7と16の生命

カーテンの向こうに透明な二つの丸いくぼみがあるのを見た日、その次にみたヴィジョンでは向かい合う二人の男性になり、右側(生命の樹でいう右)の男性の服のデザインが変化したのを見た。右は秩序の側だ。

半透明の二つのくぼみはFOLの二つの円だと思っていたが、7という数字が浮き上がってきた日やデータの手直しをしていた内容を含めると、生命法則、時間に対して、秩序の側の色付けが変化したのだと思う。

7について見た日、16を含んだ7なのではないかと思っていた。
何故そんな事が浮かんだのか。

7は生命法則、16は8と8のような固いもの同士がぶつかり合い崩壊する、突破する性質。
16は7の偶数であり、内と外のような関係でもあると思うが、16を含んだ生命法則というのを想像しにくい。とても不安定な生命のようにも思う。

けれど、下から上にとび出す事をはじめから知っている生命なのではないかとも思う。
記憶喪失せず、異次元を移動していくような。

先日の夢でそれまで中央の席にいた若者たちの屍の道を見たが、それを起こさなければと思っていた。

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この日、夢の中では完全にその世界に入ってしまう事について見ていた。
帰り道で丸っぽい存在に会う。印象が丸っぽく、言葉で表すのが難しいが、その時は同じ形だからなのか、コミュニケーションが取れていた。
その後、鏡で自分の顔(人型の)を見ているうちに戻ってきた。
夢の中の家に戻る。
論文か研究の資料が3種類ぐらいあるが、ダンス(社交ダンスのような)について皆知らないのかページが少ない、というのが特徴的。

気が付くと、黒と白の服装の人たちと食事会をしている。
兄弟夫婦のような存在に協力してもらい、本当に好きなのかを知る為に食事会のような事をしているらしい。

二度目の夢
とある公園のようなところにいると、猫に何かが混ざったような生き物が4匹ほど猛スピードで走っていた。
段々、その生き物は何かを生み出し、やがて妖精のような子供になる。
何かと灰について知っていると、幻想に引っかかりにくいというような会話をしながら、ある建物の中にはいる。入り口でパンフレットを取り、お互い合流。
提出用紙が一枚だけなのを確認。
一枚なら、全部回らなくてもいいから出入り口階段前の広場で書いてしまおうかなどと話しているが、全部回らなくていいの?と思いながら会話をする。

一度目と二度目の夢の内容で気になるのは、研究資料とパンフレットに挟まれた提出用紙のようなもの。
何かの研究をしているらしい。
資料の中で、ダンスについて知らないのか、ページが少ないというのが印象に残った。

ダンスというのを私は印象活動だと思う。身体を動かし表現する。
ここでは社交ダンスのようなイメージで、社交ダンスはペアで踊ることだが、男女というのが今のところ一般的だとも思う。でも、きっとまだ沢山の組み合わせがあるのだろうとも思う。
象徴として色々なものに降ろすと、エーテルと肉体のことでもあると思う。様々なエーテル身体をつくった事についての資料かもしれない。
まだ資料が少ない。
金星と火星、太陽と月、GCSと全惑星、のように、異なるものを理解し合い、世界を増やしていく。

二度目の内容では、パンフレットの提出用紙が一枚なのを確認していた。
階段前の広場で書いてしまおうかと、私の隣の子どもは言うが、全部回らなくていいの?と思っていた。階段があったので、階段づくりに関係するのかなと解釈した。

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また資料についての内容だったが、その特徴は違う。
この日のデータは、手が器用だった所と、そうではなかった所が交互に、色分け、名前わけして重なっていた。

手は人体で考えると、異なるものとの繋ぎであり、それによって様々なものが生まれる。何かをつくる時、手を使う。
手は胸から伸びてもいるので、頭で考えた思考をそのまま押し付けるわけでもない。
そういう手について細かく見ているようだった。
このことは創造力にも通じると思う。

上も下も筒抜けであり、創造的でもある生命についてなのかもしれない。

結構難しいなと感じるのは、新脳の世界と古脳の世界は隔てられているのに、そこを行き来する。物質とエーテルが近づき、連動するようなことでもあると思う。
地上では横の関係で成り立っているので考えにくいが、月の世界では通常のことでもあり、細部まで生命力と意識で満たされている状態でもあると思う。
まだ細部まで浸透してはいないので、時間をかけて研究したい。
特に、地上に居ながらというのは使い分けが難しい。
太陽、月、地上(物質)というのがスムーズに繋がる状態を目指したい。


最近、以前よりもエリスや冥王星の意図が明確に伝わってくるように感じるのと同時に、金星がちゃんと起きたのだとも感じる。
思考に同化していると、200年近くの変化が単なる混乱になるかもしれない。
世の中では色々な事が起こるけれど、霊的なものに邪魔するものは初めからないし、根本はそういう生き方でいいのだというのを実感している。
日本は霊的な国だったらしいけれど、今はそういう思考が残っているだけかもしれない。
円安で物価が高くなっていくけれど、そういう変化の時は、まだ表面化しない段階であっても、より創造力を発揮しなければと感じる。

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