ユミソン氏の「告発」への応答

 アーティストのユミソン氏が、北田や井上文雄さん、神野真吾さんの「ハラスメント」を「告発」する文書がnoteで公開、拡散されています。ジェンダー論を研究の一領域とし、またAMSEAという「芸術の社会性」を問う事業を担っている身として、ネットという場でいいうる限りにおいて応答しておきたいと思います。多くのかたの個人情報が関連してくるため、これ以上のことは、しかるべき場で公正かつ精緻に論ずるべき事柄であると判断いたします。

(1)はじめに
 ある地域芸術祭をめぐって、ユミソン氏と私、井上文雄さん、神野真吾さんとの間にトラブルが起こり、私たち3名がキュレーター、アドバイザーの任を辞したのは事実であり(ここでは「辞任」と記しておりましたが、過去の記録を確認したところ、少なくとも私に関しては実行委員会による「解任」処分でした。記してお詫び申し上げます。むろんこのことは私の免責事由となるものではありません(追記:11月8日))、芸術祭を楽しみにされご来場いただいた者みなさんには、心から申し訳なく思います。
 また、以下のような理由によりユミソン氏の「告発」を受け入れるわけにはいきませんが、ユミソン氏同様、複雑な思いを抱え込みながら「その後」を生きてきた身として、「告発」に至った思いは真摯に受け止めたいと思います(#me tooとはそうした不確定な要素を含みつつも言葉を抑圧から解除する重要な方法論であると考えます)。不透明かつ不穏当な社会情勢のなかで、ユミソン氏が抱えておられるプレッシャーや不安は想像を絶するものと拝察します。しかし理は理としてしっかりと確認しておかなければなりませんので、以下に「告発」に関する所感を記していくこととします。

(2)パワーハラスメントについて
 性的関係や身体的接触、不倫関係を求めたことは皆無であり、自らの権力資源に依拠して何事かを要求したことはありません。また報復的に「仕事から手を引く」ようなことはなく、海外での講演・WS、出版社探し等、一貫して誠意をもって氏の構想に尽力したつもりです。今回あらためて、保存していた当時の通信記録などを読み返してみましたが、こうした私の判断は決して非合理ではないと考えます。

(3)ディレクション、運営の問題点
 この点については、井上さんや神野さんのほうが詳しいと思うので、ここでは一点のみ記しておきます。運営委員会、実施委員会の規則も何もなく、特定の数人の人物とユミソン氏が独断的に話を進めていくことに、私たちは大きな問題を感じました。民主的かつ公正な精神を欠いたまま、私たちの意見は素通りされ、いったいこれはどういう意味での「委員会」なのだろうと懸念を持ったのは事実です。神野さんに対して「あなたは正式にアドバイザーになっていないから辞任も何もできない」と唐突に言い始めたときは、このような形で、自らの意にそぐわない意見を言う人を「排除」していくのか、と大いに落胆いたしました。根拠規則の公開を何度要求しても、結局委員会規則は開示されることはありませんでした。人と人とが協働でなにごとかを達成していくときに、意思決定に関する規則が不在であることは、その集合体が組織の体裁をなしていないことの証左です。こうした不条理は規則のみではありませんでした。ユミソン氏が一方的に「告発」を行った以上、私たちは当時の氏の挙動についてあらためて検証していかねばならないと考えています。

