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踊り場にいる僕らへ。

はじめまして、ハタコシです。

僕のことを知っている人に対しても、あえて「はじめまして」と言葉をお渡したいです。この場所では飾ることなく、できる限り開放して書いていきたいと思っていて、その姿ははっきりとは見せてこなかった部分でもあるから。

さて、このnoteは『おどりば』という空間が生まれるまでの経過を送る、公開交換日記です。書くのは僕と、宗思さん(はじめて下の名前で読んでみる)。長野市に住む2人の若者がそれぞれの想いを交わしながら、少しずつ『おどりば』をかたちにしていきます。

じゃあそもそも『おどりば』ってなんなのか。そんなことを、言い出しっぺの僕がこのノートの1ページ目に綴っていきます。


踊り場の孤独をゆるやかにつなぐ

「人生とは、階段そのものである。」

出典先はない。評論家的な誰かが、たぶんきっとこんなこと言っているに違いない。あとにはこう続く。

「一段ずつコツコツと登っていくことで、高い目標にたどり着くことができるのだ。」

勝手に空想した偉いおじさんに、勝手に共感する。身に起こる刺激に立ち向かうように、高く足を上げて、一歩一歩前へ進む。そうしていくことで、思い描く自分に近づいていくものじゃないだろうか。

でも、段差だけが延々と続いているわけではなくて、途中には必ず“踊り場”がある。思うように進めなくなったとき。次のステップへの準備をしているとき。RPGのセーブポイントのように、ひと息ついたり持ち物を整理するような瞬間が必ず訪れる。(僕はすごく慎重だから、すごい行ったり来たりする。すごいする。)

階段を登っている過程と決定的に異なるのは“視点”だ。駆け上がっているときは手を伸ばす先にある目標が対象物になるけど、踊り場は自分自身と向き合うことが、心の奥底の自分から要求される。皮肉かな、踊り場はその名前に反してひとり孤独な空間だ。

しかしながらこの孤独は自分と対話するためにも必要だと思っていて、ただ一方でこれが過ぎると心は悪いほうに行ってしまう。残念だけど、耐えられなくなって飛び降りてしまう人もいる。すっごく繊細な環境だからこそ、この場所でどう過ごせるかが大切なんじゃないかな。

ここで必要になるのは、自分自身を映してくれる鏡じゃないかなあと思っていて、その鏡になりうるのが、同じく踊り場にいる 誰か だと思う。

自分自身と向き合うために、丁寧じゃなくていいから自分自身を表現する。その過程が、なんとなく同じ立ち位置の誰かとつながっている。「ああ、あの人もか」ってお互い現在進行形で受け取れる。孤独と共感の先で「やってこ!」と気持ちを高め合いながら、再び階段に足をかける。

『おどりば』は、自分と向き合おうとする人たちが集う、メディアという形式でゆるやかにつながるコミュニティ。そんな空間を、誰よりも僕がいま必要としている気がしています。


『おどりば』ではなにが起こるのか

それぞれがやわらかく自己開示しながら、それぞれが誰かの鏡となり合う。『おどりば』がそんな空気感であるために、3層構造でコトを起こしていきたいと考えています。

最も対象者が広くてハードルの低い、小さな開示の環境として、前にやっていた『アオトーンナガノ』を『おどりば』のいち企画として再開。まちなかにちょっとした問いと向き合える瞬間をつくりたいです。

そして、このコミュニティに深く関わってくれる人たちには、当番制でエッセイ的なものを書いてほしいと思っていて。体裁は整えなくて結構!血を落としたようなどろっとしたものが見たい。

この2つの環境をつなぐ中間の層を考えたとき、交換日記のパートナーでもある宗思さんの顔が浮かんだ。

彼は仲間たちと一緒に長野駅前で『愚痴聞き屋』をやっている。

その名の通り、道行く人たちの愚痴を聞いている。彼らについては以前にもブログを書いていて、そこから一部抜粋したい。

愚痴聞きに来る人は会社のお偉いさんから学生まで様々。悩みも十人十色です。その一つひとつに、彼らは本当に、本当に平等に応えていきました。

自分より年下の生意気な学生には容赦なくズカズカと接するし、誰もが知っている会社の社長にも遠慮することなく自分の意見を口にする。

愚痴聞き屋の一人、奥山さんはFacebookに後日談を書いていました。

『サードプレイスの役割の一つには、「日頃背負っている役割からの解放」というものがあると誰かが言ってました。 中学生も社長も、愚痴聞き屋の前ではただの一般人です。平等です。僕たちは同じ目線で会話をしています。』

歳も重ね会社でそれなりに立場のある人はその環境が般化していて、でもそこにどこか息苦しさを感じている。自分が抱えている肩書や責任を守るために、無意識のうちに自分に仮面を被せている。

だからこそ彼らは平等に接する。ただの一般人扱いする。愚痴の奥にある、自分自身でも気づいていない本当の感情や価値観を引き出すために。

こんな想いを持っている彼らに僕はとても惹かれていて、場づくりに関する話を求められれば必ずと言っていいほど『愚痴聞き屋』を話題に挙げています。

そんな活動をしている宗思さんが以前、『humans around me』という企画をやらないかと話をくれた。どうしても特別を感じてしまう有名人ではなくて、ごく普通の人へのインタビュー。当時は強く共感しながらも うまく話が進まなかったのだけど、これ、まさに『おどりば』じゃん。

宗思さんに関わってほしい。そんな想いを伝えたところ、強く頷いてくれてすごく嬉しかったです。


なんで公開交換日記?

初回ということでどこか形式張ってしまったけど、これから宗思さんとの交換日記がはじまります。うわあ楽しみ。彼の文章もまた好きなのです。

そうそう、「交換日記を公開するなんて面白い!」と思ってくれたアナタ。そうでしょ。だってパクリだもん。すでにやっている人たちがいて、やっぱり大好きな人たち。場づくりに興味がある人は特に読んでほしいです。

2人のように素直に言葉を交わしていく姿がいいなあと思って、公式にパクらせていただきました。続けていく過程で共感してくれる人が見つかるかもしれないし。

さて、最後に。今回は僕がいまの時点で思っていることを書きなぐってみました。今度は宗思さんが「どんな空間をつくりたいか / 求めているか」聴いてみたいです!

ハタコシハルカ

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