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3. 病気は運。そう考えることにしたⅠ〜オオタさんの完璧だった食事療法

1日4回の血糖測定

内科病棟で働き出したのは、24歳になる年です。当時はなんでも慣れて覚えろ、の時代。注射や採血などの、侵襲的な(平たくいえば、人の体を傷つけて行う)医療処置についても、一度は見学、次から実施が当たり前でした。

不器用だった私は、1つの技術を身につけるにも、かなりの時間を要しました。だから、採血が難しかった人や、回数が多かった人については、うまくできなかった申し訳なさと主に、記憶に刻まれています。

1日に4回定期的な血糖測定の指示が出ていたオオタさん(仮名/女性、糖尿病、当時48歳)も、その1人です。通常は専用の器具で指先などを傷つけ、少量の血液で測定するのですが、いくつかの理由から、毎回静脈に針を刺して吸引する、通常の採血の形を取らざるを得ませんでした。

まず、当時病棟にあった簡易血糖測定器は500mg/dl程度までしか測れず、これを超えると「HI」と表示されるのみ。その場合には検査室で測定することになり、指定の検体容器に血液を入れる必要があります。

そのため、あらかじめ注射器で必要量(およそ1cc)を確保。「HI」の場合はすぐに検体容器に血液を入れ、検査室に提出していたのです。

1日4回の採血は、さぞかし大きな負担だったでしょう。しかし、自宅では指先を専用の針で傷をつけて血液を絞り出すため、どの指もぼろぼろ。入院中は指先を休めるため、静脈からの採血を希望していました。

オオタさんのやせた腕は、血管が浮き出していて、下手くそな私でも、一度で血管に入れられました。問題はその後です。

簡易測定器で「HI」が出たら、血液を容器に移し、検査室で再測定をしなければなりません。さらには、血糖値によって異なる量のインスリン注射の指示も出ていました。

不器用な私はこれらがスムーズにできず、ずいぶんお待たせしたのですよね。それでもオオタさんは、いら立つことなく、いつも淡々と落ち着いた態度でした。

「時間がかかって申し訳ありません」と私が言うと、「大丈夫。何をするわけでもないから」。この穏やかな言葉に、私はどれだけ励まされたことでしょう。

糖尿病という病気の怖さを知る

看護師という仕事は、生活指導をする機会が多く、糖尿病はその筆頭に上がる疾患です。そこで、私などは、ついつい病気の説明をしたくなってしまうのですが。ご存じの方は、この部分は飛ばして読んでください。

まず、糖尿病は、膵臓から出るインシュリンというホルモンの分泌が減る病気。インシュリンは、食べたものが分解してできた糖分を、身体に取り込む役割があり、減少すれば血中に糖分が多く残る、高血糖と呼ばれる状態になります。

インシュリンの処理能力を超え、血中に残った糖分は、やがて尿中に排泄されてしまいます。糖分が身にならないので、急激にやせる人もいますが、元から肥満の人の場合、さほど痩せても気づかない場合もあります。

しかし、これだけでは、糖尿病の怖さは、今一つわかりにくいでしょう。糖尿病が怖いのは、高血糖によって、合併症が引き起こされるからです。

その典型的な症状が、糖尿病性腎症、糖尿病性網膜症、そして糖尿病性神経障害で、三大合併症と呼ばれています。高血糖が続くと、血管壁が傷み、動脈硬化も強くなります。これにより、細い血管ほどダメージが強く出て、合併症が出るのです。

糖尿病性腎症は、悪化すれば人工透析が必要になります。また、糖尿病性網膜症は進めば失明。糖尿病性神経障害は、痛みが低下するため、足先のケガを放置し、ひどい場合壊疽から切断が必要になる場合もあるのです。

オオタさんはすでに網膜症が進んで視力が落ち、腎機能の悪化から、透析も視野に入る状態でした。

オオタさんの完璧な食事療法

糖尿病の合併症を防ぐには、とにかく血糖を上げないこと。これにつきます。

具体的な治療としては、①摂取カロリーを減らす食事療法、②摂取したカロリーを消費する運動療法、③インシュリン注射などの薬物によって血糖を下げる薬物療法、の3つがあります。

3つの内①と②を基本に、必要ならば③を加える、という順序で治療が行われ、とにかく、食事療法は全ての基本でした。
当時は食品を6つの表に分けた食品交換表が大活躍。80カロリーを1単位として、制限の中でバランス良く食べることが推奨されていたのです。
この基本となる考え方は、今も変わりません。

