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オフコース愛を止めないで!【4】1982年解散騒動、伝説の武道館コンサートから40周年。改めて解散について考える

突然「オフコース沼」にはまった 1976年生まれの著者がお送りする、連続コラム【オフコース愛を止めないで!】

【1】すごいのは小田和正さんだけじゃない。隠れた名曲「きかせて」で、その魅力にはまる
【2】大ブレイクの5人時代。強すぎる「Yes-No」の歌詞と「さよなら」の本当の魅力
【3】80年代シティポップもあり?名曲、英語曲多数。聴かなきゃもったいない4人時代
【4】1982年解散騒動、伝説の武道館コンサートから40周年。改めて解散について考える ←今回はこちら
【5】NHK「若い広場」でみる、メンバーの素顔

※他の回は、下記リンクよりご覧いただけます


オフコースの解散について、改めて。

1982年の「解散騒動」

1989年に解散したオフコースだが、世間の大きな関心を集めたのが、1982年の「解散騒動」だ。1982年に行われたツアーのファイナル、今では伝説になっている「武道館10日間コンサート」を最後に解散するという噂が広がり、世間を騒がせていた。

「Give UP」というノンフィクション本

この時期のオフコースに密着取材し、執筆された「Give up オフコース・ストーリー」というノンフィクション本がある。
著者は、山際淳司さん。江夏豊氏などについて書いた「スローカーブを、もう一球」で有名なノンフィクション作家だ。1995年に、46歳の若さで逝去されている。
オフコースが人気絶頂の1980年、鈴木康博さんが脱退を申し出てから、活動休止状態に入る82年までのことが詳しく書かれている。

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「GiveUp」を読み、82年「解散騒動」を知る

ブレイク後に得たもの、失ったもの

この本に描かれているのは、オフコースが「さよなら」でブレイクを果たした後の1980年春から、鈴木康博さんが実質脱退した1982年夏まで。
その前の二人オフコースの頃のエピソードや、メンバーそれぞれの来歴、インタビューなども詳細に記されている。

「さよなら」のヒット後、メジャーなバンドとして急速に発展していく中で、オフコースが得たもの、失ったものがよくわかる。
得たものは、オフコースファンなら誰もが知る素晴らしい作品群と、目を見張る快進撃。そして失ったものが、鈴木さんだった。

鈴木さんの思い、そして小田和正さんの思いが、詳細なエピソードの積み重ねや、それぞれの言葉(インタビュー)によってよく伝わってくる。
もし「オフコースは小田さんのワンマンバンド」というイメージを持っている人がいたら、まったく認識が変わるのではないかと思う。

若い三人のメンバーに魅了される

他の三人のメンバー、清水仁さん、松尾一彦さん、大間ジローさんについても、とてもいきいきと描かれている。三人の来歴や解散に対する思い、ざっくばらんで温かい人柄がよくわかる。気がつけばすっかりお三方のファンになり、解散に対して複雑な思いを抱く様子に、肩入れしたくなってしまう。

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1982年解散騒動の顛末と「Give UP」の面白さ

悪役は出てこない

メンバーがそれぞれの思いを抱える中で、いろいろ葛藤はあったと思うが、この本の中では、悪役は出てこない。
それぞれの思いを抱えているが、感情をぶつけ合う激しい場面もなく、互いの立場を尊重しつつ、終始和やかな調子。
「誰も悪くない」。だからなおさら「どうして解散しなければならないのか」。読む側は切ない気持ちになってくる。

40年前のプロモーションの大変さ

「Give UP」は、40年前の昔の、音楽業界の裏側を描く本としてもとても興味深い。売上や利益などの、リアルな数字も多く出てくる。

面白いのが、オフコースの解散をどうやって告知するのかを模索する話だ。この話に、かなりのページ数が割かれている。現代だったらSNSで告知すれば一発だが、40年前はそうはいかないのだ。

テレビに出演しない、記者会見を開くなどもっての外のオフコースが解散を告知する方法はとても難しい。新聞広告だ、新聞や雑誌への寄稿だ、ラジオ出演だ、とあれこれ案が出てくる。もうFAX一枚送って済ませてしまえと思うが、この当時はFAXすら普及していないのだった。

現代に比べてメディアの選択肢がとても少なく、テレビというメディアだけが異様に発達して重要視されていた当時が、なんだかとても歪に思える。自分もいちおう生きていて、よく知っている時代なのだけど。

そんな40年前のドタバタの様子も、とても面白く読める。

結局、解散は・・・

「Give UP」は1982年発行なので、1982年の先のことは書かれていないが、実際は【3】にも書いた通り、鈴木さんが去った後4人でオフコースは再出発することになる。

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小田さんインタビュー本から、4人オフコースの様子を知る

4人オフコースのコンセプト

【2】【3】でおなじみの「YES-NO 小田和正ヒストリー」と、同じ著者の方の書いたインタビュー本「たしかなこと」には、4人オフコースになってからのことも語られている。
小田さんが4人オフコースになってから「3年限定でバンドを続け、その間に各々の力量を上げよう」とコンセプトを上げたことなどが語られている。

それぞれにとっての「オフコース」が終わる日

しかしこれらを読んで感じるのが「小田さん以外のお三方の姿が見えてこない」。「Give Up」や、「YES-NO ~」5人時代の話にあったような、いきいきとした三人のエピソードが見当たらないのだ。
先ほど出てきた「3年限定」コンセプトに対する三人の反応も、わからない。

ひと通り読んで、やはり小田さんにとってのオフコースは、鈴木さんと一緒に作り上げてきて、終わらせるものだったのだな、と感じた。
オフコースを終わりにしたい小田さんと、愛着を持っている三人。その間に齟齬があったのではないか、と考えてしまう(あくまで、私の推測だけど)。

 さて、オフコースの解散の真実とは、何なのだろうか?四人のオフコースの前に、すでに彼らは、解散済だった。これは事実だろう。そして、四人のオフコースは、3年の約束で始めたことだから、その年数を経過したところで、再活動の精神的なコンセプトは、”解散”していた。

小貫信昭「YES-NO 小田和正ヒストリー」より

そして1989年2月、東京ドームでのコンサートを最後に、オフコースは完全に解散した。

次回は最終回。
NHK教育テレビのドキュメンタリー番組「若い広場 オフコースの世界」。
最後に鑑賞しながら、思い切りオフコースの世界に浸ります。

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