見出し画像

オフコース愛を止めないで!【3】80年代シティポップもあり?名曲、英語曲多数。聴かなきゃもったいない4人時代

突然「オフコース沼」にはまった 1976年生まれの著者がお送りする、連続コラム【オフコース愛を止めないで!】

【1】すごいのは小田和正さんだけじゃない。隠れた名曲「きかせて」で、その魅力にはまる
【2】大ブレイクの5人時代。強すぎる「Yes-No」の歌詞と「さよなら」の本当の魅力
【3】80年代シティポップもあり?名曲、英語曲多数。聴かなきゃもったいない4人時代 ←今回はこちら
【4】1982年解散騒動、伝説の武道館コンサートから40周年。改めて解散について考える
【5】NHK「若い広場」でみる、メンバーの素顔

※他の回は、下記リンクよりご覧いただけます


オフコースは4人になった

活動休止、そして・・・

鈴木康博さんの脱退後、オフコースは活動休止状態に入った。
小田和正さんはインタビューで折に触れてその時の心境を語っていて、比較的新しいものでも、このように触れている。

――解散の時の心境は。
 長いこと音楽一緒にやった相棒がいて、お互い助け合いながらやってきた。それが1人抜けるとなった時「もう音楽できない」って思った。82年の武道館公演の最終日が最後のステージだと。自分の音楽のキャリアとしてはね。その後も何年かは続くんだけど、先のイメージが全くなかった。

朝日新聞デジタルインタビュー「(フロントランナー)アーティスト・小田和正さん
 もっと、みんなの近くへ」(2019年10月19日)より

小田さんの「もう音楽できないって思った」という言葉はとても重い。エリート街道より音楽を選び、長年売れなくても音楽を諦めなかった小田さんなのに。

それでも結局解散せず、活動を再開した経緯はどのようなものだったのか。ベース清水仁さんの印象的な言葉が、小田さんのインタビュー本「YES-NO 小田和正ヒストリー」にある。

 そして小田は、若き日からのパートナー、鈴木康博を失って、もう自分で音楽をやるのはよそうと、そう決めていた。
「そしたら、こういう時は、仁なんだよ。あいつが合理的なことを言ったんだよ。”四人でオフコースやったらええやん?”ドゥービ―ブラザーズなんて、ほとんどオリジナル・メンバー残っておらへんで。イーグルスかて、そうや」
 しかし、小田が実際に四人のオフコースを始動するまでには、少し時間を要した。

小貫信昭「YES-NO 小田和正ヒストリー」より

清水さんのこの言葉が、活動再開へのきっかけの一つになったのかもしれない。

4人での活動再開へ

オフコースは、1983年に4人で活動を再開する。
5人時代とは異なる、あるコンセプトをもって始められた4人時代だったそうだが、それは【4】で詳しくふれたい。

それにしても、2019年朝日新聞インタビューの、4人時代を表すのであろう「その後も何年かは続くんだけど」という、余勢だったみたいな表現は少し寂しい。これから4人オフコースの音楽について熱く語ろうとしている、私としては。

というわけで、いろいろあったのかもしれない4人時代だけど、ここでは残された作品について大いに語りたい。

*   *   *   *   * 

4人時代はこんな感じ?

エレクトリックな親しみやすいサウンド

【1】で、ざっくりと「4人時代は、エレクトリック入ったロック」と書いた。このエレクトリック感が、私には懐かしく、親しみを持って聴ける。

これは世代的なものだと思う。
4人オフコース時代は、私が小学生だった80年代半ば。テレビの歌番組では、オメガトライブやCCBなど、エレクトリックなサウンドのミュージシャン達が日常的に出演していた(オフコースはまったく出演しなかったけど)。アイドルの曲も、そういう技術で作られたものが多かった。
テレビで聴く初めて知るポップスがそういう音だったから、5人時代のサウンドより、より身近に感じるのだと思う。

受け手も、より軽やかになった?

