2022のわたしと、お世話になった音楽と。

自分の2022年を一言で表すのであれば「無力」だろう。

年明けすぐに義妹が亡くなったり、直接的に命に関わる寄付に携わったり、社会では凄惨な出来事がいくつも起こったりと、生き死にについてよく考えながらも、なにかまとまった答えを出すことはできなかった。

職が変わったり、家族ができたり、住まいが変わったり。数年前から環境の変化が相次いで、去年くらいから体力的にも精神的にも本当に限界がきてしまって、今年の4月くらいには一度仕事をゼロに近い状態にしたのだけど、溜まってきたものがガッと溢れたのか、それから今まで、ぐらぐらしっぱなしの短い人生史でもトップクラスに上手く生きることができなかった。

特にプライベートはガタガタで、個人の感情が伴う行為や発言は、固く門を閉ざしたように、表現ができなくなってしまった。未だお返事ができていない人も複数人いて、本当に申し訳ない限りです。伝えたいことはあるはずだけど、うまく言葉にできなくなってしまって、SNSも自分で書くことはめっきりなくなってしまいました。

仕事のほうも、会社員&個人事業の体制から完全フリーランスになって不安がありながらも、本当に色々な機会をいただいて、ありがとうございました。一方で体調を崩してしまうことも多くて、ご迷惑をおかけすることも多々。身体と心と、両方が健全でないと、上手く機能できないのを強く実感した1年でした。

文章を書くのは苦手なりに自分としては重要な行為であったはずが、すっかり蓋をして漫然と夜を過ごす日が続いて。そんななかでも家族に支えてもらって、ようやく人に逃げていることに気づきはじめてきて。コロナの影響もあるだろうけど、今年は意識的にも無意識にも対話から逃げてしまった。

やり残した仕事も、できていない返事もあって、そちらから触れるべきなのは山々なのだけど、大切にしていたはずの感覚を少しでも取り戻したい。そんな想いもあって、2022年ぎりぎりにキーボードを叩いています。

「無力」な1年なりに、これからの自分がどう在りたいかは、上手く整理はできていないけど、ぼんやりと見えてきたような気がします。僕は今までの人生、そのときそのときの出会いや外的な要因の流れを掴むように生きてきたように思います(自分で大きな選択をしたというよりは、目の前の状況の流れに逆らわずに生きてきたような気がします、みたいなことが言いたいです)。それは結局、人との出会いや対話あってこそのものであって、まずは人と言葉を交わすことを恐れず生きていきたい。2023年は「”関わる”から逃げない」を掲げて生きていきたいです。

ひさしぶりに自分のことを書いたけど、下手くそなりに書けてよかった。まだ書けるみたいでよかった。2023年は、人と関わるためにも、自分のことも逃げずにかたちにしていきたい。

最後に、毎年ぼんやりと頭の中で思い浮かべている「今年お世話になったプレイリスト」を書き留めて結びにしたい。




投げKISSをあげるよ / andymori

今年もありがとう、andymori、AL、そして小山田壮平。今年は5月にライブにも行けて、ひさしぶりに生で聴けて、生で観ることができてよかった。本当になんというか、聖域。清い。あの空間はすべてが許される気がする。(一緒に行ったパートナーも”賛美歌”と言っていた)日頃からいつも聴いているわけではないんだけど、存在していてくれることが本当に救い、みたいな。子どもも産まれて、本当におめでとう。


銀河鉄道の夜明け / 時速36km

昔ほど色々な音楽を聴き漁ることはなくなったけど、時速36kmを知れたことは今年の収穫のひとつ。ドライブ中に偶然流れてきた『銀河鉄道の夜明け』が、ウダウダしていた当時の自分に強く刺さった。というか、これまでの人生で直面してきた瞬間瞬間が音になって流れ込んできたような。こういう曲があることが、いまの自分をやさしく肯定してくれている気がして救われた。悩んでいる人に聴いてほしいです。


鶫(つぐみ) / 折坂悠太

去年のM-1のアナザーストーリー、錦鯉の長谷川さんがお母さんに電話するシーンのBGMで流れていたのが『鶫(つぐみ)』。折坂悠太はそれまで人気曲や表題曲くらいしか聴いてこなかったのだけど、M-1好きも相まってめちゃくちゃ響いてしまって、移動中の車内はしばらくこの曲が流れていた。折坂悠太の曲と声に触れると、脳内に情景が美しく描かれる。あと、中村佳穂と歌ってる、くるりの『ばらの花』がめっちゃいいからYouTubeで調べて聴いてみてほしい。


