チバさんと私。

2023/12/5火曜日、12:34。
友人からのラインで、「もう無理よ。」と連絡が入る。
そのメッセージを見て、すぐにWEBサイトを検索した。

「チバユウスケ」のワードで。

見たくないものが一気に飛び込んで来た。
見た瞬間に嗚咽、号泣。
何が何だかわからない。
自分でも、何で泣いているのか。
なんだかもう苦しくて苦しくて、理由がわからなかった。

この気持ちをTwitterの短文で表わせるわけがない。
でも、この気持ちをきちんと残して置きたいから、noteにしっかりと記録を取ろうと思った。
チバユウスケを大好きな人たちにも読んでもらえたら嬉しい。

私とチバさんとの出会いは25年前の1998年、私が中学3年生の時に遡る。
中学時代、鬼のようにきついバスケ部に在籍していたが、3年生で部活を引退。
時間をもて余すようになった私は、家でテレビをよく見るようになった。
めちゃイケを見たくて、母親にせがんでケーブルテレビに加入。
私は九州、大分市在住の田舎民。
民法は2局しかない。
ケーブルテレビに加入しないとめちゃイケが映らなかったためだ。
しかし、暇な時間はめちゃイケだけでは埋まらず。
スペースシャワーTVやMTVを見るようになった。

そこで見た光景。
未だに強烈すぎて忘れられない。

スーツ姿。
シャウト。
激しいバンドサウンド。
ファイヤー!!!!!

き、ざ、ん、だ、瞬間をー、踏み散らすためぇーにー!!!
ゆ、び、からっ!なめだしてっ!
くるぶしでおわーれーっ!!!!!

口からファイヤー、うぉー!!!!

ということで、G.W.DのPVがロックを知らなかった少女の心を撃ち抜いた。
J-POPしか知らなかった私は、雷に打たれた気分。

あわてて画面の右下の文字を読む。
でも、読めない。
え。。エレファント???

とにかくエレファントのワードを頼りに、CDショップに後日駆け込む。
エレファントがバンド名なのか、歌の名前なのかも分からない。
必死で貯めたお小遣いを握りしめた中学生、CDジャケットですぐ気づく。

「スーツ着てる、この人たちだーっ!!」

始めて買ったアルバム、GEAR BLUES。
近所にCDレンタルショップがあったため、J-POPは聞いていたし、シングルは買ったことがあった。
ほら?当時って流行りの曲だけ聞いてませんでした?
アルバムなんて買ったことなかったんですよね、私。

それからの私、GEAR BLUESを何万回聞いたかわからない。

なんかもう新しい世界、Welcome!!!
ひゃっはー!!!と言った気分。

お小遣いが貯まるたびに、ミッシェル・ガン・エレファントの過去作を買い漁る日々が始まった。
そして、もちろんロックにもハマり。
色んなアーティストさんを聴くようになっていった。

つまり、ミッシェル・ガン・エレファントは私にロックを教えてくれた、神に等しい存在なのだ!!

それからお小遣いの9割はミッシェル・ガン・エレファントに注ぐ日々となる。
音源、雑誌、いろいろなものを買い集めた。

そして、高校では放送部に加入。
放送部は自分で書いた原稿を読む、アナウンスという活動をやっていたのだが、その原稿を入れる厚手のクリアファイル。
そのクリアファイルにドドーンとミッシェルのフリーペーパーを入れちゃうくらい、ハマりにハマった生活を送っていた。
あ、もちろん大会にもそのファイルで参加した。
ロック好きの他校の先生から、「ミッシェル好きなんかいっ!!かといって、ファイルにまで入れんでいいやろ!」とツッコまれるくらいの女子高生だったのだ。

バンド活動も始める。
ギターも買った。

全ての生活が、ミッシェル・ガン・エレファントの影響を受けた生活に変化した。

一番大好きだったのは、アベさん。
もうあの立ち姿だけでやられていた。
GT400が発売された時、「え、なんでこんなゆっくりな曲を。。あ、アベさんのギターの良さが。。」と多少ショックを受けるくらい、とにかく激しめの曲、アベさんのカッティングが好きな高校生だった。
あ、ちなみにもちろん今はGT400大好きです。大人になって大好きになった。
当時は、ピストルディスコとかが好きな女子高生だったのだ。