80年代のエレクトリックサウンドに共通しているのは、さわやかな夏空や都会の夜景が似合うこと。
これは1987年のアルバム「as close as possible」。

全曲夏にドライブで聴きたくなるような、さわやかなサウンド。表題曲の「もっと近くに (as close as possible)」は、マンネリになった恋人にもう一度口説かれるような、少しキュンとする歌詞とのバランスが良い。清水仁さんと松尾一彦さんボーカル曲「Tiny Pretty Girl」はスコーンと明るく、異彩を放つサウンドがかわいい。

同年のコンサートツアーの様子をおさめた映像をみると、客席で、おしゃれな80'sギャル達がノリノリで踊っている。
5人時代の武道館コンサートでは、学校の制服のまま来たような純朴な女の子も多く、皆泣き出さんばかりの熱狂ぶりだったことを思うと、だいぶ雰囲気が変わっていた。

ライブの様子は、80年代らしく都会的でスマート。小田さんが、手持ちキーボードを持って演奏する場面も。まるで浅倉大介!
小室哲哉だけでなく、浅倉大介にまで先んじていたとは。小田さんは本当に、いろんなことやってきたんだな・・・と思った。
浅倉大介さんは、音楽ユニットaccessとT.M.Revolutionのプロデューサーで有名

*   *   *   *   * 

全英語詞のアルバム「Backstreets of Tokyo」

海外進出を目指して作られたアルバム

1985年、全曲英語詞のアルバム「Backstreets of Tokyo」がリリースされた。
海外(アメリカ)進出を目指し、作られたものだったが、アメリカでのリリースには至らず、国内でリリースされた。
前年に国内で発売されていたアルバム「The Best Year of My Life」収録曲など8曲に、すべて英語詞(作詞ランディ・グッドラム)をつけ製作されたものだった。

控えめに言って、超かっこいいアルバム

私はかなり、このアルバムが気に入っている。
もしオフコースじゃなく、どこかの知らないバンドのものだとしても、大好きだったと思う。これは私の個人的な音楽の好みが大きい。

私が20代だった90年代後半、洋楽といえばUKロック(レディオヘッド、グリーンディなど)がブームだった。でも私はあまりピンとこなかった。
それでも洋楽を聴きたくて、一昔前のAORといわれるジャンルが気に入り、TOTO、ホール&オーツ、Stingなどをよく聴いていた。

この「Backstreets of Tokyo」はそういう私には、かなりのどストライク。
きっと、その頃ブームだったAORを意識して作られたものなのだと思う。

英語版と日本語版、聴き比べてみよう!

収録曲全てに日本語版があり、聴き比べると面白い。
特に気になったものをピックアップしてみる。

FOOL (WHAT DOES A FOOL DO NOW) ⇔ 恋びとたちのように

1曲目の「FOOL (WHAT DOES A FOOL DO NOW)」。
アルバムの頭を飾るにふさわしいキャッチーさ。自然と何度も聴きたくなる。寒い冬の失恋ソングといった趣だけど、都会的でかっこよくて、重くない。サビの ♪FOOL~WHAT DOES A FOOL DO NOW~ は、思わず一緒に口ずさんでしまう。

日本語版は「恋びとたちのように」(「The Best Year of My Life」収録)。
サビの ♪FOOL~ は、♪Woo~ に置き換えられていて、トラックもほぼ同じ。でも「FOOL」と同じ感じで聴けるかというと、やはり違う。言葉の乗り方なのか、独特の湿気がある。

湿気がある重めの方が好きなのか、スマートで乾いたのが好きかで、どちらが良いか分かれると思う。私は「FOOL」が好き。
しかし80年代の歌詞って、さらりとエロくてびっくりする。
80年代の「大人のエンタメ」ってこんな感じだったのかもしれない。

EYES IN THE BACK OF MY HEART ⇔ 君が、嘘を、ついた

日本語版は、4人時代の代表曲「君が、嘘を、ついた」。
オフコースが紹介される時は必ず出てくるほどの代表曲だけど、実は以前は苦手だった。女性目線だと、どうにも怒られてる気分になってしまい・・・
♪今君が嘘をついた ♪また君が嘘をついた
って、そんなに何度も言わなくてもいいじゃないか(泣)、みたいな。

でも英語版「EYES IN THE BACK OF MY HEART」で、純粋にサウンドのかっこよさを堪能できたことで、見方が変わった。
そうか「君が、嘘を、ついた」ってこんなかっこいい曲だったのか!と、食わず嫌いがなくなり、聴きなおすことにつながった。
改めて聴きなおすと、ラストの部分は日本語版の方がかっこいいなぁと思った。
♪君が誰かを愛している~ ギュルルンギュルルンギュルルー-ン・・
英語版のラストよりキレがいい、と気づいた。
これぞ相乗効果。でもトータルだとやっぱり英語版が好きかなぁ。

