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ホワイトデー生まれのあの子


柴犬の女の子が家族だった話。

私が中学生のときに柴犬の女の子が家にやってきた。
ひとりっ子の私は、妹ができたような気持ちで嬉しかった。
社会人になっても一緒だった。
おばあちゃんっ子なところが私と似ていた。

4年前のバレンタインデー、東京は記録的な大雪の日、
彼女はもう二度と会えない遠いところへ行ってしまった。

ずっとずっと泣いた。
何をしていても涙が止まらない。
子供の頃にもこんなに泣いた記憶がないくらい。
喉も頭も痛くなって、意識がぼんやりするほど泣いた。

もう会えない悲しさと、
あの子は幸せだったかなという後悔みたいな気持ちが、
ずっとずっとぐるぐる駆け巡っていた。

しばらく月日が経って、だいぶ心も落ち着いてくると、
「もうそろそろ生まれ変わってるかもしれないな」と考えるようになった。

また柴犬になってるかもしれないし、花かもしれないし、蝶かもしれないし、人間かもしれない。そうしたらまたどこかですれ違うことがあるかもしれない。でも日本とは限らないか、外国かも。いや地球じゃない星っていう可能性もあるし…
死んだらどうなるんだろう?ではなくて、あの子はいま何になっているんだろう?っていう妄想。 

これは輪廻転生の考え方なんだろうか。
普段から特別に信じて祈るような存在はないんだけど、
そのときは、この考え方がしっくりきたというか、そうであったらいいなと思った。

大好きなあの子の命が、またどこかでパッと咲いて、
ふんわりと幸せな風に吹かれていたらいいなと。

18年前のホワイトデー、
ひとつの命が柴犬の女の子として生まれたことに感謝したい。
私たち家族にたくさん幸せをくれて、ありがとう。

またね。


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