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大人って何だろう~U149を見て~

お久しぶりです。本日誕生日を迎え、また一つ年を取りました。

昨日『U149』を見終えたので、何だか「大人」と「子ども」の対立軸をタイムリーに感じて真剣に考えこんだこともあり、そこで思い浮かんだものをブログに纏めておきます。

私は誕生日を迎えることを「老化」「死が近づいた」くらいにしか考えない厭世的なヤツですが、今年は無事にこの日を迎えられたことに感謝し、来年も同じ日を祝えるよう"祈り"を捧げられるようになりました。

誕生日は必ず年一回やってきますが、その感じ取り方は自分自身の成長や経験によって変えられる。そんな気付きも「大人になること」の一環なのかもしれないですね。

さて、本題に移ります。先に注意事項を一つ。


この文章は「U149の感想会や考察のために書いたもの」ではありません。

筆者が作品から受け取って勝手に膨らませた想像を投下するだけです。予めご了承ください。


本題

後から説明するので、いきなり結論から行きます。

"大人"とは、自らが生まれてきた意味を考え、自身に与えられた役割を把握することで、現実にその感覚を具現化させていく存在

私の考えはこうです。ちょっと難しいですかね。

要するに「世界と自分自身の関係性をよく考える」ということです。ただし考えるだけではダメで、そのイメージを現実に反映できるよう努力しなければなりません。

「そんなヤツ何処にもいねぇよ!!!!!!!!!」という特大ツッコミが入るところですが、私も"大人"というのは百人に一人(いるかいないか)の存在だと思っています。

私自身、年齢的には成人と見做されていますが、まだまだ未熟な部分が沢山あります。この考え方だと全然子どものうちですね。

自分語りはこの辺にしておいて。

『U149』の物語において、先ほど記した"大人"の概念はどう使われているか見ていきましょうか。

まず、主人公のありすから。
ありすは「両親を悲しませないようにいい子でいる」という役割を見出しています。とても尊い行為ですが、上述の定義には当てはめることが出来ません。

ありすの自己犠牲は望んだものではなく、彼女の母に要請されて仕方なく行っているもの。勿論「私を悲しませないで」と直接言われたわけではないものの、メタメッセージとして伝わっていれば同じことです。

それではダメなんですね。あくまで「自らがこの世界に生まれてきた意味を考える」ことが必要なので、誰かに促されて行動するのは基本的にアウトです。

ありすは「自己犠牲=大人」と思い込んでいましたが、プロデューサーや母の涙を見て「そうじゃないんだ」と気付き、自分なりの"大人"に対する解釈を作り上げることが出来ました。

「仕事と夢は同じでもいいんだ」という気付きは常に正しいものか分からないものの、何であれ自分なりの考えを持って仕事に臨むことが”大人"への第一歩なのだと思います。

ありすが叩きつけるように自らの想いを吐露するシーンは、激しい感情に身を任せて全く正しくない行為をしているからこそ、きっかけを掴むことが出来たのでしょう。(正しさは自分が考えたものではない=他律)

その結果、本人がどうしてもなりたくてなれなかった"大人"に近づけたのは幸せなことですね。

でも、ありすは不器用で背伸びしがちなところが可愛いので、今後もヒョウくんとかに驚かされて顔芸しててほしいなと思います。

さて、他のメンバーで言うと、個人回のトリは薫が務めました。
このエピソードはとても可愛かったですね。
但し大きなドラマは起こらず、どこか毒気が抜けたまま物語が進んで行ったような感じもします。

そうなったのは薫がメンバーの中で一番"子ども"だからかなと。
『U149』において他のキャラクターはどこかしら「世界と自分の関係を考えさせられる」という経験を持っています。

お父さんと会えずに寂しかった仁奈、現実がキラキラしているだけの世界ではないと知っているみりあ。
十四歳にして(当主ではないものの)家紋を背負う桃華。
大好きなパパと結婚出来ない梨沙、家族に理想像を押し付けられている晴。憧れのお姫様にはなれないと察してしまった小春、周りの溢れる個性を見て自分自身に劣等感を抱いている千枝。

