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揺れるカーテンは祈りをはらんで。


このところ雨が降り続いている。

ジリジリと迫りつつある師走への焦りとここ最近の暮らしの不調に拍車をかけるように、空は曇りこみ、唸る風は窓を叩いている。おまけにすき間たっぷりの引き戸がガタガタと騒ぎ立てるせいで、ここ最近ろくな睡眠ができていない。

どうにも釈然としない。
生活の速度が加速する一方で、そこに留まり続ける感情は部屋に影を落とす。打ち捨てられた記憶たちが囁きあっている。

うす暗い部屋で電気を付けられないままでyouthubeを見あさっていると、ふとなじみ深い二つの名前のタイトルが画面に現れた。
米津玄師さんと是枝監督の「カナリヤ」MV制作における対談動画だった。

お二人のことは大学に入ってから好きになり、1,2年はゆうに過ぎているはずなのに、この曲と、MVの監督が是枝監督であることを知ったのはつい最近のことだ。

二人の対談は、美しい言葉たちとお二人それぞれの深い教養と感性、また互いへの深い尊敬に溢れ、それはサムネイルの湖畔のように澄んで静かなものだった。

「カナリヤ」の美しいインストをbgmに、MV制作に至るまでの経緯、楽曲を取り巻く環境とお二人の考え、お互いの制作物への感想などが語られていく。その中で、是枝監督の米津さんの作品に対する視線と、それを踏まえた監督の制作への姿勢、その哲学がとても印象的だった。

動画も中盤に差し掛かってきたころ、
作品における「瞬間の表現」について

「好きな曲には願いや祈りがある。米津さんの曲は心がふっとほどける瞬間があり、風景描写に関しては曲の中に風が吹いてる肉薄がある」
と是枝監督、

それに対し「楽曲づくりにおいて大切にしているもので、日常の些細な一瞬を取りこぼさず、自身の中に蓄積されたそれらの記憶が攪拌され、浮上してくることが一つとしてある」と米津さん。

そういった「日常に埋もれてしまうものにカメラを向け、切り取り、かけがえのない詩に変えていく、その膨大な言葉や映像の記憶の中で浮き上がってきたものを捕まえて作品におとしこむ作業」ができると作品として強いものになっていくと是枝監督。

かなり抽象的な内容だが、重力にもたげていた私の頭にはするりと入ってきた。お二人の言葉遣いがとにかく清らかで澄んでいて、なにより世界へのまなざしが暖かく、美しかった。二人のあたたかな光に照らされ、自分が生きているこの世界と、そこでの芸術や作品の世界に対する思いが透過された様な感覚を覚えた。

私たちは一人一人違う世界を生きている。そして、その中であまりに多くのものを見過ごしながら日常を過ごしている。その失われてしまう断片たちには、その人しか持ちえない、その時の知覚や感情、思いが潜んでいるはずだ。自分の場合、蒸し暑い夏の日、家を出た先でふっと見上げた空に立ちこめる入道雲を見た瞬間や、夜の駅で友達と別れた後、バスの往来から吹く風を受けたその時なんかがそうだ。そしてそれらには、何か言語化できない願いや祈りに近いものがある気がする。

私が好きなクリエイターさんたちは、その見過ごされてしまうの断片たちを大切に切り取り、捕まえ、とどめて、そこに宿る願いや祈りの蓄積から、いくつかを掬いあげ、自分のまなざしを通してそれをいろんな世界に届けているような気がしてならない。

彼らは自分が受け取ったものたちを、チャンネルを変えて、普遍的かつ人々の具体的な日常/瞬間に還元されるような価値観、または感覚に変換し、作品に落とし込んでいるように思える。

私たちが何か素晴らしい芸術に触れて感動したり、救済を受ける瞬間、きっと私たちの中の記憶と、その作品の中の祈りや願いが共鳴しているはずだ。



動画を視聴し始め数分が過ぎ、「カナリヤ」も終盤に差し掛かったころ、カーテンのすき間から差し込む何日かぶりの陽光に気付いた。晴れた。

窓を開け、外を見る。
世界は明度をあげ、風は連日の湿気をさらっていく。
軽やかな空気が部屋に入り込み、前髪を揺らす。ふっと息がほどける。
散り始めた分厚い雲はその隙間から淡い青色を覗かせ、濡れた屋根や天井は久しぶりの太陽の光を受けて薄橙色に染まっている。視界は良好だ。

私は今ここで光を浴び、風を受け、息をしている。
これがたとえ一瞬のものだとしても、だ。

私も、お二人が話されたような、祈りや願いが宿るその一瞬たちを大切にしまっておきたいと思う。
いつかそれを誰かに届けることができる、その日まで。

窓のそばでは、白いカーテンが光を抱いて揺れている。



※サムネイル画像は米津玄師さん「カナリヤ」のMV https://youtu.be/JAMNqRBL_CY?si=-c5GF5t1t4cQey_Q から。
スクリーンショットです。



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