ENDLESS NIGHTS ⇔ たそがれ

サウンドもハーモニーも幻想的で、とても美しくて大好きな曲。この曲には、海外進出挑戦にまつわるドラマがある。小田さんが「Backstreets of Tokyo」リリースの翌年、ソロプロジェクトのために単身アメリカに滞在していた時のこと。滞在していたロサンゼルスのFM局で、なぜかこの曲が度々オンエアされたという。

「なぜだかわからないんだ。わからないんだけど、こっちではリリースもされてない『バック・ストリーツ・オブ・トウキョウ』の曲が、FMで掛かっているっていうんだ。『フール』って曲と、『エンドレス・ナイツ』なんだけど、よく、掛かってるって。これはチャンスだと思ったよ」
(中略)
「詞を書いてくれたのがランディ・グッドラムだから、彼に訊ねたんだよ。どういうことなのかって。”プロモーションしたのか?””いや、わからない”。でも、曲を掛けてくれたDJを知っているっていうから、電話したんだよ。そしたら、”いや、誰かが俺のところにこのレコードを送ってきたんだ”。”〔エンドレス・ナイツ〕っていうのが、なかなか良かった”」

小貫信昭「YES-NO 小田和正ヒストリー」より

その後も『ENDLESS NIGHTS』はリクエストで何度となくON AIRされた。ある時は『HOTEL CALIFORNIA』に続けてかかったと聞いた。アメリカで、イーグルスの次に僕らの曲がかかるなんて。僕はすごく嬉しかった。しかし僕は一度、FADE OUTしてゆくエンディングを聞いただけだった。でもあれは確かに『ENDLESS NIGHTS』だった。

小田和正 著「TIME CAN'T WAIT」(朝日新聞社 1990年)より

なんの後ろ盾もなく、80年代のアメリカで自然発生的に評価された「ENDLESS NIGHTS」、只物ではない。ちらっと書いていたけど「FOOL」も。やっぱりそうだよね、どちらも絶対いいもの!と思わず自分の耳に自信を持ってしまった。

日本語版は「たそがれ」。
小田さんのアルバムでもセルフカバーされ、今でもライブで歌われている。
今では「ENDLESS NIGHTS」の日本語版という感じではなく、小田さんがアコースティックに歌い上げる、独立したバラードというイメージ。

私は「ENDLESS NIGHTS」の方がずっと、ヒーリング感があって好きだ。
サビの出だしの歌詞が、「ENDLESS NIGHTS」は
♪Endless nights where hearts can hide
なのに対し、「たそがれ」は
♪愛はたそがれ
とひとこと。
♪あ~~いは~~~たそ~~がれ~~~ より、
♪エ~ンドレスナ~イツ フェアハ~ツキャンハ~~イド の方が、聴いていて気持ちがいいのだ。

でもそういう、言葉の乗り方のようなことだけで、単純に好きだというのも違う。
海外でここまで評価された名曲が、今は歌われることもなく、ほとんど知られない存在になっている。それがただただもったいないと思ってしまう。「ENDLESS NIGHTS」は本当に、もっともっとたくさんの人に聴いてほしい曲だ。

小田さん唯一のエッセイ本 ↑ 文体がとてもかっこいい。世相(バブル時代)もなんとなく感じられて面白い

どちらが好きかは、あなた次第・・・

私はこんな感じで、結局英語版に軍配を上げてしまう。
でも考えてみれば「Backstreets of Tokyo」収録曲のトラックはほぼ日本語バージョンと変わらないので、それだけ国内用に作られた「The Best Year of My Life」や、他のこの時期のシングルが優れている、ということになる。
オフコースファンで両方を聴いたことがない方は、ぜひとも聴き比べてみてほしい。親しみやすさがある日本語版の方がいいという人も、きっと多いだろう。

あぁでも、「ENDLESS NIGHTS」だけはなんとか消えないでほしいなぁ。「戦場のメリークリスマス」みたいな感じでずっと残っていってくれればいいのに。でもインスト曲とは違うから難しいのかな・・・

 ↓ こちらは日本語のアルバム ↓

松尾一彦さん作・ボーカル曲に注目!

