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複雑なことを複雑だと理解する重要さ 〜「絶望の谷」へようこそ

国際紛争研究者である上杉勇司さんと対談する機会をいただいた。上杉さんが書かれた『紛争地の歩き方』をベースにしたVoicy対談だ。

この『紛争地の歩き方』は僕にとってとても印象的な本であり、そして学びの多い対談となった。

特に自分に残ったのは、対談後の上杉さんとのDMでのやりとりだ。

上杉さんは、「複雑なことをわかりやすく伝えることが使命なのに、複雑なんだというだけで終わってしまったと反省している」と仰っていた。

しかし、僕の印象は真逆だった。
僕はこの対談を経て、自分が物事をシンプルに捉えすぎていたことに反省したのだ。
だから、上杉さんの「単純に見える紛争も、実はかなり複雑なんだ」というメッセージはとても心に残った。

たとえばどこか遠くの地で紛争が起きたとしよう。
その理由として「民族的な対立」といったことが語られたとする。
そして、その対立のきっかけは、一方の民族が別の民族に対する支配を強めようとしたことだと。

シンプルで分かりやすい説明だ。
しかし、実態はそんなに単純なのだろうか?

たとえば本書にはこういうくだりがある。

民族の対立として語られている紛争も、元を辿れば、一部のエリートの間におきた権力闘争であったという場合が多い。
元々他民族に敵対心すら持っていなかった民衆が、エリートたちが引き起こした抗争に巻き込まれて、武器を手にし、攻撃の標的になってしまうことはよくある。

P.316より引用

つまり、結果的に現時点では民族対立となっているものの、原因としては民族なんて関係なく、単なる権力闘争だったり、どこにでもあるような人間関係のいざこざだったりするのだ。
(もちろん、言うまでもなく、民族の敵対意識が原因で民族紛争になるケースもある)

ニュースではそういう複雑な状況は削ぎ落とされて、シンプルに「民族的な対立」という一言で片付けられ、そして僕らは「民族的な対立」としてシンプルに理解する。

しかし、一度紛争地を歩いてみると、もっと複雑で多様な現状があることに気づく。
単純な紛争などどこにもなく、そして一言で「正義」と語れるようなものも存在しないと。

僕は上杉さんとの対話を振り返り、「ダニング・クルーガー効果」のことを思い出していた。
能力が低い状態であると、自信過剰にすぐにわかった気になるが、能力が高まると自分の実力不足を痛感してわからないことばかりになる、というアレだ。
(この効果そのものに疑いの余地があるらしいが、そこは一旦置いておく。)

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