その中で薫は(幸福なことに)家庭円満で性格も利発、周囲に認められる才能もあるというキャラクターですから、生まれたままの自分を今も維持しています。

それは"大人"が為すべきことを常に具現化し続けられるチートキャラと言える属性なのですが、ただ一つだけ欠点があります。

自分の意志でやっているわけではないということです。

でもチートだから雁字搦めのありすには刺さる刺さる。あと薫は根が良い子なので機転を利かせてありすを救ってしまいます。その姿はさながらヒーロー……は別のアイドルがいるか。(デレとかシャニとか)

ただ、批判的なコメントを「怖い」と思いながらも自身の欲望を優先させたみりあや、桜井家の娘としてはズレたことをやっていると知りつつ"愛"のために生きる桃華と違い、薫はその行動を意図してやっているわけではありませんよね。

ここに来て"大人"と対になる"子ども"の存在が明確になってきました。
纏めると……

自らの意志によって、世界に生まれついた役割を(理解し)果たしているのが"大人"

自らの意志を持たぬまま、天真爛漫に自身の役割を遂行しているのが"子ども"

こういうことになります。

では「会長に言われて仕方なくやっている」みたいな部長とか課長みたいな人たちはどうなるんでしょうね……

私の定義では誰か(自分以外)の意志によって動かされながら、その意志に従うことで、自分自身の便宜を図ろうとしている存在と考えています。

この場合は会長の意志に従うことで、自身の給料とか出世とかが確保されるわけです。それがパートナーとの関係を維持したり子どもの教育をする費用に使われて、他人に還元されて行くんですが……

それでも、自分の意志を持たなければずっと他人の言いなりですから世知辛い人生になりますね。部長・次長はタバコを吸っていますが、それは「従属させられている」という感覚から逃れるための手段なのでしょう。

(課長は吸ってないみたいですね。世渡り上手?)

鋭い人は「この定義だと十一話までのありすも当てはまるのでは」と気付くはずですが、作品開始時点で薫以外の八人はみんなこの段階にいます。

なので「大人と子どもの間」と言えばいいのだと思います。
人類の大半はここらへんにいると考えています。勿論、私自身を含めて。

どんなに高名な人でも自分自身のために動いているうちは"大人"になることが出来ません。何故なら「お金」とか「地位」とか「権力」を目指して生きているうちは「システム」に従属しているに過ぎないからです。

(そして「システム」を作ったのは? 自分以外の誰か……そう、過去の人々です!)

「自分なりの生き方を見つけた人が"大人"だよ」ということを長々と語ってしまいましたね。

私の定義する"大人”はなったところで大金が降ってくるわけでも食糧が増えるわけでもチート能力を手に入れられる(笑)わけでもないですから、或る意味で言えばぜいたく品なのかもしれません。

でもそんな生き方に憧れるから、私たちは自分自身の生き方を貫くみりあや桃華を格好いいと思うし、そこまで行かなくても一歩踏み出した梨沙や千枝(だけでなくメンバーみんな)のことを魅力的だと思うのでしょう。

古今東西において様々な物語(=理想)が作られるのも、人々の中に「そんな世界があってほしい」という願いがあるからじゃないでしょうか。

勿論、常に"大人"であり続けるのは不可能なことだと思います。この辺りは連続的(スペクトラム)なもので、一時的に上手く行っていても、落っこちちゃう時がある。

だから物語も永遠に続かず終わるんでしょうね。
美しいまま終わっていってほしいから……

自分で書いておいてなんですが、常に"大人"でいようと思うのは強迫観念(オブセッション)を引き起こして人格を崩壊させかねないのでやめた方がいいと思います。

軽率に「労働、酒、カラオケ万歳だ!」みたいな生を送っていきましょう。たまーに余裕があったら、格好いい生き方も目指してみたいですね。

(伝わる人向けに言えば、私の書いたことはアプリオリな概念ではないということです)

さて、以上で本題の文章を終わります。あとは『U149』の総まとめでもして終わりましょうか。




おわりに

ここからはキャラクターに「ちゃん」を付けて書きます。
普段はそう呼んでいるので

まず作品の評価ですが……とても面白かったです!