ありあまる富 / 椎名林檎

亡くなった義妹がファンだったのが椎名林檎。遺品整理のために彼女の部屋に入ったら、たくさんのスケッチやラフとともに、椎名林檎のCDやDVD、ファンクラブ限定のグッズが並んでいた。彼女の世界観や精神性を支えるひとつの柱だったのだと思う。子供の頃はなに言ってんのかわかんない単語が羅列された歌詞と、インパクトのあるMVの印象しかなかったけど、あるときから急にぐあっと来るものがあるよな(語彙)。『ありあまる富』は、椎名林檎のなかで僕が一番好きな曲です。生と死について考える日々のなかで、豊かさや幸福についてもぐるぐると頭を巡らせていた、そんな上半期だった。


笑えれば / ウルフルズ

義妹の火葬が終わった日の夜。家に食べるものがなにもなくて、憔悴しきった家族を家に残して買い出しに行った車内で偶然流れてきたのが『笑えれば』。本当に辛いのは実の姉である妻だからと、できるだけ気丈に振る舞っていたけれど、歳の近い身内が亡くなってしまった事実は当然ながら僕にも重くて、前が見えなくなるくらい泣きながら歌ったのを鮮明に覚えている。笑えるのは、当たり前じゃないよな。彼女のぶんまで、笑って過ごして生きていきたい。


花束を君に / 宇多田ヒカル

First Love、話題ですね。まだ観てないけど。毎年、局所的に宇多田ヒカルを聴きまくる時期というのがあって、今年は仕事しながらライブ映像とかよく観ていた。好きな曲は色々あるけれど、今年はどうしてもこの曲になってしまうだろう。棺のなかに家族で花をひとつひとつ丁寧に入れていって、花に囲まれた姿は、決して見たい光景ではなかったけれど、美しく飾って送れたことは、よかった、よね。


あいまいでいいよ / 羊文学

以前からちょこちょこ聴いていたけど、FIRST TAKEで歌っているときのやわらかな空気感と、「あいまいでいいよ」と爽やかに歌う姿がすごくよくて、すっかりハマってしまった。思えば、言語化はできていなかったけど、「あいまいでいいよ」ってのを自分なりに表現しようと努めていたんだろうな、少し前は。去年くらいから自分のなかの曖昧さから逃げるようになったのが、いまの自分に繋がっているように思う。あいまいでいいんだよね。


廊下を走るな / 日食なつこ

小山田壮平氏とともに、毎年お世話になっております、日食なつこ氏。学生時代の作文のタイトルを『跳躍』にしたり、曲のタイトルによく付ける造語の四文字熟語を真似して自分の屋号を『遊覧潜水』にしたり、10年以上にわたって影響を受け続けている。一番好きなのは『竜巻のおどる日』だけど、今年この曲を選んだのは、MVの最後に彼女が語る言葉が、どうしようもなく刺さった瞬間があったから。『少年少女ではなくなった』を聴いたときとも通ずるけど、ああ、大人になったのだなあ、などと。翻弄され続けてきた若い頃特有の感覚を、忘れたくない。というか、向き合うことから逃げたくないなあ。


やめるなら今 / ヒグチアイ

小山田壮平、日食なつことともに、ここ数年お世話になりっぱなしなのがヒグチアイ。今年は上田平和音楽祭で直接聴けたのが嬉しかった。『悪魔の子』とか『劇場』とか『縁』とか、短い時間だけど大好きな曲を歌ってくれた。この人もどの曲にしようか本当に悩んだけど、この場くらい逃げずにこの曲を選びたい。今年はこの歌詞の言葉通りには全然動けなかったけど、続けたいことを続けていきたい。


私は最強 / ウタ

最後に2022年らしい曲。聴いた瞬間広がるミセス感。私は最強。なんて真っ直ぐなんだ。とにかくがずっと前を向いている。前を見せてくれる。だけれども決して骨太なわけではなくて、弱さの先にしか最強がないことを伝えてくれている。誰もが最強になれる、そんなふうに奮い立たせてくれる曲だと勝手に解釈してる。ウタの曲はしばらくリピートしていたけど、ダントツでこの曲ばっかり聴いていた。




書いているうちに2023年になってしまいました。ていうか、いまカウントダウンTVで流れてたKing Gnuの常田のおばあちゃん家で歌った『McDonald Romance』がよすぎた…。よすぎませんでしたかアレ。

はて、どうも締まりが悪くなってしまいましたが。2023年、どうかよろしくお願いいたします。


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