あ、ちなみに現在75歳の母はチバさん大好き。
特にオールバックにしたチバさんに心を射抜かれていた。
チバさんとお茶したいわねぇといつも言っていた母である。
あまりにも私が宗教のようにミッシェル・ガン・エレファントを拝んでいたために、母までも興味を持ってくれた。有り難いことだった。

タワレコの掲示板を眺め、ミッシェルの新譜情報が出るたびに予約をした。
今思えばギヤ・ブルーズ以降は、新譜のオリジナルアルバムはこの4枚しかなかったんだな。。

カサノバ・スネイク
ロデオ・タンデム・ビート・スペクター
サブリナヘヴン
サブリナノーヘヴン

出るたびに、ワクワク・ドキドキしていたあの気持ち。
すごく長い時間のように感じられた。
10代という青春の時間だったからこその、溢れ出るパワーか。

初めて見たライブは大学生になってから。
2003/5/29木曜日
WILD WILD SABRINA HEAVEN TOUR
@大分ドラムトップス

地元に来てくれて、必死でリズムレコードっていう店でチケットをゲット。
当時ってスマホとかないからさ、チケット取るのも一苦労じゃなかったです?

初のミッシェルのライブはもみくちゃになりながらも、最高だった。
前から3列目くらいでアベさんの前を陣取って。
キューちゃん、全然見えなかった。
ウエノさんたまに見えた。
アベさんとチバさんはばっちり見えた。
そして奇跡は起こる。

アベさんが投げたピックを、まさかの空中キャッチ!
いや、これすごくない?
初ライブですよ。。
しかも、この後もいろんなバンドでピックゲットしたことありますが、普通は床に落ちてからになるのに。。
アベさんへの愛ですね!愛!!
スクラッチの跡までしっかりついてた。
もちろん家宝です。

その後は、ラストヘブンツアーが発表され。。
ラスト!?ん!?
という思いは見事に当たり。。

大阪、幕張と大学をサボって現地に駆けつけました。
幕張まで、お金がないから船や夜行バスを乗り継いで行ったこと。
その船で謎のお金持ちっぽいおっちゃんと仲良くなったり、いろんな思い出が全て鮮明に思い出される。
幕張到着後、余ってしまったチケットを定価でお譲りしたり。
当日券待ちの方だったので泣いて喜ばれたな。。
今思えば、私どうやってチケットゲットしてたんだろ?鮮明に思い出されるっ!とかドヤした直後にすみません、ワスレマシタ(汗)
ガチャガチャ買ってたら、すぐ近くにいたお姉さんが泣きながらキューちゃんのサイン入りスネアヘッドを抱きかかえていたり。。ガチャで当たったのね。。羨ましすぎる!

B2ブロックってここかい!!前行けないのか!?となったり。。
なぜかミッシェルのライブなのにヒールで来ていたギャル二人組が、開始数秒で倒れてスタッフに抱えられて出て行ったり。。
スモーキン・ビリーでテンション上がりすぎて初のダイブ。最後降りる時にも、危なくないようにずっと私を支えて、手を握って起こしてくれるファンの皆さんがいたり。
アベさんの弦が切れたり、「ありがとう」ってアベさんの肉声聞けたり。
ライブ後の床が、壊れたメガネやらが散乱しまくっていたこと。
自分の初期のTMGETシャツ白が、ファンの皆さんのデニム色に染まっていたり。
そして、ここだけの話。
ライブ中に生理になってしまったようで、私の下着が血まみれだったり。。

とにもかくにも、私はミッシェル・ガン・エレファントと共に生きてきたから、終わった後は放心状態だった。

あれ?タイトルなんだっけ?
あ、そうだチバさんと私だった。
アベさんのことばっかり書いてしまってた。
本題に戻ります。

アベさんの死を語りだしたら、これまた話が30年くらいかかるので割愛。

とにかく、ミッシェルの解散や、アベさんの死を乗り越えられた。
それはThe Birthdayがいたから。
ずっと私を救い続けてくれたのが、The Birthdayの存在なのだ。
ミッシェル以上に好きになるバンドなんて出てこないと思ってた。
でも、The Birthdayが現れてくれた。

