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ポケカ大会と募金活動

 先日のTAG!TAG!3on3にご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。大会後の諸々などが大体片付きホッとしているところです。。。と思ったらもう福ちゃんがすぐそこに😱


お礼とお願い

 今回のTAGTAGでは初めての試みとして募金をお願いしました。1チームあたり参加費に加えて500円をお願いしつつ運営からも500円を加える形でした。唐突なこともあり、なんとなくモヤモヤした気持ちを持たれた方も多かったと思いますが、躊躇いなくご協力いただきありがとうございました。

石川県に寄付させていただきました
(+αで募金してくださった方の1700円は次回振り込みます、すみません)

 反省点としては
・選択制ではあったが断りにくい方法だった
・収入のない方のいるチームには配慮が必要だった
・寄付先などを明らかにしておくべきだった
・3で割れる数字にした方がよかった
・できればエントリー前に決めておきたかった(今回は無理)
です。

 大会後のアンケートでも皆さんの正直な感想を書いていただきました。良かったと書いてくれた方もたくさんいらっしゃいましたが、少し気になった方も少なからずおり、ちょっと強引に進めてしまったことで嫌な思いをさせてしまい申し訳ありません。

 ただ僕個人の感想を書かせてもらうと、やって良かったと心から思っています(言い出しっぺだから当たり前ですが)。いいことをしたとか、感謝されるというところではなく、何か後ろめたいものをスッキリさせることができたような気持ちです。詳しくはあとでもう少し書きます。

 そこでここからが本題なのですが、今後も僕のイベント後には募金をしていこうと考えています。ただし、

・参加費は今まで通り
・参加者の募金は希望者のみ
・一人100円を入れられる箱を受付に設置
・入れてくれた方にはスタンプカードに1つ多めのスタンプ
・一人当たり100円を運営から+入れていただいた分を「福島ポケカプレイヤー有志」として寄付(受付ある限りは石川県、その後は赤十字を考えています)

 これは僕個人の完全なわがままなんですけれども、ご理解をどうかよろしくお願いいたします。

募金に対する考え

運がいい人・悪い人

 突然ですが、皆さんの人生の目標はなんですか?僕は長らく自分を幸せにすることを目指して生きてきました。そしてここ数年くらいで自分はもう十分幸せだし、どうすれば幸せになるかわかってきた気がして、もうこの目標はいいかなと思うようになりました。

 一方で人の一生というのが、自分では選べない生まれや育ちの環境で劇的に違ってしまうということをずっと不満に思ってました。大学の後輩でとてもいい子がいたんですけど、実家が石巻で震災でめちゃ被害受けて、でも頑張って働いてたのに若くして脳腫瘍で亡くなってしまったんですよね。彼の葬式ではなんかとても悔しくて号泣してしまった。そこまでではないとしても(選べない)親や環境のせいで人生に著しく影響を受けてしまう人がいる。

 人生の不平等さにはとても腹が立ちます。

いいことをする

 これまた唐突なんですけど、「いいこと」をするのってとても勇気が要りませんか?あいつはいいことをして誉められようとしている、いい人と思われようとしている、好かれようとしている、実はいいことをしてるふりをして美味しいところを持っていっている、などと思われるくらいなら何もしない方がいい。もしくは冷めた目でそういう人と一緒に冷笑している方が楽ということはないですか?

 主語でかくてすみませんが、これ日本(もしくは東アジア?)特有のものの見方かなと思うんですよね。他人に本音を晒さないことを美徳とする文化では、そのような猜疑心が生まれやすいのかなと。

 ドイツに住んでた時に感じたんですけど、ドイツ人の友人たちは良いと思うことは驚くほど誇りを持ってやるんですよね。ルールを守るとか真面目であるということもめちゃ堂々としている。確かに善悪で物事を判断しすぎるきらいはありましたが、その堂々としたところがとても新鮮でした。

募金という行為

 さて僕自身ですが、実は募金自体ほとんどしたことがありませんでした。募金についてはあんまり考えないようにしていたのです。それはやはりいかがわしいと感じさせる空気だったり、いいことをこれみよがしにするということへの抵抗であったり、何より周りに募金をしたり話をする人がいなかったのです。

 今回の件もじーぴーさんの告知を見たAcute氏が提案してくれたもので、自分からの発案ではありません。でもその時なぜか心にグッとくるものがあって、色々考えることになりました。

 寄付をしたいと思った直接の理由はやはり能登で起きたのが、東北と同じ震災だったことです。あの時の(たいして被災していない僕らでも)不安は大きなものでしたし、各方面からの援助は大変ありがたかった。そのお返しのチャンスが来たのでは、と思えたのです。

コミュニティとしての募金

 ではなぜ個人で勝手に寄付しなかったのか。それは一つにはコミュニティを巻き込むことで、僕のように迷っている人の後押しをできるかなと思ったからです。一人で寄付する場合、ある程度の金額があった方がいいかなと思ったり、手続きが煩雑かも知れなかったり、結局面倒だからいいかになってしまうのではないかと。そういう方にちょっとした機会を提供できるのはアリなのではないかと考えました。

 またいい人ぶってるようで迷うという人にも、まあみんなやってるしという心理的なハードルを下げることができて、ついでにやっておくかと考えてもらえるかなと。そして何よりも募金ってそんなに気張らなくても、気軽にちょこっとだけやればいいんだという空気も作りたかったのです。

コミュニティの地位と社会貢献

 さらにいうならばポケカというコミュニティの地位についても考えてました。ここまで知名度が上がってきたにもかかわらず、「カードをやってる」ことへの冷ややかな視線はあまり変わることはありません。僕も親に「まだポケモンとかやってるのか」と言われたりもしますw それ自体は別に好きでやってることだから気にはならないのですが、なんでだろうなぁと考えてしまうわけです。

 部外者から見ると、カードやゲームってとても特殊な世界ではあるわけです。スポーツをやっていてそのような非難を受けることはないので、カードショップのいかがわしい感じとか、賞金や賞品を賭けて勝負してるところとか、いろいろあるんだと思います。中にいる人間としては、素晴らしい思いやりのあるコミュニティーと知っていたとしても、それは伝わらない。

 そこにコミュニティー全体として寄付行為を続ける団体があるとしたら、それはマイナスに働くことはないんじゃないかとふと思ったのです。これはちょっといやらしい考え方ではありますが、結果としてそのようなことがあるなら、それはそれでアリなのではないか。

個人的な運営モチベーション

 最後に僕の大変個人的な事情があります。僕ももう人生の折り返しは過ぎていて、先が見えてくる年になりました。ポケカの活動自体は本当に楽しくて全く後悔するようなものではないのですが、世の中のために何もしていないという後ろめたさはあります。この年になって自分だけが楽しんでいていいのか、他の人の幸せに時間を使うべきではないかと考えてしまうのです。

 そこにこの募金活動、これなら遊んでいるだけという罪の意識がだいぶ薄れ、大会の運営をすること自体にもモチベーションを保っていけそうな気がします。

・寄付自体が誰かの助けになる
・寄付がより身近なものになる
・コミュニティとして社会への貢献
・僕個人の運営を続けるモチベーション
まとめるとこんなところでしょうか。

 こちらの事情など知るか、妙なことに巻き込むなという意見も尤もではあります。ただ今後は参加される方に強制することはありません。なんか妙なことやってるなと、通り過ぎてもらえるといいかなと思います。僕の言ってることなんかわかるという方いらしたら、100円玉をポイと放り込んでいただけると嬉しい。

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