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おうちの写真で世界旅行-③スイス・ドイツ-

アルバムを見返してみたら、旅行の写真はまだまだある。
過去の旅行を写真で振り返っていこう、第3回。
今回は、2012年、スイスとドイツに出張に行った時の、仕事とは関係ない部分を。

この時は日程がはちゃめちゃで、

1日目:羽田→フランクフルト→ジュネーブ
2日目:ジュネーブ→ベルリン
3日目:ベルリン→チューリッヒ(→バーデン)
4日目:(バーデン→)チューリッヒ→フランクフルト→羽田

と、毎日国境を越えて飛行機移動していた。
もっと上手いこと予定組めなかったのかな…(8年越しの疑問)

毎日国境を越えるってことは、毎日出入国審査受けなきゃいけないの…?と思って憂鬱だったんだけど、ドイツもスイスもシェンゲン協定加盟国だったので、同じ国内かのように移動できてとっても楽でした。

●シェンゲン協定とは
シェンゲン協定に参加する国々(EUの22カ国とEFTA加盟国4カ国)での国境管理を廃止し、シェンゲン領域外から域内に入る渡航者に対し、共通のビザの発給基準を定めたもの。ちなみに日本のパスポートを有していれば、「あらゆる180日間のうち90日間」は、加盟国どこへ行くのもビザ免除。(短期間に何度もシェンゲン圏の国に行く時には、ここに引っかかる可能性があるので要注意。)

でも正直、初めてこの旅程をみた時、収集癖のある私は「(パスポートで)スタンプラリーだなぁ」なんて思ってうきうきしていたので、結果フランクフルトでの出入国スタンプしか残らなくてちょっと残念。スイスに行った記録がないんだよなぁ。

スイスとフランスの国境をまたぐ

某有名な研究施設で仕事で1泊。宿泊先はジュネーブの隣町、フェルネー=ヴォルテール (Ferney-Voltaire)。ここは何とフランスの町!

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島国じゃないと、隣の県に行くかのごとくカジュアルに国境を越えられるんだな…(シェンゲンのおかげ)
ちなみに某有名研究施設は、敷地内に国境があるので、右足スイス・左足フランスで国境を跨ぐことができる。

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フランスだからね!と、フレンチレストランに連れて行ってもらった。感動したのは鴨の生肉!ヨーロッパでは放射線照射で殺菌しているから、生肉でも食べられるんだよ、と言われて恐る恐る食べてみたら…めっちゃくちゃ美味い。

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そして、私はこの時まで、フランス料理で食事とデザートの間にフロマージュが出てくることを知らなかった。フロマージュはデザート扱いらしく、ワゴンにたくさんのチーズが!料理のボリュームがものすごくて、この時既にお腹がはちきれそうで、ほとんど食べられなかったのが悔しい。デザートもこの後、ワゴンで出てきたっけ。こちらもほとんど食べられず。

モンブランは見られなかった

仕事が終わり、フライトまでかなり時間があったので、「モンブランでも見にいく?」とカジュアルにお誘いを受けた。え、行けんの?

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フランス・シャモニー。モンブランから続く渓谷にあり、街からは美しいアルプスの山々や最高峰モンブランを眺めることができる街。
すごい天気悪いんだけど…

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エギュイユ・デュ・ミディ(Aiguille du Midi)はモンブランを間近で見ることができる展望台。ロープウェイで、およそ20分で標高4000mまで登れるそう。受付のお姉さんに「上に行ったら何か見える?」と聞いたら「Nothing.」と即答。ですよね…

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というわけでモンブランは見られず、シャモニーの街でお茶をして戻るという贅沢なプチ・トリップ。
帰り道で急に晴れて、虹まで出てきた。悔しい〜!いつか絶対リベンジする!

生々しい歴史が残る、ベルリンの街

ジュネーブに戻りベルリンへ飛び、いくつか仕事を終えて後はフライトまでの時間を潰すのみ…5時間くらいあるけど…と思っていたら、仕事相手の方がベルリン観光へ連れて行ってくれた。

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ブランデンブルク門。アテネのアクロポリス神殿の門を手本にして1791年に造られた。東西ドイツ分裂時代は門のすぐそばに壁が築かれていたので、この門をくぐることはできなかったけれど、今では誰もが通れるようになった。ベルリンのシンボルと言われている。

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「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」、通称「ホロコースト記念碑」。戦時中のホロコーストで犠牲になったユダヤ人たちに捧げられた記念碑で、約2ヘクタールもの広大な敷地にはあらゆる高さの、2711基もの石碑が並べられている。ベルリンの中心地なのに、ここだけ空気が違う。

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道端にある十字架は、ここで殺された人の慰霊碑。

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ベルリンの壁がまだ残っている場所。こんな壁が街中を囲っていたなんて想像もつかない。

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まだまだ建設途中だったそう。

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ベルリンの壁を越えようとして銃殺された人の慰霊碑。この中には、ベルリンの壁が崩壊する3日前に殺された人もいるらしい。
たくさんの人が殺されて命を落としていて、たった数日のことで生き延びられなかった人もいる。それも、まだ30年前の出来事。
慰霊碑だらけのベルリンの街は、まだ過去ではない、過去にしてはいけないという気持ちにさせられた。

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気分を変えて。
ベルリンの信号機はとってもかわいい。
この人のマークは「アンペルマン」といって、旧東ドイツで使われてたもの。東西ドイツ統合は東ドイツが西ドイツに吸収される形だったので、信号機のデザインも西ドイツのものに統一されることになって消滅しかけたのだけど、「アンペルマンを救え」っていう市民の声によって復活したものらしい。しかも旧東ベルリンと旧西ベルリンの市民が一緒になって復活運動を行ったというのが感動的。2015年で、ベルリンの信号機の約8割がアンペルマンになっているそう。
やっぱり、心を動かすものは強い。

ちなみにこのアンペルマン、グッズ化されております

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私が買ってきたワインストッパー。案内してくれた仕事相手がアンペルマンファンで、空港のショップで「ワインストッパーが”止まれ”のマークとかたまんなくないですか⁉︎」という言葉につられてお買い上げしてしまった。これ、コルク部分が折れちゃったんだよなぁ。

こぼれ話

私が心ときめいたちょっとした話たち。

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ヨーロッパの交差点はほとんどがラウンドアバウト(環状交差点)。信号待ちがなくていいなぁと思った。そして標識がぐるんってなってて新鮮。

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ジュネーブ空港はスイスとフランスに跨っていて、どちらの国側にも入り口や搭乗口があり、スイスセクターとフランスセクターに分かれている。フランスセクターは、フランスの国内線だけで、メインはスイスセクターだったような…。
一つの空港の中で「今スイスにいる!」「フランスに入った!」と、頭の中でうきうきしていた。

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スイスのバーデンという街で泊まった時のホテル。とってもかわいい!
さすがに毎日の移動で疲れて飛行機の中で爆睡し、機内食(軽食)を食いっぱぐれてしまい、でも出張の同行者(上司)はきちんと食べていたせいで夜ご飯をスキップされた直後だったので、ホテルが可愛いだけでものすごく癒された。ちなみに、この日の夜ご飯は日本から持って行っていたブラックサンダーでした…

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最後は、羽田空港。初めて羽田から国際線に乗ったんだ。
夜の空港って好き。だんだんお店が閉まっていく中で、自分はここから飛び立つんだ!っていう感じが、すごくワクワクする。
早く、またワクワクできる日が来ますように。


他の旅行記もこちらにまとめています。
https://note.com/h_ar_u/m/m58c6c9883c4a



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