「Backstreets of Tokyo」に関してもう一つ、声を大にして言いたいのが
「松尾さん作・ボーカル曲、めちゃくちゃいいです!!」
このアルバムの中での松尾さん曲は「LOVE'S DETERMINATION」「LOVE'S ON FIRE」の2曲。
どちらも、純粋にかっこいい。何度もリピートして聴いてしまう。

松尾さんの声は、哀愁とクリアな美しさとが同居しているけど、いい意味で個性が強すぎない。
この前、SNSのタイムラインで浜田省吾さんの「J-BOY」が流れてきて(最近昔の曲ばかり聴いているから、絶妙にこんなのが流れてくる)、聴いてみたら、少し松尾さんの声に似ているかもと思った。

「せつなくて」など、5人時代の松尾さん曲もやさしい感じで良いのだけど、4人時代の「80年代AORサウンド」に、松尾さんの声はすごく合っていたと思う。

ちなみに松尾さんのこの2曲は、日本語版もほぼ同じ感覚で聴けるので、聴き比べても、どちらがいいとかあまり思わない。なんでだろう。

*   *   *   *   * 

4人時代の愛すべき曲

「Back Streets of Tokyo」の話ばかりになってしまったが、本当に良曲が多い4人時代。ほんの一部をご紹介します。

昨日 見た夢

オフコースの曲は、イントロと歌の始まりで転調するものが多い。これもその一つで、マイナーなイントロからメジャーに転調して歌が始まる。
80's的サウンドの、キリッと冷たすぎるくらいのイントロから一転、愛にあふれた歌詞の世界が展開する。

♪昨日夢を見た あれはいつの頃 大きな自由に包まれてた
♪でも まだそこには君がいなかった 僕は不安そうに 回りを見ていた
♪通り過ぎたどの時代にも悔いはないけど 君のいない世界へ戻りたくない

小田さんの、愛を描く歌詞って、なんでこんなに素敵なんだ・・・
多分、愛する女性への歌詞だけど、子どもでも愛犬愛猫でも、人生の途中から現れた大切な存在がいる者は、皆共感できる歌詞だと思う。

この曲は小田さんがソロになってから、アルバム「LOOKING BACK」でセルフカバーされていて、オリジナルとの大きな違いが2つある。
一つは、「君を失うくらいなら どんな自由も この生命さえいらない」という歌詞が削除されている。(大抵の人は、この改変に異論はないと思う)

もう一つの違いは、イントロと歌の始まりで転調しないこと。
イントロもメジャー、歌の始まりもメジャー。
オリジナルが、キリッと冷たい朝に目覚め、まだ薄暗い中、隣で眠る大切な人を見つめる・・・みたいなキュンとする雰囲気なのに対して、
メジャーなイントロのセルフカバー版は、さわやかに目覚め、普通に用事を済ませながら「随分昔の夢を見たなー」と思い出してるような、カラっとした雰囲気。その違いがとても面白い。

IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)」

私は4人時代の曲を聴いているうちに、いくつか「これ、80年代シティポップじゃない?」と思うようなものを見つけた。これは、その中でもかなり洗練されているもの。

今流行している「70,80年代シティポップ」は、なんだかすごく厳密に定義する向きもあって
「これはシティポップじゃない?」「いやそれは違う」
みたいな軽い論争もあるのだけど、他方、菊池桃子もwinkもシティポップの範疇だったりするので、もう、エレクトリックでアーバンな雰囲気があればシティポップでいいんじゃない?と私は思う。

「IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)」は、イントロからもうシティポップ。オメガトライブっぽい。全編メロウで夏が似合う感じだけど
♪君の生き方に憧れていた いつでも後を追いかけていた
♪誇りを捨ててまで 生きてゆくなんて oh no oh no それじゃ哀しすぎる

としっかり小田さんらしいメッセージ性がある所もいい。

I can't stand this

松尾さんボーカル曲でアルバム「Still a long way to go」収録。これも「IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)」と同様、かなり完成度の高いシティポップ、と思う。
冒頭で紹介した「Tiny Pretty Girl」みたいに、スコーンと明るい。でもあえて(?)ダサかわいい感じの「Tiny…」に比べると、もっとシュッとしていて都会的。

