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「お六櫛」・・・櫛が繋ぐ不思議な縁。


街道で出会った櫛は、心の底まで梳いてくれる。
それは人と人とを繋ぐ街道そのものであるかもしれない。

『お六櫛』

「ああ。もう足が棒のようだよ」

鳥居峠の急な坂道を抜け、ようやく藪原の宿にたどり着いたおせんは、
思わず大きなため息をついた。

塩尻で急な法事があり、娘を姑に預けて参列した帰りである。
妻籠の家まで、およそ二十里。
今日中に、というのは欲張り過ぎだとしても、
せめて上松、須原辺りまで行くつもりだったのだが・・・

「お天道様があんなに傾いてる。これじゃあ、とても無理だねぇ」

おせんは、額に流れる汗を手拭いで拭きながら天を仰ぎ、
子守りに疲れているであろう姑の嫌味と
「まだ良いじゃないか」という親戚の甘い言葉を天秤にかけて
出立を遅らせてしまったことを後悔していた。


中山道は「緋の道」「女の道」とも呼ばれている。
東海道に比べると人通りは少なく、川止めもない為、
滞りを嫌う嫁入り道中に多く使われてきたからだ。

しかし、街道随一の難所と言われる鳥居峠は、嫁ぐ不安を暗示するように厳しい。
大志を持って旅に出た若者でさえ、自らの無謀さを恥じるほどだという。

「あたしの足も、もう少ししっかりしてると思ってたんだけどねぇ」

暑い日差しを受けながらの峠越え。おせんは精も根も尽き果てていた。

もはや故郷で待つ娘たちの顔を思い浮かべても、足は一歩も動かなかった。

おせんは、一息つこうと小さな土産物屋に入った。

そこには、木目の美しい櫛がたくさん並んでいた。

普段のおせんなら、あれやこれやと目を輝かせて品定めするところだが、
元から日差しに負けて入った身、申し訳程度に櫛を眺めるのが精々だった。

「お疲れでしょう、お気になさらずにお休みください」

まるでおせんの心を読んだように店番をしていた芥子坊主の小僧が声をかけた。

「御遠慮なく、お気が向きましたら、どうぞご自由にお試しください」

まだ五つ六つくらいだろうか、妙に商人言葉が板についている小僧は
そう言って奥へ引っ込んだ。

だが、そっけないくらいの対応が今のおせんには嬉しかった。

疲れ果てた時に並べられる手前味噌な売り口上は地獄の責め苦に感じる。

ぽつりと店先に一人残されたおせんは、棚に並んだ櫛のひとつを手に取ってみた。

装飾も文様も無い質素な造り。
ミネバリの木だろうか、心地よい肌触りがすぐに手になじんでくる。

おせんは戯れに、その櫛でびんを梳いてみた。

旅疲れで乱れていた髪の間を、櫛は引っかかりもせずにスルリと通り抜けた。

「あら。これ・・・」

お六櫛01

思いがけず通りの良い櫛におせんは驚いた。
ひと櫛梳(す)くごとに張りつめていた髪がなごんで
体から疲れが消えていくような気がするのだ。

すっかり心が軽くなったおせんは店の奥にいる小僧を呼んで感謝を伝え、
その櫛を土産として買って帰った。

数年後、櫛が縁となり、おせんの娘と立派な櫛職人に成長した小僧が結ばれたという。お六櫛で髪を漉いてもらえば、漉く者の愛情が髪を通して伝わると言われている。


旅にあって何気なく手にした土産物が、人生を大きく変える事がある。

おわり

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