22枚目「 かけちがい 」

言葉は”呪い”だ

言葉をかけたつもりが
呪いをかけていたりすることもある

逆もまた然りで
呪いをかけられていることもあるし
自身で呪いをかけていることもある


一旦ここまで読んでいただいたとは思うが
この”呪い”という表記
”のろい”とも”まじない”ともとれる

しかもどちらもかけるものであり、かかるものでもある
不思議なこともあるもんで、かけちがわないようにしたい

というのも前回同様
言葉についてやはり書き足りなかったので
ここに記しておこうと思う


急ではあるが少し引用したい曲がある
くるりの「言葉はさんかくで こころは四角」だ
(ここで一旦聴くもよし、歌詞を調べるのもよし)

曲名の通り
言葉はさんかくで、鋭さなど危うさを孕んでいたり
言葉という重いものを選んで口に出すことで
柔らかな表現になることもある

(漢字という硬さを感じるものから
柔らかな印象の平仮名になったってこと)

また、こころは四角で
脆いこころは硝子で
差し詰め四角は窓枠のようなものだろうか

(ここも平仮名から漢字になることで
脆い弱さと意志の強さのようなものを感じる)


四角の中には少なくとも2つのさんかくが収まるが
鋭さを孕んだ言葉は使い方次第で窓枠に収まり
それが窓となって大切なものとなるかもしれない

それに、少なくとも2つのさんかくなので
適した言葉の組み合わせでない限り上手く収まらなかったり
どんなさんかくを作れるか考えなきゃいけない

要は自信の選んだ言葉だけで足りているのか
他にももっと言葉が必要なのか、不要なのか考えながら
さんかくの形を考えなきゃいけない


そうなってくると四角の大きさも
考えなきゃいけないんだけど

それはさんかくの形を考えるってことと似ていて
推し測ってどんな四角を持っているか
感じ取らないといけない


ここからは少し自身の考えを織り交ぜるのだが
そのさんかくも透明、半透明、不透明や色、厚さ、純度など

どんな硝子として窓枠に収めれるかで
言葉が及ぼす”呪い”が のろい なのか まじない なのか
変わると思っている


というのも窓を介して世界をみるとき
どう見てもらうか、どう思ってもらうかを考えて

言葉という硝子の質を変えていかないといけないな
と私は考えてる

いっそステンドグラスにして送りたい迄ある
(別の話になるが私は私の書く文の中で
カタカナはあまり使いたくないし今までもあまり使ってない)


結果的には言葉を受けた側が
どう見え方が変わるのかというのが大事なんだけど

そこから考えられる言葉の可能性も
一緒に考えられるようになりたい


言葉のさんかくで傷つけたり
のろいをかける方が簡単ではあるが

願わくば、まじないをかけれるように
考えていきたいとは思っている


要するに
言葉をかけるとき
それが”呪い”になることを肝に銘じようね

という話

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