みんなのことが好きになったし、小春ちゃんというリトルプリンセスにも会うことが出来ました。小春ちゃん、可愛いね……

もう一人挙げるならみりあちゃんかな。三話が……三話が……
素晴らしく良かった。このエピソードは感想を書いているので、最後にリンクを張り付けておきますね。(五話まで書いてます)

あと三人挙げるなら(!?)晴ちゃん・千枝ちゃん・薫ちゃんと続く。

晴ちゃんは「アイドルは絶対楽しいよー!」と言われて「そうだな」と微笑み返すところで好きになったね。こういうボーイッシュ(ジェンダーレス)な子が優しいとギャップ萌えで死んでしまう。あれだけで十分でした。

千枝ちゃんは八話が……八話が……(デジャヴ)
この回は苦しくて見返せない部分もある。千枝ちゃんの劣等感とか孤独が克明に描かれすぎていてね……
その上でキラキラしたものに手を伸ばすシーンでKOされました。

Twitterにこのエピソードだけ感想を書いているので後で張り付けておきますね。五ツイートくらいだけど。

薫ちゃんはもうかわええんじゃ。フォロワーは「あんな娘がほしい、結婚出来るわけないけど」と自己肯定感のまるでないことを言っていた。
八話で止まってて九話から再開したのだけど、開始数十秒で☆全力☆全壊☆の作画が来てやられてしまったね。
ありす含め可愛いエピソードでした。


ここで話題に上がってないキャラクターも魅力があって可愛さを感じ取れました。

仁奈ちゃんは背が伸びずにずっと同じくらいの着ぐるみ来てる妄想も可愛いし、背が伸びてもやっぱり着ぐるみ来てる妄想も可愛い。なんちゅう子じゃ……

桃華と梨沙は大人びすぎていて少し見る目が変わるけど、尊敬出来る部分が多くて格好いいキャラでした。二人とも努力家なのがいいよね。
四話五話は読み応えもあって面白いエピソードだった。(詳細はリンク先で)

最後にありす。十話までは「顔芸の印象が強すぎるけど大丈夫かなぁ」と思ってたけど、十一話で全ての伏線を回収する展開には唸ったね。

やたら「大人と子ども」が対比されていたのも、プロデューサーの未熟さが目立ったのも、ありすを道化っぽく描いて滑稽に見せていたのも、全てこの瞬間のためにあったのかと。
何なら他の子たちのエピソードが精神的な課題を克服するに留まっていたのも、ここで仕掛けを炸裂させるためにブレーキをかけていたからだと思う。

そういう心意気というか、作品の全身全霊を賭けた博打が好きなので、このシーンで『U149』の評価はストップ高を記録した。

デレマスという歴史あるコンテンツで勝負に出なくてもいいのに、敢えてやるのが心意気だよね。ふざけるのも全力でやらなきゃ意味がない。その点で『U149』は血湧き肉躍るアニメでした。

ありすの話に戻ろう。一話の時点でお母さんが思いやりに溢れた人物なのは示されていたので、その点は心配してなかったけど、楽曲を使いつつありすの孤独を的確に表現して、最後にお母さんが泣いて、やっとありすも泣ける展開は見事でした。

一つ成長したありすが現実に立ち向かいつつ、これから先の未来で、心身ともに美しい人になっていくんだろうなと感じる内容でした。

作品を支えるプロデューサー(米内P)も滑稽なシーンは多くありつつ応援できるキャラクターだったし。

何よりウサミンやみくにゃん等、旧作の子たちも少しずつ活躍していたのが良かったかなと思います。

(みくにゃんは喋らなかったけど……)

最終話で卯月が「笑顔です!」した時は正直感動した。世界線は違うけど、きっと似たような経験をしてあの場所に辿り着いているんだろうね。

いやー面白い作品でした。文句なしにおススメできます。
世間的な評判は……割れてんのかなー。
一通り見たけど、視点によってかなりバラけると思う。

つかささんとかしゅがはのやらかしとかね。
小春回がみくにゃんの原作エピじゃなかったとか。

思い入れのある人にとって結構キツいパンチの入る時があって、その辺はあんまり知らないから気にならなかったのかもしれない。

「解釈違いですゥゥゥ!」と言いたくなる気持ちは大変判る。それでも私にとっては高評価の作品でした。

OVA制作されるらしいですが、ここは欲張っていきましょう。
二期待ってます。またいつか!


おまけ

『U149』 1-5話 8話 感想


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