チバさんがいればなんでもOKなわけではない。
正直、ROSSOはあまり好きになれなかった。
ROSSOファンの皆さんごめんなさい。

でも、The Birthdayは違った。
チバさんやキューちゃんがいるから!という理由ではなく、純粋にThe Birthdayの曲にどハマリしたのだ。

The Birthdayの曲はとにかく優しい。
愛に溢れている。
なんというか、すべてを包みこんでくれる。
こんな最高なバンドを好きになった自分を誇りたい。

The Birthdayは結成時からきちんと追いかけられている。
ミッシェルとは違い、結成時からずっと見てきた。
ライブもほぼ全ツアー行っている。
なんだか頭が混乱してきて、何が言いたいのかわからなくなってきた。

アベさんのことが大好きだったけど、The Birthdayのおかげで気づけた部分もある。
当たり前にアベさんだけじゃなくて、ミッシェル・ガン・エレファントのメンバー全員のことが大好きなんだなって思えたんだ。

さっきの話と違うやんけ!
チバさんとキューちゃんがいたから好きになったわけじゃないって言ってたやん!
とツッコミたいそこのあなた、語彙力のない私を許しておくれ。

チバさん、キューちゃん、ウエノさん、イマイさん、フジケン、ハルキ、全員のことが大好きです。

アベさんに遠慮しちゃって、言いづらかった面もあるのかもしれないけど、当たり前に全員のことが大好きなんだよ。

今日の訃報に触れ、いかに自分がチバさんのことを大好きだったのか思い知らされました。
常に当たり前に自分のそばにあった音楽だもの。

未だに訃報が信じられない。
去年の11月、福岡で見たライブが最後になるなんて思ってもみなかった。
受け入れたくなさすぎて、あれ?The Birthdayってバンドいたっけな??と思い始めた。
自分の精神を守るために、体や心の防衛機制が働いているのか。
4月にQUATROツアーのキャンセルの知らせをeプラスからのメールで知った。
その時も泣いたけど、勝手にチバさんなら治ると思い込んでた。
思い込んでいたかった。

2023年はミュージシャンの訃報が多すぎて〜。
なんて思いたくもない。
なんというか、そんなのはただの偶然がかさなっだだけなことだから。

チバさんは私のことなんて一切知らない。
私が一方的に、この25年間大好きだっただけのこと。
それなのに、家族を失ったと同様に、こんな気持ちになる。

チバさんとは話したこともない。
1度はお話をしてみたかった。
あ、でもライブ中のMCで絡めた時は最高に嬉しかった。

チバさん「今なんか野球やってるよね、マクドナルドみたいなやつ」
私「WBCー!!!!!」
チバさん「そうそう!それそれ!」

チバさん「なんかさぁ、大分ってとんがってる山多いよねぇ。」
私「とんがってるパンクスも多いですっ!」
チバさん「あはは!なんだそりゃ!」

チバさん「あれ?なんか今日みんな静かだねぇ。。」
私「喋っていいならしゃべるー!!!」
チバさん「(最高のニヤニヤ笑顔のあとに)黙ってて♥」

こんなのチバさんは覚えていないだろうけど、私は嬉しすぎたから一生忘れないよ。

チバさんのピックをゲットしたこと。
あ、さすがに空中キャッチではなくて床に落ちた後のゲット。

宮崎のライブで、私の目の前のバーに足をかけてくれて、チバさんの肩に触れられたこと。

いつもニコニコしてライブをやってくれたこと。

バンクロのLIVEで控室がなくて、客席の私のすぐ隣を歩いてステージに上がって行ったところ。

もうすべてが目に焼き付いているんだ。
もちろん歌声は耳に。
すべてなんだ、私のすべて。
本当にすべて。
生きる術であり、糧であり。
いつも私を守ってくれた神様なんだ。

私のこんな思いをチバさんは知らない。
知らないまま、あちらに行ってしまった。
こういう風に思っているファンの皆さんが、何万人もいる。もちろん私だけじゃないことはわかっている。

キューちゃんが11/26から12/5まで、ずっとブログもインスタも更新を続けてくれていたこと。
ハルキのインスタ。
ご家族やメンバー、スタッフの皆さん。
チバさんと親しい方々のお気持ちを考えたら胸が張り裂けそうになる。
もう何もかもが愛の塊で、本当に私はこんな素敵なバンドと出会えて幸せでしかない。

