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第二巻 巣立ち  5、初めての挫折

5、初めての挫折

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 しかし、最大の苦難はその後にあった。高校の入試である。俺は当然、都立西高校を受験することにした。この第三学区では最も良い高校で、当時は第一学区の日比谷高校と双璧だった。

 ところがその第一歩である受験高校の申請書で記載ミスをした。当時は、希望の都立高校を十三志望まで書かせた。俺は詳しいことは知らないので、第三学区の評判の良い高校から順に第二志望から書いた。これがまずかった。各高校は自分の定員だけ第一志望で初めに採用する。これではじめに空きができるのは、中クラス以下の高校からである。空きができた高校は、自分の高校を第二志望で選んだ学生の中から採用することになる。だから、第二志望の書き方はかなり重要である。

俺はそんな細かいことは全く知らずに良い高校から順に書いていたから、担任から「これでは西高校に落ちたときは都立で最低の新設練馬高校に行ってしまうぞ」と、言われた。「それでは困るので、書き直してきますので、新しい申請書をください」と言ったら、「もう申請書がないんだ。君は落ちないからこれでいいよ」と、言われた。俺は不満だったが、担任の君は落ちないからと言う言葉に妙に満足してそのままにした。担任の言葉には全く根拠はなかったのだが、、、。

 第二の失敗は、西高校に前もって行っておかなかったことである。西荻窪駅の次の吉祥寺駅から歩いて直ぐだと聞いていたので行くまでもあるまいと思った。当日、駅で降りて多くの学生が行く方向へついていった。高校にたどり着いたら、そこはどこかの私立高校だった。俺は、慌てた。途中、道を聞きながらどうにか西高校に着いたときは、試験が始まる寸前だった。ともかく、間に合って良かったと思った。

座席は、一番前で、ダルマストーブがガンガンに燃やしてあった。俺は、走ってきたのでかなり体が熱くなっていた。寒い日だったので、本来ならガンガンのストーブはありがたかったのだが、この日だけは違っていた。初めの試験は国語だった。俺は、国語試験の初めに出てくる長文読解問題が好きだった。いろいろ、良いことが書いてあったりして為になるのだ。

でもこの時ばかりは違っていた。好きなはずの長文に、何が書かれているのか全くわからなかった。体と頭に血が昇って、焦りもあって、何度読み直しても文章の内容がわからない。慌てたがどうしようもなかった。そのうち体が冷えてきて、頭も冷えてきてうまくいき始めたが、時間切れだった。国語の試験で半分くらいしか答えられなかったのは、この時だけだった。初めの科目が終わった時、俺の行く先は練馬高校だと確信した。

 俺は、西高校を受ける前に私立高校を受けていた。滑り止めというのはおこがましく、度胸試しであった。早稲田高等学院である。名門中の名門で、とても受かるつもりはなかった。事実、問題もかなり難しく、無理のような気がしたが、運良く補欠で受かっていた。だがその入学のためには、安くない入学金の他に高額の学校債を購入しなければならなかった。学校債だから、卒業時には返還され利息もつくのだろうとは思ったが、あまりに高いので俺は行く気がしなかった。

早稲田なら大学からでもいけるんではないかとぼんやり思った。何の根拠もないのだが、俺は時々こういう時があった。大学で受かるなら、高校までの投資は全く無駄ではないか? 俺はそう思って親には高等学院には行かないと告げた。親父は少し安心したように見えた。私立高校は、所詮うちの経済では無理なのはよく知っていた。でも無理を言えば親父はなんとか工面するだろうとも思った。

 都立高校の入試失敗は、俺の人生で初めての本格的な挫折、大きなショックだった。自分では西高校に行けると思っていただけに、ショックは大きかった。都立高校の受験後は、中学校もサボって、一週間ほど誰とも話がしたくなくて、食事以外は部屋に閉じこもっていた。

食事時には、兄貴が「高校なんて通過点だ」と、しつこく言うのには参った。兄貴は、第一学区の名門、九段高校に入っていた。でも、九段高校では、下の方で苦労していた。何しろ高校には、赤点というのがあって、ヘタをすると落第が待っている。兄貴には、俺みたいに有名校に落ちて新設校に行った仲の良い友人がいた。九段高校に行った後も彼とよく会っているらしく、彼はその高校でトップクラスで威張っていると言う。「俺も九段高校なんかに行くんじゃあなかった」と、言わんばかりであった。初めはうるさいと思っていたが、何度も何度も聞くと、だんだんその気になっていくから不思議だ。

弟は、やはり得だ、兄貴の後ろ姿が見えるから、適当な示唆がいつも貰える。二週間目にはかなり元気になって、中学にも行き始めたし、連中とも話すようになっていた。「早稲田高等学院に行くんでしょ?」と、よくそう言われた。「いや、練馬高校に行く」と答えたら、入野が「何で? 名門じゃない、早稲田高等学院は?」。「俺のとこは貧乏だから無理なんだ」と、答えるしかなかった。

入野と同じ高校にいける夢も消えた。それでも俺は、練馬高校入学の頃には完全に立ち直っていて、元気だった。若い時の挫折は本当に辛いものがあるが、人生には挫折はつきものだ、挫折のない人生なんてあり得ない。挫折は若い時に経験しておくほうがいいような気がする、年取ってからの初めての挫折は悲劇の結末を迎える場合が多い。若い頃は、心も体も柔軟性に満ち溢れている。

 甘くみて 高校入試しくじって 初めて知った 大きな挫折

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