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3月18日開催「イベントは如何にして”失敗”するのか」に寄せて

イベント、楽しいです。

面白い取組に触れたり、その背景の人柄を探ったり、新しいアイデアが生まれたり。日常とは異なる世界に出会い没入できる数時間は、一度味を覚えたらやみつきになってしまう。何度も足を運んでくれる人も多い。

でも、必要なのは「楽しさ」なのだろうか。目指すべきは「その場の盛り上がり」なのだろうか。そもそも、僕らはなぜ企画するのだろうか。

登壇者の世界観や革新的なアイデアは、瞬間的に脳内に彩りを与える。

「そんなことができるのか。」
「かっこいい、僕もそうなりたい。」

じゃあ、それでどれだけの人が行動に移しただろう。

なんとなく、みんな気づいている。既存のイベントの枠組では適切なインパクトが生まれないことを。それでもあの時間がもたらす特別感に期待して、僕らはイベントを組み続ける。そして消費し続ける。気づけば人を集めることが目的になっている。

(余談かつ完全なる愚痴だが、行政はいい加減に評価指標を暫定的に「何人参加したか」と置くのをやめてほしい。将来的にその何倍へ影響を及ぼす仕組がこれでは否定されてしまう。)

もちろんその場で生まれる出会いを否定しているわけではない。ただ、場を編み育む人間として、いま問う必要がある。その効果や在り方を。如何にして”失敗”するのか、そしてイベントにおける”成功”とはなんなのか。3/18につくば市のコワーキングスペース Tsukuba Place Lab で開催される「イベントは如何にして”失敗”するのか」へ寄せて、まずは個人の想いを整理してみる。


気持ちよく終わる構造になっている

イベントも多種多様だが、今回は課題解決を目的としたトークイベントに主眼を置いて話を進める。その多くは下記のようなフォーマットに則っている(と思う)。

【前半】
・簡単なアイスブレイク
・ゲストトーク - 事例紹介やエピソードトーク
・質疑応答
(ここまでで終わるものもあり)

【後半】
・前半のトークを踏まえたアウトプット(ブレインストーミングやプロトタイプの作成)
・ゲスト講評
・交流会

イベントを重ねてきた経験として、インプットだけでなくアウトプットできる機会を設けることで満足度が高くなると感じていて、自分も原則的に参加者が意見を発言できる時間を設けている。これが結果的に、参加者同士の交流にもつながる。

自分の内側では観測できなかった価値観を発見したときの高揚感たるや、気持ちいい。高まった感情同士が絡み合えば、1の熱量は3にも4にもなる。そう、イベントは「特別すぎる」んだ。

この構造のままでは、イベントだけで終わってしまう。想いが持続しない。行動に移らない。気持ちよく帰ってもらうだけでは、運営側も参加者側も臨むインパクトは起こりえないのだろう。

対して、僕らホストが企画する意図は「特別を日常に持ち帰ってもらう」ところにあるだろう。それが気付けば、レジャー化してしまっている。僕らが作るべきは、ディズニーランドのそれじゃない。


ヒントは「アウトプットに比重を置く」

イベントに「特別」という旨味を残しつつ、後々にも影響を与える方法を考えるにあたり、ひとつの企画を取り上げたい。2016年に開催したトークイベント「学校では教えてくれない生き方」の第3弾だ。

翌年にオープンが決まっていた、若者が自由に使えるコミュニティカフェ「tsunagno(ツナグノ)」の設置に向け、若者を対象とした全3回のイベント。あまり馴染みのない仕事や歩みを送る方にご登壇いただき、その方の取組に沿ってトークを進めていった。

記憶の深い第3回目のテーマは「場作るワカモノ」。ゲストには自分と同世代のコーディネーター2名を迎えた。自分を含め22~3の若手3人が登壇者ということで集客に不安があったが、若者を中心に15名程度の参加者が集まってくれた。

ぶっちゃけ、めちゃくちゃ楽しかった。若者だけが集ってトークすることが自体が当時は珍しくて、特別度も高かった。ただ、このイベントについては「楽しい」だけでは終わらず、いまもこの日を振り返ることがある。このイベントをきっかけに、いまもなお定期的に足を運んでくれて、CREEKSを会場にワークショップを開催してくれた高校生もいた。

