17枚目「 好きな字は”す” 」

私は、私の字が好きだ

特に自分の書く”す”が好きだ
他にも”そ”も好きだ
多分自分の書く”さ行”が好きだ

自分の中の好きな部分の第3位くらいには好きだ


というのも、近頃身の周りの人の書く文字が
とてもその人らしく、愛おしく思うことがある


それと同時に、小学4年生の習字の授業を思い出す

それはとても悲しくて
どうすればよいのかわからなかった記憶で

その時の先生はとても意地悪でとても嫌いだった
今考えても大人気無いおばさんだったなと思う

その人は毎回の習字の授業の際
最後の10分で、気に食わない生徒や習字の苦手な人を
教室の前に立たせては

文字が汚い、はらいがなってない、墨が薄い、余白が汚れてる
その他にもひたすら何かにつけて
徹底的に攻撃をしていて

見ている側も辛い気持ちになってしまっていた

ある日の習字の時間
私が立たされる日が来てしまって

そんな日に限っていつもより立たされる人数が少なく
一人一人に対する攻撃の時間が長かった

嫌な気持ちしかなくて何も聞きたくなかったし
私の番になって何を言われるのかが怖くて悲しかった

順番が回ってくると
字が汚い、読めない、そんなだから友達がいないんだ

などと散々言われた
(友達がいなかった訳では無いしむしろ多い方ではあったはず)

流石に苛ついてしまったし
別に書いたものが読めないわけはないし

何を言ってるんだこの人は
あなたの字もとても褒められたものでは無いし
むしろ直感でとても嫌な感じがする字だと思っていた

そういったことがあったっきり
習字の時間だけは授業に出ず
トイレに行ってきますと言って学校を徘徊してサボっていた


話を戻すが
過去にこういったことがあった事で

反面教師ではあるものの
字は人を表しているものだなと感じる事がしばしばある

今、自身の周りには
一緒にいて楽しい人や、楽しませてくれる人が多く

そういった方々の、文字を書く姿や書かれたものを見ると
とても愛おしくなるし

だからかは分からないけど
もっと文字を介したやり取りをしてみたいと思う

相手のことをもっと知りたいし
文字から浮かぶ背景を考えたい


今でこそ文字は打つ時代になってしまっているが
簡単な走り書きなどを残したりして

走り書きの内容だけでなく
その時の感覚を読み取ってもらったりもしたい


つまるところ、人が普段書く文字に
醜美は無いと考えている

手書きの文字の背景にある情報量は大きく
その人の人間性を反映しているものであると勝手に思っていて

それらのことから私は
私の事を受け入れられているんだな、と
自身で好きな部分があるということだと考えている


だから、もっとみんなのことを好きになりたいから
みんなの得意な字や好きな字を教えてほしい

お互いの宝物を自慢するようにみせてほしい

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