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鳥人間について考えていた

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眠る前に自分の内側から出てくる光について辿ろうと思った。
前日見ていたのがどんな集合無意識だったのかというのを改めて。
前日、性センターについて勉強し直し、H12が正常に機能すること。下降してきた時のH6とH384の水の関係などについて考えていた。
そんなことを意識しながら、眠る前にふとスピカを思い出した。
薄い半透明の花のようなもの、柔らかいものがヴィジョンとして見える。
そのまま夢の中に入り、一度記憶がなくなる。
目覚めた時、川か河原のようなところにいた。川に行った時の空気が少し湿っている感じ。そして少しぼんやりとした霞のような雰囲気。
川に方に渡ろうかなと思っていると、反対側から(遠くから)女性のような存在が歩いてくる。私は坂の上で川の方を見ている。

前日見た海の上の領域は、この日川として出てきたものに繋がっているのではないかと思った。サメに飲み込まれそうになった時に(それではいけないと)内側から光が出てきて、そのまま時間が止まるような感覚。高く歌うような状態で目覚める。
サメの夢では、崖のような所の溝のようなものも出てきたので、それに対しての働きかけなのだと解釈した。
サメのように表現されたものは、次の日には半透明の花として意識化された。

4/16
前日見ていた川はどこか懐かしい雰囲気があり、その雰囲気を保って一日過ごしてみようと思っていた。
ただそれだけだったけど、そんな中で急に思い出したのは、意識が目覚めてはじめに見えたリアルな形が白い鳥のような、翼をもつ人の形だったこと。
顔のない天使のような。自我がエーテル界に降りてきて、白い煙の中、何故対象がそういう形に見えたのか気になる。自我は対象に投射するのだから。
そういえば見えた形は色々とあり、それについて細かく意識していきたくなった。水の中のぬいぐるみや、炎のような、カニのような花。鳥。カラフルな蔦。時間が止まるヴィジョンに入った時に見えたものたちシリーズにまた興味を向けていくのもいい。
実感と思考はバランスをとるのが難しく、興味を持ち続けることが大事なのかな。(何故なのか理解できないまま生きることが怖さに変わるので)
翼のある人の形というと、鳥人間なのか。
ラスコー洞窟の壁画に、鳥人間のような絵が描かれているらしいけれど、それには翼というより、顔が鳥らしく、ちょっとニュアンスは違う。
でも、この絵は6つの黒い点が描かれていたり、牛の足元に沢山の四角があったり、ちょっと星とアカシックの事みたいだなと思えるようなところもある。

そしてもう一つ、浮かんできたものがあり、
以前、夢の中から入ったある世界でエルダー・ダニーと表現されたカラフルな光の靴、光の立方体があったが、それについてまた思い出していた。
(夢でヴィジョンを探索する8、夢10の記録。ここではオリオンとろくぶんぎ座について探索していた)

エルダーは年長、ダニーとはダニエルという意味らしいけれど、これってやはり星なのではないか、と。名前は似たものの例えだけど、思い出すたびに引っ張られる何かがあり、時間が止まる。振動の大きさを表現するのが難しい。
私には、黄緑とピンクが絡み合って燃える光のようにみえていた。
ダニー、ダニエル、などという表現がアイルランド的。
私はダニーという言葉が出てくると、ダニー・ボーイが浮かんでしまう。

前日の川と歩いてきた女性に関連があるのか。
唐突かもしれないけれど、白い鳥人間とエルダー・ダニーについて意識してこの日は夢を見てみた。

夢の中で印象的だった所を拾ってみる。
アンチマターとして出てきた存在は、大きめのバスの運転を練習している。外から家の中に入ってきて、私はそれをみて家から出る。
道の真ん中で足をくじいて歩けないので、誰か呼ぶしかなくなる。
寝転んで空が見える。何故か桜が見える。(玉のように動いている。空間がぐねぐね)
桜を色んな撮り方で撮影できそうだが、足をくじいたので移動できない。
桜を水に浮かぶものとしてならそのまま撮影できる。
私は動かず、水と桜の方が空中で動いている。

