16枚目「 言葉の綾 」

SNSでみかけた話題ではあるが

”生きる”という言葉には丁寧語、尊敬語がない

このことについて周りの方々は
それぞれの考えや感じ方を共有していて

こういった事を話せる人がいるのは
とてもいいな、と羨ましく思ったので

私個人が考えてみたことをいくつか記そうと思う
あくまで考えであり、全く調べていないので
その辺りは目を瞑って欲しい

(というのも調べたら誰でもわかるし
自身の考え方を文章化して保存しておきたいため)


まず、”生きる”という言葉に丁寧語、尊敬語がない理由なのだが
それは”生きる”という言葉は基本的に
自分に対して使う言葉であるからでは無いかと考えている

他者などに対しては”生きている”という認識で
”ご存命”などがあるが

所詮他者であるから、命があるかどうか
という形でしか見ていないのではないだろうか?


また、”死ぬ”の謙譲語がなく丁寧語で”亡くなる”などある理由は
”死”そのものは自分で認知出来ないものであり
他者の死を目の当たりにして初めて死ぬということを認知して

もう”ないもの”(亡くなる)として捉えているから
相手よりも下に出れないため謙譲語がないのではなかろうか


生と死、どちらも0と1のような判断基準で考えられたような言葉だな
と、私は思う

生死以外にも冷たいなと感じる言葉はいくつかあったと思う
(これも完全に私の中での考え方)


ただ、日本語は同じ意味合いを表す言葉が多く
”言葉の綾”という言葉があるように

ひとつの物事をやそれを表す言葉に
色をつけていくように、模様をたすように
言葉を紡いでいくんだろうと考えている

また、その言葉を選ぶ要素として
話す相手との関係性や、相手の心理状況
何を知りたいか、何を話して欲しいか
生活やその時の空気感などで

より広い選択肢の中から
我々は言葉を選んで相手へと渡すのだろう


今回の話題で私が1番強く思い、伝えたいのは
人と接する時には相手のことを想い
言葉を選び渡してあげて欲しいということ

私がこれをできているかとても不安ではあるが
それぞれが相手の事を想い合えればいいな

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