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長野の港・CREEKSを旅立ちました。

件名:
退職のご挨拶 / 株式会社CREEKS 波多腰遥

本文:
これまでお世話になった皆さま
(Bccにて失礼いたします)

お世話になっております。株式会社CREEKSの波多腰です。
私事ではありますが、一身上の都合により8月末で株式会社CREEKSを退職することになりました。メールでのご連絡となってしまったこと、また突然のご連絡となってしまい申し訳ありません。…

「退職メール 書き方」と検索してそれっぽく仕上げた文章を一斉送信すると、夜遅くにも関わらず返事がすぐに届いた。その後も多方面からご連絡をいただく。おお、こういうのって案外返信あるのだな。どこか他人事のように感心しながら、自分に向けられたねぎらいの言葉に触れていると、とある一文に目が留まる。

長野の港から出航されるのですね。

そう、海に面しない内陸地の長野県にも「港」がある。

小川(creek)のように自分らしく暮らす・働く人たちの想いは、いつしか混じり合い、大きな流れとなって大海へと流れ出す。長野県と全国、そして世界とを繋ぐ交点。そんな場と機会を生み出しているのが、僕が2年9ヶ月勤めた株式会社CREEKSである。そして僕は、8月末をもってこの港から旅立った。


長野の港で過ごした日々のこと

改めまして、波多腰です。21から新卒同然で働きはじめたCREEKSを離れて(有給休暇期間含め)約1ヶ月が経ちました。これまで自分がなにをやってきたか、まとめてみたいと思います。

CREEKSのタグラインは「地域から社会を変えよう 行動する人の集まる港」。
コワーキングスペースの運営を基盤に、起業・創業支援、移住・中山間地支援、教育・子育て支援に取り組んでおり、まさにいま走り出す挑戦者や地域のプレイヤーたちとともに、多岐にわたるアクションを起こしています。

僕がこの港に流れ着いたのは2015年11月。運営するコワーキングスペース『CREEKS COWORKING NAGANO』のスタッフとしてジョインすると、場の管理・運営とともに、上記のような様々な領域の事業に関わらせてもらいました。

CREEKSには多種多様な職種・働き方を実践する方々が集まります。県内で起業を考えている方や、都心部から長野へ移住される方など、長野県をひとつの軸に行動する人が往来する、まさに玄関口です。

さらに2017年3月、25歳以下が無料で利用できるコミュニティカフェ『tsunagno(ツナグノ)』をコワーキングスペースの階下にオープン。これまで深く関わることのなかった学生や若手の社会人も地域の流れとして迎え入れながら、規模を大きくしていきました。自分がスタッフとしては最も若い(オープン当時は23歳)ということもあって、tsunagnoができてから同世代の声に触れる機会が多くなりました。

これら2つの場は日常的に作業や交流のスペースとして開かれていますが、イベントが週2~3回の頻度で開催されています。外部から持ち込みの企画もありますが、CREEKS側の主催・共催イベントが比率として多く、コーディネーターとしてトークイベントやワークショップの企画運営にも関わらせていただきました。

コワーキングがオープンして1年が経過したところで入社したのですが、ちょうど会社が転換するタイミングと在職期間が重なったなあと勝手に思っています。リノベーションプロジェクト、地域発信メディア運営、テレワーク促進など、CREEKSはtsunagno開設の前後で様々な事業を展開していきました。

そのなかで僕が担当していたのが、地元金融機関さんと都内のクラウドファンディング(CF)運営会社さんと共同で立ち上げた長野県特化型CFサイト『Show Boat』の運営とキュレーション。CREEKSは起案者のアドバイザーとして、県内各地の起案を検討している組織へ立案のサポートをしています。そのなかで僕も、起案者の方とCF実施の方針を検討したり、掲載する文章の推敲などを行なってきました。