では、なにが違ったのだろうか。それは、前述のフォーマットに沿わなかったことにあると考えている。僕は当時の段階でインプットとアウトプットのバランスについては意識していて、その比率を7:3〜5:5くらいで設定していた。そのため、当初予定していたタイムテーブルは下記のようなものであった。

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18:30 イベント開始
18:30-18:45 イベント概要紹介、tsunagno開設について
18:45-19:00 アイスブレイク
19:00-19:30 登壇者活動紹介(15分×2人)
19:30-20:00 トークセッション
20:00-20:15 休憩
20:15-21:00 参加者から出た問いをもとに参加者を交えてトーク
21:00 イベント終了

※ 参加者には事前にポストイットを配布。活動紹介とトークセッション中に気になったことを書き出してもらい、休憩中に集約した。
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しかし、登壇者のひとりがイベントの直前に「参加者と一緒に場をつくりたい」と言ったことをきっかけに、予定していたタイムテーブルは大きく変わる。

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18:30 イベント開始
18:30-18:45 イベント概要紹介、tsunagno開設について
18:45-19:20 アイスブレイク
19:20-19:35 登壇者活動紹介(7~8分×2人)
19:35-20:00 トークセッション
20:00-20:15 休憩
20:15-21:30 参加者から出た問いをもとに参加者を交えてトーク
21:30 イベント終了

※ 盛り上がりすぎて30分時間超過
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どうだろう、時間だけを見てもアウトプットに比率が大きく傾いたのがわかると思う。体感値としては2:8くらいであったと記憶している。

冒頭では、参加者それぞれの人となりを共有するため、15人程度の参加者全員に2~3分程度の自己紹介をお願いした。これがアイスブレイク。この人数規模であれば少人数のグループにして行なうことが多いが、このときは主催側の「どんな人が来ているのか詳しく知りたい」というエゴに乗っかってもらった格好だ。

参加者のステータスをそれぞれが把握したところで、いったんゲストに主眼を置く。ともに若者と長野の接点を生み出していた二人。彼らがその年取り組んでいた「信州若者1000人会議」「信州帰省フェス」の紹介は粛々と済ませ、活動の原点について伺った。

▲ 信州若者1000人会議:2016年10月に都内で開催。高校卒業のタイミングで70%が県外へ流出してしまうことで希薄になりがちであった若者と長野の関係性をつなぐため、2013年より開催。この年は内容を刷新して、それぞれの関心を深めることができる2日間・6分科会構成のプログラムに設定。総勢15名のゲストにお越しいただき、約130名の参加者とともに「2030年の信州」について模索した。(出典:信州若者1000人会議2016

▲ 信州帰省フェス:2016年8月に初開催。1000年会議に対して敷居を感じていた若者にも地元について知る機会をつくるため、8月中旬の帰省シーズンにあわせて企業や個人商店によるマルシェ&音楽ステージイベントを実施した。(出典:信州帰省フェス


主語を自分にして「問いを立てる」

「アウトプットがとにかく大事!」みたいな論調になってしまっているが、インプットを蔑ろにしているわけではない。インプットそのものは知識やアイデアの共有に過ぎないが、その質次第でアウトプットへ大きな影響を与える。他者のアウトプットに呼応するように、人は自己を開示していく。

事業そのものではなく、同世代ながらアクションを起こし続ける二人に興味があることがアイスブレイクからも伝わっていたので、自然と活動の原点について話を伺う流れとなった。すると、登壇者2人はそれぞれの「問い」を語る。

この頃、僕らはしきりに「問い」という言葉を使っていた。1000人会議をともに企画するなかで、如何に自分ごとで疑問を抱いてもらうか、そんな仕立てにするにはどうすればいいか。準備期間の約半年、自分たちがそれぞれの「問い」と向き合いながら、参加者が自ら「問い」を立てるために試行錯誤していた。

この日もまた、そんな意識が強かったのだと、いま振り返ると思う。登壇者2人の深い「問い」が響いたのか、休憩中に回収したポストイットには様々な話題が並んだ。日々の些細な悩みから、人生にまつわるようなものまで。

こんなときはだいたい「こんな質問が多いですねー」と一括りにするものだが、この日の僕らは話したくて仕方なかったのだろう、全てに真摯に向き合い出す。

どうしてこれを書いたのか、マイクを預ける。会場のリアクションを確認しながら、答えを急がず、参加者からヒントを引き出す(この際、アイスブレイクで全員の属性を把握していたのが生きた)。