別のシーン。
白髪のおばあさんに接客をしている。
カラフルな洋服には骸骨の絵柄。

会話の中で、この先のいきかたについて。
何処に行くかまだ決まらない。

何かのタイミングで、ガンとの向き合い方というようなニュアンス。
それについての文章。(細かなことは思い出せない)

ピンクの服を着せた猫が帰ってくる。

(二度目の夢)
駅のような所で降り、撮影しながら移動。
あまり行かないような地名。
全面的に長方形のタイルが貼られている駅。

食事について、おばあさんのような人に教えてもらっている。
一通り説明の後、二周目では日本食を食べないというような。(どういう意味だろう)
白っぽい黄色のドリンクのような物が出来て、小さな女の子に飲ませていた。

以前から、白髪のお婆さんイメージは共通して出てきている。
アンタレスの夢を見た時と同じ存在を表していると思う。(「アンタレス」という曲を作ったという表現で出てきていた。道づくりに関係すると思われる)

昨日はとても眠く、目を閉じるとすぐにモヤモヤと何か浮かんでくる状態で思考力が低下していたので一日置いて、また解釈してみた。
(なんとなく、今も焦点が定まらない感じで空気が水っぽいなと感じる。)

昨日の夢では、道の途中で足をくじいたというのが印象的だった。
動けなくなったので、誰か呼ばなければならなくなったが、気が付くと空中に桜と水がぐねぐねと動いていて、誰かとはこの桜かなと思う。
動けないので、そこからどんな風に撮影しようかと思って水を動かしているかのような状態だった。

この日、眠る前に私が意識していたのは、はじめに目覚めた時に見えた翼のある白い人とエルダー・ダニーだ。
道の真ん中で動けなくなったのは、道になってしまったというような、エーテル的なことを例えていたのだと思う。
動けないし、帰れないので空気中に桜と水を呼んだ。(生み出してしまった)
桜も水も月を表現していたのかなと思う。
桜は薄ピンクから緑に変わるし、桜という花自体、なんだか二面性を感じる。

意識が目覚めて白い人が見えた時と過程は似ているし、光の靴をつくっているのを見た時に黄緑とピンクが絡み合っていたのも、解釈すると異なる領域の二色が交差しているようで、太陽と月の関係のようでもある。

私が気にしている星は、道づくりに関係しているし、境界線を跨ぐ性質があるように思う。
そして、そこからどんな風に撮影しようか考えていたことから、この水を動かしているので、太陽系だ。

二度目に見た内容は解釈が難しく、今朝また夢を見てみようと思っていたのだけど、夢の中でバスケットの試合をしていた。
みんな自分より身長が高く、どうやったら入るのか、色々模索していて、夢中になりすぎてその前までの内容を忘れたし、意識的じゃなかった。
集中力が足りなかったのでまた探索してみよう。

夢の探索は、ただちゃんと興味を持つだけ、異なる世界にワクワクしているだけでいいんだなと感じる。
無意識と目覚めの間の世界に立つこと。
ずっと続けていると、たまに余計なことが浮かぶのでこの世界の中で解決できることはその日のうちにやりつくして、意識の世界に向き合う時間をちゃんと確保するのがいい。

世界の中で比べるのでなく、世界の外で考えてみる。
どんな生き方がしたいのか考えてみるけど、究極は、海外に行きたいわけでも、国内に居たいわけでもない。
外国の人たちはどんな生き方をしていても自分に自信を持っている人が多いらしい、たしかに、かなり近い韓国行っただけでも違いを感じる。
日本人は自己肯定感が低くて、生真面目なのか。

日本の大陸は切り離されていることで海の広さが分かる。
切り離されているけど、閉鎖はしていなかったはず。
四季がある。

世界の中でなく、世界の外をみて無意識の海に飛び込んで戻る。
ただ温泉に入っているだけの平たい顔族はテルマエ・ロマエ。
5次元的に生きることが、人にとって普通だと思っている。
水瓶座的な感じで生きよう。

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