富と器(2021年12月31日)

「変化の多い一年だった」と、毎年のように口にしている気がするが、例年の比ではなかった。もう少し遡ればおよそ3年前、人生の進路が大きく異なる方向に切られてというもの、険しい悪路を旅してきたように思う。ただ、その道程で眼前に広がっていたのは鬱蒼とした真っ暗な景色ではなく、例えるならばマリオカートのレインボーロードのような、カラフルでエキサイティングなコースを走ってきた。そんな日々だった。

今年は特に、結婚したり(事実婚です、まあその前からステップファミリーなので特に大きな変化ではない)、山奥の一軒家を(妻が)購入して引っ越したり、子供が保育園から幼稚園に転園したり(毎日弁当!!)、仕事がまたグッと増えたり、みづきちゃんに遊覧潜水に入ってもらったりと、生活がまた大きく変化していく1年だった。その変化のうねりについていくことができず、体調やメンタルを崩しがちになってしまった。12月には完全に力尽きてしまって、この日誌も更新ができなくなってしまった。みづきちゃん、ごめんなさい。

「流されるんじゃなくて、流れてるよね」と、友人に言われたことがある。僕はあまり欲のないほうで、あまり欲しいものもないし、率先して変化を好むタイプではない。だけど、岐路に対峙したら「きっとこっちのほうがいいよね」と、流れに逆らわず変化することを選んでいるように思う。言い換えれば、”大変”を好む傾向にある。

昔から自分を追い込む癖があって、自分の存在自体に問題提起を繰り返しては布団のなかで小さく唸っていた。そんな過去に回帰するように、冬の訪れとともに起き上がれない日が増えてしまったが、あの頃とは悩みの部類がまったく違う。ただただ、富が増えているんだ。

家族ができて、関わる人が増えて、仕事があって。喜ばしいことだけど、この3年で多くのものを手にしすぎたようにさえ思う。結果、大切にしていたはずのものが器からこぼれ落ちてしまったり、器を持つ身体に支障が生まれてきた。この1年間は、手にしてきたもの、手のなかにあるものを、どう守っていくか。そのうえで新たな富をどうやって抱いていくか。そんな葛藤に揺れていたのだと思う。

ひさしぶりに吐露してみて、ああ、やっぱりこういう場は大切だなあ。本当にありがたい。歳を重ねるたび、なかなか悩みを口にするのが憚れるように感じてしまうけど、僕はそんな人たちの支えになれたら嬉しいと思っているし、ならば自分も自分に真摯に向き合っていきたい。

来年はきっと、選択の1年になると思う。深く深く潜っていくためにも、まずはゆっくりと、息を吸って吐いて過ごすことを大切にしたい。

2022年も、よろしくお願いします。


ハタコシ


p.s.
M-1のアナザーストーリーで流れていた、折坂悠太の「鶫(つぐみ)」がとても響いてしまっています。今年もたくさんの音楽に支えられました。


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