次第に参加者たちから「その質問に答えたい」とマイクを求めるように。一人ひとりが自己と向き合うために全員でサポートする、あたたかい時間だった。


「イベント=サードプレイスの擬似体験」という仮説

ここまで書き進めて思うことがある。果たしてあの時間は「イベント」だったのだろうか。少なくとも登壇者−参加者という関係性は成り立っていなかったような気がする。何故なら全員が主人公であったから。いや、正確に言えば、「自分を主人公と認識できていた」ような気がするから。

これはもしかしたら、コワーキングやコミュニティスペースといった恒常的な場を設計するうえで意識すべき、サードプレイスの価値が注がれた時間であったのではないか。

サードプレイスにも様々な意義・価値の捉え方があるが、僕は「深層心理の顕在化」と考えている。家庭や職場といった既存の環境は、成長の源である疑問を突き詰めるに適した環境とはいえない。対して、属性の異なる人々が集うサードプレイスは、本来的な自己を受容してくれる場となり得る。自分もそうして、サードプレイスに救われてきた。

コーディネーターの役目は、個人の変化をサポートするために新しいコミュニティを築くこと、そして化学反応を誘発すること。だとすればイベントはそのためのツールに過ぎないし、イベント→日常的なスペース利用へと流れる導線を意識したい。もしかしたら”失敗”の理由はシンプルで、イベントをイベントと位置づけてしまうことにあるのではないだろうか。

イベント=サードプレイスの擬似体験。そのスペースで日常的に行なわれている(行なわれてほしい)風景を限定的に用意する機会を、イベントと呼んでもいいかもしれない。


Vol.1の次は、Vol.2ではなくVol.1-1

先日、ワークショップを多数設計してきた方にご登壇いただいたところ、イベント終了後にこんな言葉をいただいた。

「今日の議論を残していくために、次のイベントはVol.2じゃなくて、Vol.1-1くらいがいいかもね。今日なにを思ったか、もう一度持ち寄ってもらう。そこから次の議題を決めていくような。」

2~3時間でゆくゆくの未来を変えるような効果を生み出すのも難しいだろう。だからこそ、先に続く半クローズ(前回参加者+α)の機会を設定する。議論を深めながら、煮詰まったり次の議題が生まれたら、Vol.2へと移行して新鮮な風を入れる。これもイベントを成功させるために必要なアフターケアのひとつだろう。

僕の暮らす善光寺門前のとある場所では、毎週水曜日の18時から「まちくらしたてもの会議」が開かれている。誰が参加してもOKで、その日集まった人たちが自己紹介しながら、話題を作るところからスタートする。

(出典:ながの門前まちくらしたてもの案内所

この座談会は、ここ数年で急速に進んだ善光寺門前の活性化とともに時間を重ねてきた。イベントというよりサロンに近いかもしれないが、定期的に集まることでこそ生まれる変化もあるだろう。


最後に

ああ、やっとここまできた。長々と書いてきて感じた「イベントを成功させるポイント」について列記して締めようと思う。

・イベントの目的の整理
イベントの先にどんな変化を起こしたいのか、その対象は誰か検討する。これにより適切な構成が見えてくる。

・対象者に響くテーマ設定
前段としてはこれが極めて重要に感じる。「イベントは如何にして”失敗”するのか」めちゃくちゃいいです。完全に捕まった。ときに一定のハードル(価格設定や年齢限定など)を設けることも大切。

・参加者のアウトプットを意識する
今回は主にこの点について述べた。やっぱ自分の話したいじゃない。というか、テーマ設定が超適切であればその時点で感度が揃っているから、いきなりアウトプットから入ってもよかったりする。

・投げっぱなしにしない
イベント終わったあとの疲労感ったらありませんが、その後のアフターケアを忘れない(イベントページの更新、参加者のイベントレポートへのコメント、次のステップの設定)。あああ、ここあんまできてない…という自戒を込めて。

まあ色々書きましたが、なんだかんだイベント大好きなので、またTsukuba Place Labでもイベントできたら嬉しいです。

ハタコシハルカ
twitter:@h2hahaha

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