(4)「パワハラ」についての事実確認
①「町に圧力をかける」「「復興資金を流用してる!」と叩かれた」→そうした「圧力」「非難」を加えたという事実はありません。だいたい一介の大学教員にそのような権力があるはずもありません。観光協会のかたに冷静な判断を求めた事実はありますが、それはコンプライアンスに関する大学に準じた認識の確認であり、圧力とはいいうるものではありません。たしかに委員会規則の存否はユミソンさんと運営(実行)委員会に要請しましたし、経費の出納帳などの確認は、アーティストフィーや井上さんのキュレーションフィー、ボランティア、学生への支払いの適切性を考えるためにも、運営委員会に要請いたしました。いずれもコンプライアンスにかかわる事柄です(結局お答えいただけませんでしたが)。福島市や県、財団にユミソン氏がおっしゃるような「圧力」をかけたという事実は一切ありません。なにをもとにこのような話をされているのか、見当がつきません。(※追記(2019/09/07 16:58)ユミソン氏のnoteを何度も読ませていただき、もしかすると私たちが運営等にかかわるコンプライアンスやディレクションの問題を照会していたことを「嫌がらせ」と捉えられているのではないか、という考えがよぎりました。杞憂であることを願いますが)
②「また北田さんは2ちゃんに悪口を書き込み、2ちゃんの人たちから福島市や出資元にもいやがらせメールなどが送られる(「福島で芸術祭をするなんて不謹慎だ」「朝鮮人が福島を食い物にしている」など)。」
→私が2ちゃん(ふたば?)に書き込んだ時は、基本的に実名で書いていたと記憶しています。それはそれこそ芸術祭やユミソン氏批判を含むデマ・誹謗中傷対応においてであり、「悪口」というのがなんのことを意味するのか理解に苦しみます。また氏の文章ではあたかも私がネットで福島市や出資元へ嫌がらせメールを送ったかのようにも読めてしまいますが、まさにそうしたデマや誹謗中傷を抑制するためにネットのみならず、多くの人の力を借り、尽力したというのが、実際のところであると私は認識しています。
③「芸術祭の実行委員長がストレスからの過呼吸で緊急入院をするなど、運営に大きな支障がでる日々が続くが、最後まで実行委員はディレクターとして私を選択。」
→ここで問うことはしませんが、その過呼吸で入院されたかたについて「(誹謗中傷、デマを拡散していた)裏切者だった」と私に伝えたのは、ユミソン氏です。私は真偽についてはわかりません。ただ随分と当時と異なる文脈で出来事を意味づけていることに、強い違和感を拭い去ることができません。
④「最終的に、芸術祭を北田さん井上さん神野さんで仕切ることは断念し、北田さんの代理の弁護士という人から、私にした数々のことを黙っておく誓約書にサインを要求される(断った)。」
→受け取りを拒否された内容証明文書のことと思われます。これは「私にした数々のことを黙っておく誓約書」などではありません。あまりのトラブルに疲れ切った私が、「相互の瑕疵は認め、お互い、もう一切かかわらないことにしよう」と呼びかける念書であり、隠ぺいを求めるようなものではありません。この念書についてはじめは同意の志向を示していたのに、何度か反故にされ、ついに私の家族(妻)を代理人にせよ(北田と直接交渉しない)とまで指示しておきながら、最終的には受け取りそのものすら拒絶する。その姿勢は私にはとても不誠実に見えましたし、家族を巻き込んだことの意図も正当性も見出すこともできないでいます
⑤「ここまでは、福島市や町役場にもメールやファックスがあるのと、北田さんと井上さんと(神野さんも?)で、東京で私を辞めさせるための緊急会議を開き(私は不参加)、その様子を藤井さんが撮影しているので(消していなければ)映像資料もあるので、私の被害妄想ではないと考えられる。」
→私は出席していませんが、そうした趣旨の緊急会議ではなかったと聞き及んでおります。ボロボロになってしまい相互に疑心暗鬼になってしまった状況をどう克服するか、の呼びかけであったように記憶しています。「告発」の文章は、一つ一つの記述がこのような印象操作にまみれており、正直読むこと自体が苦痛で仕方がありません。
⑥「北田さん井上さん神野さんが去る前に、北田さんに去らないように一度私から申し入れをした。理由は、北田さんは社会学者として福島というフィールドを得られたことをとても喜んでいて、今後10年は通うと大阪の社会学者の岸さんにも報告に行ったと北田さんから聞いていた。私も眠れなかったり胃が大変なことになっていて、正直圧力から早く解放されたいと思っていたが、10年20年と長い目で見れば、人間同士だから喧嘩もする、今はめたくそ辛いけれど、長い目で見てやっていこうと北田さんに申し出る」
→そんな申し出を受けた記憶は微塵もありません。初期の頃に話していた岸さんの話をこんな「クライマックス」に押し込んでくるのは、いくらなんでも書き手としての誠実性を疑ってしまいます。
⑦「(その前に、運営委員会のメンバーに彼らが福島にやってきても「紳士的に扱うように」と取り付けていて、運営員のメンバーは緊急入院したり、誹謗中傷を投げかけられたのに、了承してくれた。偉すぎる)。」
→私たちによる「運営委員会のメンバーに対する誹謗中傷」それ自体が存在しないのです(コンプライアンスに関する照会はありましたが)。私と井上さんとの私的な会話でも当時から今に至るまでそんな話は全然していません。なにをもってそのように主張しているのか理解しかねます。
⑧「その際に、田舎は自分には合わない、東京で芸術関連の何かをやる、中卒の馬鹿たちとは一緒にできないなど、最後っ屁みたいな話を聞く。その後に、井上さんは東大の職員となり神野さんと北田さんと社会の芸術だかAMSEAだかを始める(これも時間軸が繋がっているだけで因果関係はわからない)。」
→一言も言っていないことを、また井上さんからの風聞という形で根拠もなく「北田が言った」とする主張は本当におやめいただきたく思います(井上さんに確認したところ、そんなことは話してもいないとのことでした)。私は自信をもってユミソン氏が私が言ったとするような誹謗中傷をしていないということができます。なぜなら、そんなことを思ったことは一度としてなかったからです。
⑨「井上さん北田さんが、アラフドの運営資金について「運営は地元の金持ちだ。それは復興資金を使って遊んでいるのではないか」という旨をフェイスブックやメール配信、集まりの場で発言をされました。」→私に関していえば、記憶も記録も全くありません。私の記憶違いもあるでしょうから、この点ご精査をお願いいたします。