松尾さんの声、シティポップにもよく合うなぁと実感できる一曲。シティポップのアーティストとして必ず名前が挙がる、佐藤博さんにも声が似てるんだよね。
浜田省吾だったり佐藤博だったり、忙しくてすみません。それほど松尾さんは幅が広いのだと思う。

she's so wonderful

これも個人的シティポップ枠なのだけど、イントロがちょっとクラブミュージック(ディスコミュージック?)っぽくて、よりクール。

♪不思議だね 君がいれば 何でもできる気がして
♪She's so wonderful No girl could ever be
♪She's so wonderful She's so wonderful to me

歌は底抜けに明るく心地良くて、かつクラブミュージック的なクールさもある。シティポップや80’sサウンドが好きな若い人に聴かせたら、「えっこれ小田和正が歌ってる?」って驚かないかなぁ。と妄想が広がる一曲。

これも後に、小田さんソロの「LOOKING BACK 2」でセルフカバーされている。サビの歌詞がなんと
♪She's so wonderful 誰れもかわれない
と日本語になっていた・・・!
♪ノグックエッヴァ~ビ~(No girl could ever be)ってけっこう好きなのになぁ。ちなみに、クラブミュージックっぽくないアレンジでした。

逢いたい

清水仁さん作曲、ボーカル曲。
♪俺の身体突き抜けて くるおしい程の おまえの姿を焼きつけに来い
♪この街の声も吐息も 聞こえないから 今逢いたいから
吉田拓郎氏の詞の世界を表現するのは、清水さんの曲と歌声。これはAORでもシティポップでもなく、泥くさくて荒々しくて、もはやオフコースなのかもよくわからない。
でもそれはとりあえず置いといて・・・!と言いたくなるほど、最高。エレカシの宮本浩次さんを、ちょっと思い出す。

百聞は一聴にしかず。小田さんの言った「仁からロックボーカルを学んだ」の意味がわかった。これが清水さんなんだな。
全然タイプの曲じゃないのに、何度も何度も聴きたくなって、うっかりすると泣きそう。清水さん、この曲やばいです!

君住む街へ

これが4人時代の、一番の代表曲かもしれない。
小田さんのライブでも毎回のように歌われ、すっかり定着している。
私は、松尾さん清水さんとパートを分けて歌うオリジナルもすごく好きだ。
曲全体の静かに寄り添ってくれる感じに、三人の優しい声がすごく合っている。

【1】で、私は「リアルタイムのオフコースの記憶はゼロ」と書いたが、正確にはゼロではなかったのを思い出した。
子どもの頃家で聴いていたAMラジオから、この曲がよく流れていたのだ。
小学生にはやや寂しくて地味だけど、優しくしんみり響く曲と「お送りしたのは、オフコース『君住む街へ』でした」と紹介するアナウンサーの声を、おぼろげながら覚えている。

私の、オフコースの唯一のリアルタイムの記憶だ。

とても好きな曲だけど、私はまだ、この曲の良さの半分くらいしかわかっていない気がする。この先50代、60代と歳を重ねたら、この曲をもっと深く好きになっていきそうな気がする。

4人時代とは、なんだったのか?

実に多様な音楽たち

全編英語曲あり、シティポップあり、これぞオフコース、な聴かせる曲あり。実に多種多様な4人時代。バラバラ、と言えなくもない。一番、どれで行きたいと思ってましたか?とメンバーの皆さんに聞いてみたい。

私が好きなエレクトリックなシティポップ的サウンドは、その後の小田さんのソロなどを聴くとあまり取り上げられていない。時代が求めるものを作った、という感じなのかもしれない。

でも、いろんなテイストがあってもすべてのクオリティが高くて、私にとってはまさに「宝の山」。まだまだ面白さを発見できそうで、これからももっと聴き込んでみたい。

4人時代のバンドの様子は・・・?

4人時代について、5人時代よりだいぶ長く語ってしまった自分に驚いた。
オフコースが生み出したAOR・シティポップ的サウンドが、それくらい私にはどストライクだった。

4人時代のバンドの様子を伝える情報は、とても少ない。あっても、ポジティブなものはあまりない。
海外進出に挑戦したり、次々と新しいサウンドを求める過程で、メンバー間に葛藤があったんだろうか、などと想像する。
でももちろん、想像するしかない話。
言えることは、残された音楽は、とても素敵だということ。

次回、
再び「5人オフコース時代」に戻り、関連書籍をみながら、1982年にあった「解散騒動」について考えます。「4人オフコース」解散についても。

↓ 他の回は、こちらからご覧いただけます ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?