道のりをひたすら歩いた。
プラザハウス近くの自動販売機でさんぴん茶を買い、バスを待つことにした。来た!那覇バスターミナル行きのバスだ。私は運転手さんに乗る意思を表すべく、バッグをぶんぶん振った。
あまりに必死な顔をしていたからなのか、運転手さんは笑いを堪えていた。
私は後ろの席に座り、遠ざかるコザの街に小さく手を振るとそのまま泥のように眠った。
目を覚ました時には終点の那覇バスターミナルに着く寸前だった。
私はバスを降り、旭橋駅からゆいレールに乗り込んだ。乗客の大半は私と同じく旅行者のようで、重い荷物を持ちながら名残惜しげにゆいレールの車窓から遠ざかる景色を眺めている人たちが多かった。皆、思うことは同じなんだなとすこしだけ安心した。
飛行機の時間までまだ余裕があったので空港内の書店で仲村清司さんの『爆笑沖縄移住計画』を買い、搭乗口近くのお土産屋で買ったグァバジュースを飲みながら読み、笑うことで帰ることやジミーさんから放たれた言葉の寂しさを紛らわした。
午後12時。飛行機の時間だ。私は諦めてため息混じりに搭乗口へ向かった。
飛行機の窓から見える海は銀の鱗をした魚の群れがいるかのようにきらめいていた。
帰りたくない。どうかまたコザに行けますように。できるだけ早く。そして、ジミーさんのギターをまた聴かせてくださいと海を見ながら小さく呟いた。
飛行機は離陸した。
一時間もすれば飛行機から見える海は瑠璃色から岩だらけの灰色の海になる。
あっという間に灰色の海になったら未練が薄れるかなと思い、私はもう一度眠ることにした。
目を覚ました時には、灰色の海どころか福岡の市街地が見えた。どれだけ眠ったのかと笑うしかなかった。
飛行機は福岡空港に着陸した。
私は飛行機から降りると、足取り重く地下鉄に乗り、博多駅で柔らかいうどんを啜り、特急で熊本に戻った。
熊本駅に着くと、清正さんに電話をした。
清正さんにココナッツムーン来店時に大変お世話になったことのお礼を言った。「どういたしまして。またおいで」とおっしゃる清正さんの低い声が、熊本に帰ってからどっときた旅の疲れを軽減させてくれた。
俊雄さんがいるかもと思い、ダメ元で城間家にも電話した。電話には俊雄さんが出られた。
俊雄さんは結局会わずにいた後ろめたさからだろうか、しきりに謝り、申し訳なさそうだった。
会いたかったんだけどな!という本音はどうにか抑えて、私は気にしないでくださいと返した。その言葉に、すこし気が楽になったのだろうかお土産と一緒に添えられた煙草のお礼を言われた。
俊雄さんはお礼ついでにこうおっしゃった。
「あー。俺ね、バイオレットも吸うけれどメンソールの煙草も好きよ。メンソール沖縄ってね」
……あまりのくだらなさに一周通り越して私は駅の待合所にも関わらず大笑いした。
白けずにすぐさま笑ったのが良かったのか、俊雄さんも電話口でつられて笑っていた。
「今度は何もかも落ち着いて会えたらいいね」
ひとしきり笑い終えた俊雄さんがぽつんと呟かれた。私は儚い希望を抱きながら「そうですね。また、沖縄行くときは電話します。俊雄さんもお元気で」と返し、電話を切り、家の最寄り駅を通る在来線に乗った。天気はどんよりとした曇り空で、熊本の3月はまだ冬の名残があり、肌寒かった。
駅に着き、家の近くの海藻臭い灰色の海を見て「ああ。またつらい日常の始まりだ」と肩を落とし、家路を歩いた。
家に着くと真っ先に祖父母からお土産のお礼を言われた。特に祖母は大量のスパムに大喜びしていた。これで朝ごはんはしばらくポーク玉子間違いなしだなと苦笑した。
私は急いで風呂に入り、携帯の充電をすると、ネットに繋ぎ、掲示板のレスポンスとメールチェックをした。溜まりに溜まったメールの大半は迷惑メールや通販のメールマガジンだったが、その中に一通、見慣れないメールアドレスで「はじめまして」という件名のメールがあった。
私は問い合わせなのか、それとも嫌がらせなのかと恐る恐るそのメールをクリックした。

(オキナワンロックドリフターvol.33へ続く……)

文責・コサイミキ

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