18枚目「 エッセンス 」

近頃、自己紹介で
「ホットケーキです」
と名乗ることが増えてきた


その際必ずと言っていいほど聞かれることがあって

「パンケーキじゃないんですか?」
「なんでホットケーキなんですか?」

前者であればにっこり微笑むだけにしていて
後者であれば謎のエッセイ「ホットケーキを焼いて待ってる」を

と伝えるが
1枚目ではきっかけが、14枚目の表裏では理由は分かるものの
そこ至った思考の経緯がふわりと抜けていたなと感じた

まぁ抜けていたとしても風味のようなものだろう
とも思っていたのだが

改めて思い返すと
案外、その風味が私の大事な部分かもしれない
そう思えたのでここに記しておく
(あとで見返すであろう自分のためにも)



(私にとっては)大きなきっかけがあり
理由があってホットケーキであるのだが

私が何故その理由を選んだのかというと
私がそうでありたいからだ

一言で言ってしまえばそうなのだけれど
要は、自分が納得できるように自分を納得させた


私はかなりくだらない事ですぐに不安になったり
変に勘ぐったり、異様に気を張ってしまい空回りしてしまう

それが積み重なると顔がひきつってしまったり
余計に人様に迷惑をかけてしまったりしてしまう

周囲に影響が出るその前に
私が自身を納得させてしまえば今後そういったことは減るし
ホットケーキとしての立ち居振る舞いが守られる(かなぁ)
と思っている


私の中で、納得させるか納得できるかずっと考えたり
私が自分のことをどういった認識でとらえるか考えたり

他にも、私が私であること以前に
全く別の他人として自身を認識したり

自尊心とか慢心は消してしまって
(ごめんなさい、ちょっとあるかも、ごめんなさい)
完全なただの他人として私が自分に接すればいいと考えている

そういった点を含めて私の中では
ホットケーキともう1人は全く別の人格としてある(ていでいる)

常にお互いが俯瞰し、管理できるような状態を
頭の中で作っているような感じで過ごしている

なのでホットケーキともう1人
一方がが何かの拍子で揺れ動いてしまったときは
もう一方が宥めたり手網を引いたりするようになっている

このように、ホットケーキともう1人(最近はもう1人増やした)
互いに管理し合えば
一定した「居れば嬉しい居なくても楽しい」
そういう存在でいれるだろうと踏んでいる


ただ、それでもどうしようもない場合があって
いざ本腰を入れて自身と向き合う
向き合わなくてはならない時が来ると

頭では分かっていても
どう気持ちを動かせば良いのかわからなくなる

誰のどの気持ちが優勢?的確?適当?
となって上手く伝えられなかったり言葉が出なかったり

気持ちから来る言動を、どう消化すれば良いのか分からなくなる


もっと素直な時はあったときは
ヘラヘラしたイタリア人の魂でも入ってんのか
と言われたほどだった

もっとすっきりと気持ちの部分を管理出来たらいいな
管理出来たら気持ちかどうなのか分からないけれど


いつにも増して稚拙な文章になってしまったけれど
私がまた読み返した時に分かればそれで良いってことで


ホットケーキを焼くきっかけがどうであれ
理由や経緯がなんであれ

可愛いホットケーキを焼くし
ホットケーキを焼いて待ってる

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