(5)風聞による推論
以上が「告発」に対する応答ですが、ユミソン氏の「告発」テクストそのものが持つ問題性について、少しだけ指摘しておきたいと思います。
ユミソン氏は「告発」を書く至った理由として「一つ目は、人づてに私と同じような目にあっている人が複数人いると聞いたので、あの時、私が後に続かないように止めなかったのを悔やんだから。二つ目は、複数人に圧力をかけながらも女性や人権や暴力についてのディスカッションを行うのを見ていると、彼らの行動の背後を知らずに参加している人たちに申し訳ない気持ちになったから。」と述べます。
 ハラスメントの問題はきわめて重要であり、AMSEAにおいても授業、講習会を通して考える機会を設けています。重要であるがゆえに、風聞や噂に基づく誤った推論を誰もが読みうるネットで呈示することにはきわめてセンシティブであらねばならなりません。、ユミソン氏が見聞きしたという事案は、不確かな情報に基づき代理告発すること自体が加害行為への加担となってしまうような、そういう複雑な事案であるかもしれません。その場合、ユミソン氏は事態の複雑性、ご本人の意向をまったく理解していない状態で、いわば代理告発しているわけで、それは二次加害への加担となる可能性について少しでも考えていただきたく思います 。
 まずは被害者保護の前提から、ユミソン氏の執筆動機の部分は消去してほしいです(隠ぺいなどいうことはありえません)。北田や井上文雄氏、神野真吾氏に対する「怒り」――それを表明することに異議はありません――を正当化するために、他者を利用することはあってはならないことです。良識的な判断をされることを願います。
冒頭部の繰り返しとなりますが、もちろん#me tooの流れは重要な方法論であり、今後もますます複数のme tooは表明されるでしょうし、女性たちの言葉を奪い返すことの重要性は否定すべくもありません。「正当化が難しいから・曖昧だから」で声を出せない状況を打破していくためにも#me tooは不可欠です。告発の対象となった男性は、「言ったもの勝ち」などと一括して否定するのではなく、自らが履いている下駄をいったん外して、その声に耳を傾け、それでもやはり不当であると思うときには、個別的にしっかりと真摯に応答していけばいくべきであると私は考えます。その意味での説明責任を放棄することはそれこそ「特権」です。個人情報がかかわる問題なので場を慎重に選択する必要はありますが、私はそうした意味での説明責任は引き受け続けたいと思います。

(6)今後の検証について
 以上をもってユミソン氏の告発へのいったんの、そしてネットでの最後の応答としたいと思います。これ以上の詳細についての検証は個人情報や関係する人の特定化等に至るため、ネットでは控えるべきと考えます。公正性と客観性を担保しうる場にて行うことをご提案申し上げます。上記のように説明責任を果たしてまいります。それが「告発」を受けた者の責務と考えます。

                   2019年9月7日 北田暁大

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