人の想いに触れて ともにかたちにする

こんな感じで、自己紹介のときにやたらと話が長くなる(横文字の多さも影響)くらい、色々なお仕事をさせてもらいました。ただ、その一つひとつが水脈のようにつながっています。すべての仕事に共通していたのが、相手の深い想いに触れること、その想いを行動としてアウトプットしていくこと。その過程に寄り添う日々でした。

僕は、人の抱く悩みや問いに触れるのが好きです。それはときに弱さと同義とされますが、根源的な部分で考えていることにこそ、その人らしさが映ると思っているし、そこに魅力を感じます。悩みや問いは、人生の指針を与えてくれたり、自分を含む誰かを幸せにしてくれるアイデアへと変わる、輝かしい原石だと本気で思っています。

「悩みや価値観が共有できる空間づくりがしたい」

最初にそう思ったのは8年前のこと。自己表現が苦手な自分が少しずつ自己開示できるようになったのは、自分を受け入れてくれるあたたかな空間との出会いがきっかけでした。家庭や学校・職場で自分の想いをうまく伝えられない人たちが、潜在的な感情に自分で気づくような、そんな瞬間に出会えるようなサードプレイスづくりに関わりたいと思って、CREEKSにやってきました。

CREEKSはその場に集まった人たちが行動を起こす環境ですが、行動の背景にはいつだって「Why(なぜ)」があります。なぜそれがやりたいのか。どんなストーリーをもっているのか。強いメッセージを浴び続けて、僕も以前より自信をもてるようになりました。案外やれるさ、僕だって。それはもちろん、支えてくれる人たちがいてくれるからだけど。


港を離れて これからのこと

さて、”これまで”について書いてきました。続けて書くとすれば”これから”のことなのですが、実は完全に未定でして。次の居場所を決めずに退職いたしました。漂流中、といったところでしょうか。

退職を決意するまでいろんな感情が渦巻いてましたが、最終的にはサードプレイスに携わる自分が伝えてきた「異なる環境に飛び込む」タイミングが自分に巡ってきたなと感じて、離れることに決めました。たくさんの人たちの想いに触れて、様々な仕事をさせてもらって。自分がどんな人間でありたいか、自分がなにをしていきたいか、改めて考える時期に入った気がしています。

1日8時間・週40時間業務の日々から離れ早1ヶ月が経過したのですが、毎日のようにどこかへ行ったり、人に会ったり、イベントをやったり。丸々予定がない日はほとんどなくて、予想していた以上に充実した日々を送っています。港を離れたいまも、やっぱり人に支えられて生きています。

そうそう、最終出勤日だった8/10も、スタッフやCREEKSの会員さん、ツナグノの利用者に盛大に送り出してもらいました(ごめん嬉しすぎたからここで無理矢理ねじこむ。自慢させて)。やばくないですか、もう。アルバムが特にやばいんですよ。

やっぱり僕は自分の言葉を伝えあえる人たちが大好きだし、これからもそんなやわらかい場と機会をつくっていきたいと思っています。そのためにもいま、見失いがちな自分の言葉に触れる旅に出たところです。不安もいっぱいだけど、ひとまず2~3ヶ月は、自分のやりたいことに身を委ねてみます。(思ったよりも自己肯定感高いよ、いまのところ。休みって大事。)

最後になりますが、CREEKSを通じて出会ったすべての方々に感謝しています。みなさんのおかげで、とても充実した時間を過ごさせていただきました。この2年9ヶ月の日々がこれからも僕を支えてくれます。

スタッフではなくなってしまいましたが、CREEKSは「行動する人が集まる港」。どんなかたちになるか想像できませんが、変わった姿でまた訪れます。

みなさん、本当にありがとうございました。

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P.S.

前職で直接的なお仕事関係のつながりがあった方には既にメールでご連絡させていただきましたが、SNS等でのお知らせが遅くなってしまいすみません。当面は長野にいる予定なので、なにかございましたらお気軽にご連絡ください!お茶でも行きましょ〜。

波多腰 遥 | Hatakoshi Haruka
Mail:haruka.hatakoshi(a)gmail.com
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