最近では、料理の本やサイトにも、1食あたりのカロリーが表示されています。
このような食品交換表を見る機会もなくなってきました。

オオタさんの自宅での食事療法は、まさに完璧でした。買い物のたびに、食品を1単位ごとに小分けして保存。置く場所も、表の1から6までだいたい決めていたそうです。

ここまでしておけば、指示されたカロリーを守りつつ、6種類のカテゴリーからバランスよく食べるでしょう。あそこまで正確に食品交換票を使って食事療法を実践していた人は、後にも先にもオオタさん以外に知りません。

報われない努力

しかし、オオタさんの努力は報われず、40台半ばからは視力低下と腎機能の悪化が目立つようになりました。それは、オオタさんの糖尿病が、ブリットル型という特殊なタイプだったから。ブリットル型糖尿病は、明らかな理由なく血糖の値が大きく変動し、合併症を防ぐのが困難なのです。

ある時、夜眠れず眠剤を希望するオオタさんから、こんな嘆きを聞きました。

「35歳で糖尿病と言われてから、ずっと気をつけていたんですよ。網膜症も腎症も怖かったから。そうならないようにとがんばっていたんですけどね。でも、たちの悪い糖尿病になってしまって。どんなに食べるのを控えて、細かく血糖を測って注射しても、高血糖になったり低血糖になったり。目も見えなくなってきて、間も無く透析にもなると言われました。割といい加減にしていても、あんまり悪くならない人もいるんですよね。ちょっと不公平だなあ、なんてね。思っても仕方がないことなんですけど」

その気持ちは、本当に痛いほどわかります。よりにもよって、こんなにもストイックに食事療法を行ってきたオオタさんがなぜ……。なんとも言えず割り切れない気持ちを、私も共有していました。

努力が報われない様子を見るのは、本当にたまらない気持ちになりますね。オオタさんの無念を思うと、今も胸が苦しくなります。

そしてオオタさんと出会って以降、私は自己管理が功を奏すると言われる糖尿病でさえ、運が作用する。そう考えるようになりました。

まわりを見渡せば、確かに不摂生が祟っているような人も、いないではありません。けれども、オオタさんのように、報われない努力もあるのだ、と知ってしまったからには、病気と努力を軽々に結びつける気持ちには、どうしてもならないのです。

そのような目で患者さんを見ていくと、病気は努力以上に運に左右される。そう考える方が、私には遥かに腑に落ちるのです。

突然の別れ

オオタさんとの別れは、突然にやってきました。オオタさんはその後も何度か入退院を繰り返し、50歳の誕生日を入院中に迎えたのです。

すでに透析を始め、ほとんど目も見えなくなっていたオオタさんは、終日ベッドに横になり、あまり話すこともありません。それでも救いだったのは、パートナーの男性が親身に付き添っていたこと。

オオタさんは、病気がきっかけで離婚し、20代のお子さん2人は、すでに家を出ていました。お子さんはしょっちゅう見舞いに来て、オオタさんも頼りにしていたようです。

オオタさんは誕生日に病院にいるのは絶対に嫌だと言い、パートナーの男性も、お子さん2人もその気持ちに同意しました。そして誕生日前日、3人に連れられ、オオタさんは自宅へ外泊。まさに誕生日のその日、自宅で低血糖性昏睡となり、亡くなってしまったのでした。

血糖の変動が大きいブリットル型だったことを思うと、急な低血糖が起きる可能性もないではありません。しかし、これまでオオタさんは低血糖になると、必ず症状を訴えていたのですよね。

指示された量以上のインスリンを打ってしまったのか。あるいは、自然に起きた低血糖を放置してしまったのか………。どんな形であれ、あの最後には、オオタさん自身の意思が働いていたように思えます。

救急車で病院に戻ったオオタさんが亡くなったのは、私が勤務している時間帯でした。そこにはパートナーの男性、お子さん2人の他、別れた夫も立ち会い、誰よりも大泣きしていたのは、別れた夫。あの光景も目に焼き付いています。

あれから30年以上が経ち、それぞれ生き残った人たちのその後がどうだったのか。改めて思いを馳せています。

外から帰ると、もふこが階段の上で出迎えてくれます。
路上で生まれて育たない子もいれば、人の家でうんと長生きする子もいる。
猫の一生こそ、まさに運次第なんですよね。
うちに来て運がよかった。もふこにそう思ってもらえるようでありたいなあ。


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