乾いた乙女(第4章より)

次に目を開けた時、僕の隣にはチェリが眠っていた。僕は彼女の方を向いて反対側の肩に自分の手をかけた。ひどく冷たかったので布団をかけた。彼女の顔はこれまで見たどの彼女より美しくて、僕は彼女を愛し始めていることに気づいた。彼女の冷たい肩から手を話した時一瞬自分の手が真っ赤に染まったように見えて、僕は驚いて立ち上がった。
 ベッドを出ると僕は違和感に気づいて、ベランダに立った。誰も歩いていなかった。家々の窓が割れていて、街はガラリと廃墟に変わっていた。テレビは電源がつかなかったし、ラジオも放送をやめていた。僕が部屋を出ようとするとベッドからチェリの声が聞こえた。それは僕の耳まで一直線に向かってくるような声で、水の中をスイスイと泳いでくるような音の波だった。
「行かないで」
「一緒に行こう? 」
 僕は何かもう一度予感がしたので、そのまま扉をあけて出た。チェリが布団から出てくることはなかった。街には見覚えのある水の痕があって、それが津波なのか洪水なのか、何れにしても街が洗われたことだけが確かで、醜さがほとんどなかった。全てが洗い流されてリセットした街には、美しさが残っていて僕はその最中を見られなかったことを悔やんだけれどもその綺麗な光景に目を奪われて歩いた。悲しみと美しさは誰とも共有することができない。悲しみは渦になって僕とチェリを包み、僕はまた笑っていた。水に飲まれた街を泳いで、新宿まで線路のあったであろう場所を泳いだ。ゴジラは横に倒れ、マルイのビルも野村證券の看板も僕の目線と同じ高さにまで沈んで、それはとても白かった。破壊の水は白さを残していくのだ。倒れたゴジラは無力感に落ち込み、彼はこの街を壊すのは自分の役目だったのにと悔しがっていた。だけど、と僕は思った。ゴジラが壊した街と水が壊した街とではその後の美しさが違うのだよ。壊すからにはリセットしなくてはいけないんだ。洗い流すまでの覚悟がお前にはあるか?
 その美しさの中で太陽は僕の真上にあって、じりじりと僕を乾かした。その太陽と入道雲がとても白くて、梅雨の終わりを感じた。靖国通りのど真ん中を泳いでいくと反対側から金魚が滑らかに泳いで来て、そのまま僕にキスをした。僕は廃墟の中で彼女と舌を絡ませ抱きしめて、美しい彼女の背中を撫でてから、隣に並んで泳いだ。いつの間にか僕と彼女は海に出てそれからどこまでもどこまでも泳いだ。海の底にはかつて僕がいたふるさとのの残骸が沈んでいて、懐かしく思った。そして美しいと思った。殺されたチェリは世界で一番美しい顔で僕の隣で眠り、僕の愛するチェリを殺した工藤さんはきっと魅惑のワインの海へとたどり着いた。僕は金魚になってどこまでも泳いでいく。

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