本当にもうライブ見れないの?
なんかもうわけがわからない。

こんな自分を心配して、友人たちがみんな連絡をくれる。
それがまたたまらなく有り難いことで、涙を誘う。
先輩が言ってくれた。
 「真っ先にお前のことを、大丈夫か?って皆が思うって凄いこと。ミッシェルもBirthdayも実在したすげーバンドだよ。
とにかく泣きな。
大人になってひたすら泣くことなんて、皆が経験できることじゃないよ。
ましてや、家族や友人のこと以外でさ。
オレはミッシェル聞きながらとにかく酒飲んでる。これで良いと思う。オレはこれで良い。」
この言葉に今は救われている。本当にありがたい。

先月にAUDIO高松でやってたThe Birthdayのイベント。
行きたかったけど、行かなかった。
高松行かなかったのも、死ぬわけないから慌てて行くのは辞めよう。

これが最後なんて思ったら、それこそ悔しい。
チバさんは生きていてくれるから、また行けるって思って敢えて行かなかった面もある。
行くと最後になるって認めてしまいそうで怖かった

これからどうしたらいいかわからない。
2023年は、地元でキューちゃんやウエノさんのライブを見ることが出来て最高の年だと思ってた。

キューちゃんに会えた。
ウエノさんに会えた。
チバさんには会えなくなった。
そんな年が2023年。

なんだかチバさんのTシャツとか、通販で今日買いまくってしまった。
ずっと夢の中にいる気分。
現実も夢も区別がつかない。

とてもThe Birthdayの曲を聴ける精神状態ではなく、なぜか昔のボートをこぐチバさんの動画とかを見てしまっている。

Twitterがチバさん関連の投稿で溢れていて、私が大好きな人の素晴らしさを実感している。
あ、中には正直ムカツク投稿もあった。
チバさんの名前を今知ったようなやつがツイートするな、みたいな心の狭いコメント。
別にいつ知ったかなんて関係ないよ。
チバさんのことを追悼してくれるなら、どんな人だっていいじゃない。

とにかく、こんなにもチバさんのことが大好きだったんだな、自分。

語彙力はないし、頭が混乱していてまともな文章になっていない。
ごめんなさい。
でも、きっとみんな同じ気持ちだと思うんだ。

チバさん、一切私のことなんて知らないでしょうが、大好きでした。
本当に本当に、何よりも大好きでした。

ファンレターなんて一回も出したことないし。
今年キューちゃんに出会えた時も、「ず、ずっとミッシェルの時から大好きで、えーっと、あーっと、う、うぇーっと!」としか愛を伝えられなかった。好きなんですよね、うふふ!レベルじゃないくらい大好きなことを伝えたかったのだが、言葉が出なかった。
それでも優しくキューちゃんは、「そんな昔からありがとうね、年がバレちゃうよ☺」って優しく話しかけてくれたのだけども。
愛を伝えるって、本当に難しいことなんだ。
でも、チバさんはいつも歌で愛を伝えてくれてたんだ。
すごくたやすく。
伝わりやすい言葉と音楽で。

これから本当にThe Birthdayのライブがもう見られないなんて思えなくて苦しい。
The Birthdayのおかげでたくさんの友人も出来たし、もう何からお礼を伝えればいいのかも分からない。

これからもずっと、私の大好きなバンドはミッシェル・ガン・エレファントとThe Birthday。

チバさん、うちの母にも伝えました。
75歳、ボケも始まった老婆なのに泣いていました。
そして、私が後を追って死なないか、すごく心配されました。
私も、ずっとずっとチバさんのこと大好きでした。
私もチバさんとお話してみたかったです。
健康診断をきちんと受けていたっていうお話も知って、健康に気をつけていてくれたこともわかって涙が止まりません。
この2週間、ずっと過眠症気味でした。
常に浅い眠りで、毎日夢にチバさんがずっと出てきて楽しく一緒に飲んだりしていました。
The Birthdayのメンバーはいないのに、チバさんばかりが登場していました。
春から秋にかけては不眠症だったのに。
何かチバさんから伝わっていたのかなぁと思ったりもします。
私にロックを教えてくれて、本当にありがとうございました。
未だに信じられないけど、ゆっくり休んでください。

こんなとりとめのない文章を読んでくれた皆さん、ありがとうございます。
元気に生きていこう!





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